手錠をかけられた父

2020-09-28 15:40:02

 

包利民=文

鄒源=イラスト

パトカーの音が聞こえてきて部屋の中に響き渡ると、息子は今にも心が折れそうになった。しかし父は普段通り落ち着いていて、先ほども言った言葉を息子の耳元で繰り返した。息子がやはりおびえた顔をしているのを見て、父はいきなり激しく怒った。「意気地がなさすぎだぞ、俺の言ったことを覚えたか!」

「覚えたよ」息子は頭を垂れて答えた。

「覚えたのなら、元気を出せ。たかが5年じゃないか。俺と離れたら生きていけないとでも言うのか」父は厳しく言った。

その時玄関が開けられ、完全武装した警察が家の中になだれ込み、有無を言わさず父親に手錠をかけた。息子はその後に付いて行き、「お父さん、見送るよ」と言った。玄関の外には大勢の野次馬がたかっていた。

門の外に出ると、息子は声を低くして警察に「父を見送らせてくれ」と頼んだ。

警察は少し考え、許可した。息子は父の顔を見て、「父さん、安心して。僕も戻らないから。出稼ぎに行ってお金を稼ぎ、父さんと一緒に戻って来るよ」と言った。父は重々しくうなずき、パトカーに乗った。

5年後、人々の記憶から忘れ去られたこの親子が一緒に戻って来た。

二人は道中ずっと無言で、時に視線を交わし合っていたが、息子の目にはあの頃の無力感はもはやなく、それに代わり強さと自信が見られた。父の目の中には、この上なく澄みわたった明るさがあった。

とうとう家に帰って来た。人々もとうとう彼らのこと、彼らの事件を思い出した。みんな家を遠巻きにして眺めており、「一人は出稼ぎ、一人はムショ帰り、今やどちらも戻って来て、食後の話の種もまた増えることだろう」と考えていた。

しかし、部屋の中では親子二人は無言で向き合って座っていた。家の中の全てが5年前に去った時のままだった。しばらくして、父親がようやくゆっくりと、「息子よ、ご苦労さん。まだ俺を恨んでいるかい?」と言った。息子はパッと顔を上げ、「父さん、恨んでなんかいやしないよ。感謝しなければいけないと思っている。この5年、僕は本当に多くのことを学んだから、これからは幸せに暮らせると信じている。父さんこそこの5年間、本当に苦労したでしょう」と言った。父の目は湿り気を帯び、彼は力強く首を振って、「お前が幸せなら、何事もそのかいがあったというものだ。本当にお前の言う通り、これからは幸せに暮らせるだろう」と言った。

外を取り巻く野次馬はまだ去らず、彼らはみな、「強盗をして刑務所に入った父が、失望して出稼ぎに行った息子と、これから何ができるというのか」と想像していた。 

家の中の親子は互いを見てほほ笑んだ。息子は立ち上がり、父に深々とお辞儀をし、おえつしながら、「父さん、あなたは全て僕のために……」と言った。

実際には、5年間出稼ぎに行ったのは父、5年間服役をしたのは息子だった。しかし息子の将来を考え、父は自分の人生の潔白を犠牲にしたのだった。彼は息子の罪を知った後、自ら警察に出頭し、警察の前でひざまずいて、自分の「芝居」に協力してくれるように頼んだのだ。息子のためと一心に願った父親に、警察も涙を浮かべて応じた。こうして5年前、父親が手錠をはめられ、息子に見送られるという一幕があったのである。

父は息子を抱き起こし、二人は窓の前に立った。夏の日差しがぽかぽかと差し込んでいて、5年間誰もいなかった家が、突然家庭的な雰囲気に満たされた。そう、彼らの幸せな日々はまさにこれから始まるのである。

 

翻訳にあたって

   この文章は日本人にとって、あまりにも現実離れした内容のため、ちょっと理解し難いかもしれない。冒頭の逮捕は「野次馬」たちに見せるために、父親が警察を巻き込んで行ったお芝居であり、実際には罪を犯したのは息子で、逮捕され、服役していたのも息子であるということが結末で明らかにされている。この話は親子の愛情をテーマにして涙を誘うとともに、わざわざこうした一芝居を打って周囲に見せる必要があるほど、中国人にとって「メンツ」は大切なものであるという事実を示しているとも言える。 (福井ゆり子)
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