『華夏之心:中日文化視域中的洛陽』

2020-12-22 13:59:21

 

黄婕

中日両国の悠久の文化交流史を見届けてきた古都洛陽は、日本の歴史や社会にも深い痕跡を残している。「洛陽」という名称は京都を指す雅称として使われ、日本人は京都へ行くことを「上洛」と言い習わしている。奈良の大仏にも、洛陽・龍門石窟の盧舎那仏の影響が見られる。北宋時代の詩人・李格非が著した『洛陽名園記』をもとに造られた金沢の「兼六園」は、日本庭園の代表となっている。西郷隆盛が南の島に流された際には、「洛陽の知己皆鬼となり 南嶼の俘囚独り生を竊む」(京都の友人たちは皆死んでしまったが、自分だけが南の小島に囚人となって死なずに生きている)という孤独な憤りを込めた詩文を詠んだ。芥川龍之介、夢枕獏らの小説の中では、洛陽は盛唐という時代を最もよく表す華やかな舞台となっている。同書は大量の日本の資料を使い、日本側の視点から洛陽の歴史文化を味わい、中日文化の中の洛陽のイメージを探るものである。 

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