渋みと苦み(涩和苦)

2019-05-29 09:17:54

                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       文/福井ゆり子 翻訳/編集=銭海澎

 

以前、曲阜に行った時、名物料理であるギンナン料理を食べた。ギンナンが本来持つ苦みをすべて取り去った甘い味付けのギンナンがてんこ盛りで、私の口には全く合わなかったことを覚えている。その後中国で幾度かギンナンの入った料理を食べたが、みなギンナンが本来もつ苦みが抜かれていて、がっかりしたものだ。私にとってギンナンは、苦みがおいしい食べ物だったからだ。

我以前去曲阜的时候,曾吃过一道特色菜,叫做“诗礼银杏”。做法是将银杏原本的苦味全部去除,加“蜜汁”调制成甜味,再满满地摆成一盘。我当时觉得这道菜完全不合自己的口味。此后,我在中国又吃过几次使用银杏制作的菜品,都是去除掉了银杏原本的苦味,这让我很是失望。因为对我而言,银杏就是一种胜在苦味的美食。

 

日本料理ではしばしば、本来食材が持っている味である渋みや苦みなどをあえて消さずに調理される。もちろん、水にさらすなどして抜くこともあるが、渋みや苦みなどをおいしさの一部として捉える傾向があり、ギンナンは苦みがいいものと考えられている。日本人はタラの芽とかゼンマイ、ワラビなどの春先にしか食べられない旬の風味を好み、こうした山菜がもつ苦みを珍重する。日本茶も中国の緑茶に比べると、渋みや苦みが強く、ひいては渋みを楽しむという特徴がある飲み物である。

在日本料理的制作过程中,经常是要刻意保留涩味、苦味等食材的天然味道的。当然,有时候也会将食材用水焯一下去除苦涩,但总体来说还是倾向于将涩味、苦味作为美味的一部分使用,银杏就是以苦见长的食材。日本人喜欢吃一些早春时节的时令菜,比如檧木芽、紫萁、蕨菜等,他们很珍视这些野菜的苦味。日本茶和中国的绿茶相比较而言,也是涩味、苦味更为浓重,甚至可以说这是一种专门享用涩味的饮品。

 

こうした渋み、苦みが必ずしも悪いものではないという意識のもとで、「苦みの走ったよい男」「渋みのある器、渋い色」などという、苦みや渋みを良きものとする表現も生まれた。「渋み」はとくに日本的美意識においては、「わびさび」とも繋がるとても重要な要素であり、落ち着いた趣がある、地味であるが味わい深いものを指して「渋みがある」と言う。「渋い色」といった場合には、彩度や明度が低い色のことを指し、一般的に日本人はこうした渋い色を好む。

在日本人的意识中,这些涩味和苦味未必是缺点,所以,日语中有很多将涩和苦视为优点的表达方式。比如“浑身散发苦味的优秀男子(庄重的男子)”“发涩(雅致)的器皿、发涩(素雅)的颜色”等。尤其在日本人的审美意识中,“涩”是与“闲寂和古雅”相通的非常重要的因素,在形容那些不张扬,虽朴素却耐人寻味的东西时,会说“有涩味(素雅)”。“素雅的颜色”就是指色彩饱和度和亮度低的颜色,日本人通常都喜欢这样的素色。

 

一方で、「苦い経験」や「苦い思い」のように使われた場合、「良くない」という意味になる。「あの人、渋いね」と言った場合、容姿を指す場合には誉め言葉であっても、行動を指して言った場合には、「ケチだ」と貶していることになる。「出し渋る」と言った場合には、「出したくない様子である」ということで、「渋い返事」と言えば「良くない返事」という意味であり、ためらう様子、物事がすらすら進まない様子などを示すこともある。

而用来组成“痛苦的经验”或“痛苦的回忆”这类短语时,通常表达“不好”的意思。如果说“那个人充满涩味”,即便指容貌的时候是褒义词(庄重),但指行为的时候,则含有贬义,是“吝啬”的意思。如果说“出手很涩”,就表示“舍不得拿出来的样子”,说“苦涩的答复”就代表是“不明确的答复”,表示犹豫不决,事情进展不顺利等。

例文補充

1.いつも渋い顔をしている/老是绷着脸。

2.芸が渋い/演技老练(细腻)。

3.好みが渋い/趣味古雅。

4.渋いのどを聞かせる/声音浑厚。

 

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