陽光路17号

2020-05-27 14:48:59

 

王虹蓮=文

鄒源=イラスト

 彼女と彼が結婚してから1カ月もたたぬうちに、彼は出稼ぎに行った。彼女は家で畑を耕したり、養豚したり、高齢の家族の世話を焼いたりしながら、彼が遠くから送ってくる手紙とお金を待っていた。

 彼の送ってきた金を受け取ると、彼女は子どものように銀行の営業所に駆けて行き、一銭を使うのも惜しんで貯金した。手紙を受け取ると、一字一句丁寧に読んだ。彼の字は下手だったが、彼女は好きだった。行間には、彼女に対する思いがあふれていた。

 彼女も返事を書き、恥ずかしながらも恋しい思いをつづった。彼の住所はとっくに記憶していて、陽光路17号というものだった。陽光路、なんてすてきな名前だろう。きっとあのにぎやかな大都市で、さんさんと太陽の光が降り注ぐ道なのだろう。彼女は陽光路17号に憧れを抱いた。

 彼女は、彼が書く外の世界についての文を読むのが好きで、当然、彼女はマクドナルドについて彼が語るのを読んでいた。手紙の中には、「君が来た時には食べに連れて行ってあげるよ」と書かれていた。

 その年の春節(旧正月)、彼は帰って来なかった。「会社で海南旅行に行くことになり、なかなかない機会なので行ってくる。来年は帰るから」と彼は言った。彼女は人に会うたびに、「夫は海南旅行に行くの。会社で連れて行ってくれるんだって」と言い、会社というのがとても格好いい言葉で、海南が外国みたいに聞こえた。

 彼女の貯金通帳のお金はどんどん増えていき、彼女は「来年は帰って来て、新しい家を一緒に建てましょう」と彼に言った。彼が家を離れてもう2年になり、彼女は彼に会いたくて気が狂いそうになった。新婚で離れ離れになってしまったのだから仕方ない。そこで彼女は自ら彼に会いに行き、サプライズをしようとした。

 3日間夜通し鉄道に乗り、彼女はとうとうその都市にやってきた。そこは本当に美しい大都会であり、彼女はたちまちその目まぐるしさにくらくらした。もしお巡りさんが彼女を助けてくれなかったら、右も左も分からなかっただろう。

 彼女が陽光路17号と書いた紙切れをお巡りさんに渡すと、お巡りさんは、「郊外だよ。市内から車で2時間かかるね」と言った。彼女は聞き間違えたかと思い、ぼうぜんとした。彼は市の中心だと言ったのに。

 2時間車に乗って、また人に道を尋ねると、ある人が指さしながら「ここを真っすぐ行って、あの辺りのバラックがそうだよ」と彼女に言った。彼女はとうとう陽光路17号と書かれたぼろぼろの看板を見つけた。

 そこに並んでいる家は、仮設のバラックだった。近くにいた人が、「ここのビルはもうすぐ建て終わるから、この辺りのバラックも間もなく取り壊され、ここの出稼ぎ労働者も家に帰るよ。彼らはここでもう2年も働いていて、お金を稼ぐために家にも戻らないんだ」と言った。

 彼女は泣いた。そのバラックの前に立ち、彼が海南旅行に行くと言ったこと、彼女をマクドナルドに連れて行ってあげると言ったことを思い出した。彼はここを全く離れたことはなく、マクドナルドも食べたことがないのだろうと彼女は確信していた。

 彼を探さずに、彼女はまた3日間かけて汽車で家に戻った。家に戻ると、彼女は「あなたが恋しいから、戻って来て」と手紙を書いた。

  1カ月後、彼は大小の荷物を抱えて戻って来たが、当然、もう冷め切ったマクドナルドのハンバーガーを携えていた。彼女は彼に食べさせようとしたが、彼は「君が食べて。僕は外でいつも食べていたから」と言った。

 彼女は涙を浮かべてそのハンバーガーという食べ物を食べたが、この小さなハンバーガーが10元もするのだという。食べ終わると彼女は、「おいしくない。いもがゆの方がおいしいわ。道理であなたが食べ飽きたと言うわけね」と言った。

 一晩かけて、彼は彼女に外の世界について語って聞かせた。彼はずっと陽光路17号について語り、彼女は聞きながら、暗闇の中で涙を流していた。最後には、彼女は彼の手を握り、「あなたがいるから、その道は陽光路というのね」と言った。

 彼女は陽光路17号に行ったことをずっと言わなかった。それは、彼女の心の中の幸福で切ない秘密なのだった。

 

翻訳にあたって

 マクドナルドは1990年に初めて深圳に出店したが、開店当初は、物珍しさから店の前には長蛇の列ができたという。当時の中国人にとって、マクドナルドのハンバーガーは高級な食べ物であり、食べたことが自慢になるようなものであったことは、この文章からも分かるだろう。同じように海南島も高級リゾート地であり、憧れの土地だった。日本人にとってのハワイやグアムのようなものだろう。

 この文章では、彼女はふるさとで彼を待っているが、貧しい農村では夫婦が別々の所に出稼ぎに行き、地元に子どもだけが残されるというようなこともしばしばある。こうした世話をする人のいない子どもたちは「留守児童」と呼ばれ、中国の社会問題ともなっている。(福井ゆり子)

12下一页
関連文章