せんべい(日式煎饼)

2020-07-13 09:34:36

/福井ゆり子 翻訳/編集=銭海澎

 

中国語を日本語に翻訳しているとき、一番困るのが、食べ物の名称である。餃子(ギョウザ)、麻婆豆腐(マーボードウフ)、青椒肉絲(チンジャオロース)などはすでに日本に根づいているので、そのまま記しても問題がない。最近では、火鍋くらいはそのまま通用するようになった。でも、煎餅(ジェンビン)はいけない。日本にも同じ漢字を使うもののまったく異なる「せんべい(煎餅)」があるだけに、煎餅と書くことはできない。そのため、中国式クレープとか、パンケーキだとか、ちょっとピンとこない表現方法を余儀なくされる。

汉语成日候,最的就是食物的名称。子、麻婆豆腐、青椒肉等因在日本扎根,直接字也没问题。最近,火也可以通用字了。然而,煎却不行。日本也有使用相同字的食物,但是意思完全不同,所以,成日文就不能直接写“煎”二字。而不得不使用“中式可丽饼”“煎薄”之,乍看上去想象不出何物的表达方式。

 

日本のせんべいは、中国の煎餅とまったく違うだけでなく、地域によってもかなり趣が異なる。関西でせんべいと言うと、通称「瓦せんべい」のような、小麦粉で作られた甘い味付けの柔らかめのものが主である。しかし関東では、うるち米をつぶしたり、ついたりしたものを伸ばし、醤油や塩などで味付けして焼く(または油で揚げる)しょっぱい味付けのものが主だ。その他にも、デンプン粉を使い、エビや海苔など主に魚介類を入れた「えび満月」などのせんべいもある。

日本的煎和中国的煎是完全不同的两种食物,而且,根据地域不同,也不同。在关西提到煎主要指一种用小麦粉做成的酥香甜的点心,俗称“瓦片煎”。然而在关,是将粳米碾碎、碎,,用油或后烤制(或者油炸)而成的咸味食品。此外,有使用淀粉,加入紫菜等海制成的 “”。

 

歴史をひも解けば、縄文時代や弥生時代の遺跡からイモ類を平たく潰して焼いたものが出土しているが、これがせんべいの祖先と言えるものらしい。平安時代、空海が中国からもたらしたのが、関西系の「瓦せんべい」のルーツと言われる。一方、関東系のしょっぱいせんべいは、堅焼きせんべい、草加せんべいとも言われ、江戸時代に草加(そうか、現在の埼玉県草加市)で生まれた。この地方では昔から蒸した米をつぶしてまるめ、干したもの(堅餅)が食べられており、日光街道の宿場町として栄えた草加宿でこれが売られ、しだいに全国に広まっていった。

查阅发现代和弥生代的迹中出土类捣后烤制的食物,似乎可以算作是日式煎的祖先。而平安代,空海从中国的食品,据就是关西“瓦片煎的源的咸煎也叫做坚烧、草加煎为诞生于户时的草加(今埼玉草加市)而得名。地古将蒸熟的大米,弄,晒干后(成干)食用。由于草加当是江五街道之一的日光街道上的一个驿站,很繁所以,坚烧里出售,渐渐地就了全国。

 

日本人にこよなく愛されるせんべいだが、残念ながら、「煎餅」を使った言葉はさほど多いとはいえず、思いつく限りでは「煎餅布団(せんべいのように硬く、薄い粗末な布団のこと)」くらいだろうか。

是日本人的挚爱,然而憾的是,使用词汇并不多,我能想到的,仅仅被褥(像日式煎硬而略粗陋的被褥)”。

  

 

注釈

 

空海(774835弘法大師という諡号で知られる仏教・真言宗の開祖。遣唐使で中国に赴き、真言密教を日本にもたらした。「弘法も筆の誤り(誰にも間違いはあるという意味)」ということわざがあるほど著名な能書家でもある。

空海(774~835),号弘法大,是日本佛教真言宗的始人。曾作遣唐使到中国学密教,回日本后立真言宗(又称)。空海同时还一位著名的法家,有谚语为证 “弘法也有笔候(即都有犯候,智者千必有一失)。” 

 
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