ダイコン

2019-05-06 14:54:22

安慶=文

 

 盧葦が初めて都会に出たのは、父親とダイコンを売りに行ったときだった。

 その年、盧葦は町の中学校に進学することになったが、家から遠かったため、学費のほかに食費も払わねばならず、両親はまともな服も用意してやらねばならないと相談していた。お金をつくるため、父は収穫したダイコンを都会へ売りに行くことにし、彼と父はロバ車に乗り、車の手綱を持って小さな黒いロバを一歩そしてまた一歩と歩かせた。空はまだ暗く、盧葦の目にはロバが真っ黒な塊のように見え、ロバは明け方の鳥のさえずりに耳をそばだてていて、ダイコンの葉っぱは風になびいていた。

 盧葦はその車に積んだダイコンが一体どのくらいのお金になったのかは覚えていないが、自分が初めて都会に出たときのわくわくとした気持ちは覚えている。高い建物や車、商店の門構え、あちこちで聞こえる物売りの声は、盧葦の目や心、そして耳をいっぱいにした。後に盧葦は町の中学校に入り、父に尋ねた。「父さん、次はいつ都会にダイコンを売りに行くの?」父は愛情たっぷりの眼差しで彼を見て、「ダイコンを売りに行かなくても、都会には行けるぞ」と言った。父は「都会には大きな本屋さんもあって、それは本を買う人や読む人が行くところで、本屋の中にはたくさんの本があり、一生かかっても読み終わらないんだ。お前がしっかり勉強すれば、都会に住むこともできるんだぞ」と言った。

 後に父は彼をその本屋に連れて行った。盧葦はそこにあるたくさんの本を目の当たりにして、本を目にしながら涙が本の上にこぼれ落ちた。見知らぬおばさんがやってきて、彼の頭をなで、「どうして泣いているの」と尋ねた。盧葦の涙はさらに勢いよく流れ出た。盧葦は本を2冊買い、おばさんは彼に本を1冊プレゼントしてくれた。おばさんがくれた本を彼は今でも大切に持っている。盧葦はその日、父に、「世界ってとっても大きいね」と言った。父は「しっかりやれば、世界中のたくさんの面白いものが、われわれのものになるんだぞ」と言った。盧葦はロバとともに来た道を家に向かってたどっていった。

 その後、盧葦は数カ月ごとに本屋に行った。

 後に盧葦は本当に都会に住むことになった。

 都会に住んでも、盧葦は一つの習慣を続けていた。それはダイコンを食べることで、緑の葉っぱと白い皮、あるいは緑の皮のダイコンだ。盧葦は市場で買い物をする時、真っ先にダイコンをカゴに放り込み、料理をする時には、必ずダイコン料理があった。

 あるうっすらと霧のかかる早朝、彼は階下に降りるなり、ダイコンを売る声を耳にした。その声は彼を震撼させた。

 彼は老人と少年、そして三輪車を見た。

 老人の売り声は少し重く、子どもの声は弱々しく、二つの目が乞うように階上を眺めていた。子どものまなざしは彼に子ども時代を思い起こさせ、少年時代の野菜畑や初めて父と都会に出て来た時の車に積んだダイコンを思い出させた。彼が背後の建物を仰ぎ見ると、階段の一つ一つがまるでダイコンを積み上げたもののように見えた。

 彼は車一台分のダイコンをほとんどまるごと買い上げた。その子どもは老人の手からお金をつかみとると、はしゃいだ声で、「父ちゃん、もう少しで学費が出るよ」と叫んだ。

 彼は子どもをつかみ、手を握りしめた。子どもは声を震わせて、「おじさん、僕が学校に行けるか行けないかは、全てこの車のダイコンにかかっていたんだ。父ちゃんはこの車のダイコンが売れれば学費を払えるから、続けて学校に行かせてくれるって言ったけど、もし駄目だったら……」子どもは泣き出した。

 彼の目にも涙があふれた。

 

翻訳にあたって

 中国語の「城」は日本語では「都市」にあたるが、これは中国の都市が城壁によって囲われ、城壁にいくつかの門があった城塞都市であった歴史に由来する。中国語で都市に行くことを「(都市に入る)」というのは、都市をぐるりと囲っている城壁をくぐって中に「入る」からだ。この文章では、中学のある「」を町とし、「城」を「都市」ではなく、「都会」とした。「都会」のほうが「都市」よりも観念的で、憧れのニュアンスが感じられ、よりふさわしいように思う。

 国土の広い中国では、農村の子どもが学校に行くためには、遠くにある学校まで通う必要があることが多く、そのために平日は学校の寮で寝泊まりする子も多い。現在では義務教育期間中の学費雑費は無償化されているが、寄宿費や諸費用の負担は農民にとってやはり軽いとは言えないようだ。(福井ゆり子)

12下一页
関連文章
日中辞典: