「北国の春」と綿入れ
2019-03-19 14:22:48
何年か前に、日本のテレビ局のプロデューサーが中国から俳優を呼んで番組を作ったときのこと。
お昼になると、日本では会社が用意してくれた弁当をみんなで食べるのだが、初めのうちは何事もなかった。しかし、3日ほどたつと、中国側から不満の声が上がった。
「なんで毎日冷や飯を食わせるんだ。われわれは冷遇されに日本に来たのではない」と言うのだ。
東京の街中で、ときどき「ほかほか弁当」とか「ほっかほっか弁当」などと書かれた看板を見掛けるが、総じて言えば、日本では弁当は冷たいのが当たり前。しかし中国では普通、冷たいご飯は食べない。改革開放以来みんな忙しくなり、弁当を食べる人も多くなったが、中国の弁当はあくまでも「ほっかほっか」なものだから、わざわざ日本まで来て冷たくあしらわれることはなかろうと思ったのも無理はない。日本人スタッフも同じものを食べているという説明だけではどうしても納得させられず、結局、中国大使館の文化参事官の助言で、お昼に卵入りのスープをつけて事を「丸く」収めたとか。
中国人も日本人も同じ東洋人であり、お互いに理解しやすいと思われがちだが、生活習慣の違いにつながる文化の違いから、とんだ誤解を生み出している点にも注意を払わないわけにはいかない。
もう一つ例を挙げよう。
日本の演歌『北国の春』は、ご存じの通り、中国でも愛唱されている。この歌の美しいメロディーにひかれて、中国に伝わった当初から、幾通りかに翻訳されているが、そのうちの一つ、筆者の友人の訳詞が特に広く歌われている。ただ残念なことに、1カ所、両国の文化的相違から生まれた誤訳があり、それに誰も気付かず、市民権を得て今日まで歌われている。
問題の歌詞は、「季節が都会では分からないだろうと、届いたおふくろの小さな包み」のところが、「都会では季節の移り変わりが分からないから、おふくろが田舎から、都会に住む息子に綿入れを小包にして送ってきた」(住在城里不知季节变换,妈妈犹在,寄来包裹,送来寒衣御严冬)となっている。
日本の新聞に掲載された『北国の春』の楽譜(劉徳有氏提供)
中国人が「北国」から連想するのは、北風の吹く寒い冬で、都会に住む息子が今頃寒さに凍えてブルブル震えているのではないかとおふくろが心配する情景だ。この歌の翻訳者が中国東北出身であるだけに余計そう思ったのだろう。現に、筆者も60年ほど前、真冬に大連から北京に転勤になり、現地に着いて間もなく郷里から最初の小包が届いた。開けてみると、おふくろが入れてくれた新調の東北特有の黒色の綿入れだった。同じ東北出身の翻訳者が誤訳をするのも無理からぬことかもしれない。
問題はなぜこのような誤訳をしたのかだが、一歩掘り下げて考えてみると、やはり中国文化の影響だと思う。特に、唐代の詩人・孟郊(751~814年)の有名な詩の影響が大きい。
慈母手中線, おふくろ せっせと針仕事
遊子身上衣。 旅ゆくわが子の 身を案じ
臨行密々縫, 念入りに 一針一針袷縫い
意恐遅々帰。 息子戻るは いつの日か
誰言寸草心, 親には孝を と思っても
報得三春暉。 報いられない 母の恩
孟郊の詩は、中国で広く愛読されているばかりでなく、この詩に歌われた思想――わが子を愛し慈しむ親心が民衆の心に奥深く根を下ろし、社会の共通認識になっている。しかし、ここまで書いて、かつて日本で覚えた歌「母さんが夜なべをして/手袋編んでくれた/木枯らし吹いちゃ/冷たかろうて/せっせと編んだだよ……」を思い出した。この歌からも分かるように、わが子を慈しむ親心は世界共通と言えるが、孟郊の詩が示すように天候の変化や着るものに常に気を配る独特な発想は、あるいは中国的と言えるかもしれない。
しかし、よく考えてみると、『北国の春』は全体が春を歌っており、北国にすでに南風が吹いて、丘に辛夷が咲き、春がやって来たというのに、「綿入れ」うんぬんは明らかに矛盾している。日本人の感覚からいって、歌詞の中の「届いたおふくろの小さな包み」は一体なんだろうかと疑問に思い、日本の友人に聞いてみたところ、「たぶん、桜餅かお萩のような、都会にない旬の食べ物だろう」という返事が返って来た。なるほど、これなら理屈が合う。翻訳の歌詞に見られるような誤解は、まさに文化の違いが起因であり、「異文化」であるがゆえに、とんだ誤解を生んだ一例にほかならない。
日本の弁当は手が込んでいておいしく、中国人からも好まれている(劉徳有氏提供)
ある機会に、友人の翻訳者にいっそのこと訂正をされたら、と提案をしてみたが、「もう市民権を得たことですし、いまさら」と気が進まないようだった。思うに、「市民権を得る」ということは恐ろしいもので、いったん「市民権」を得たものを変えるということは、「一大革命」をやる以上に難しいのだということを思い知らされた。
以上、文化の違いをこまごま述べてきたが、その文化で思い出したことが一つある。ハーバード大学の入江昭名誉教授がいつぞや『外交フォーラム』に発表された論文で、タイトルは『文化と外交』。ちょっと辛口だが、引用してみよう。
「日中関係においていわゆる歴史認識の問題が常に表面化するのはその一例である。識者の中にはこの問題を防衛や貿易問題に帰属させて、中国政府は日本からより多額の援助を引き出すために過去の戦争のことを持ち出すのだとか、日本の教科書がこの戦争をどう扱っているのかについていちいち口出しをするのは内政干渉だとかいった意見を持っているものも少なくないが、そういった見解は、国際関係における文化的側面を軽視している。中国人にとって19世紀以降の歴史は屈辱の歴史だったという認識が国家成立の根幹をなしており、これに対して無神経でいれば、いつまでたっても日中関係は発展することはできないであろう」
入江氏の言う「文化的側面」とは何か? それはほかならぬ、19世紀以降の中国の近代史であり、帝国主義列強に侵略され、さいなまれたあの屈辱的な歴史であろう。入江氏は、中国の歩んできた道を考察する場合、国際関係の中のこの「文化的側面」をおろそかにすべきでないことを強調している。そのものズバリ、問題の急所を突いていると思うが……。
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