雪を売る老人

2020-12-07 14:53:59

 

撫州娃子=文

鄒源=イラスト

その年、私たち一家6人は撫州文昌橋西のスラム街にある、撫河に面し、木の板で囲われた隙間風の吹き込む家にひしめきあって住んでいた。その時、父は失業しており、街で大八車を引いていた。母は橋のたもとで鉄製農具を並べて売っていた。長いこと十分に食べていなかったので、私も弟も背がとても低く、黒く、痩せていた。

その年は、弟が6歳、私が8歳だった。放課後、私と弟はいつも建築現場に行って、壊された家から落ちたコンクリートの塊の中から古い鉄筋や針金を抜き出し、資源回収所へ持って行き、売ってお小遣いにしていた。おじいちゃんは私たちが世事をわきまえているのを見て、いつも私たちの小さな頭をいとおしげになで、時にはあめ玉をいくつかご褒美としてくれた。私はおじいちゃんがどこからお金を手に入れていたか知らなかったが、彼からあめ玉をもらうのは私たちにとって一番うれしいことだった。

その年の冬、街ではほとんど毎日のように雪が降り、どこも白くかすんで、寒さが骨の髄まで染み入るようだった。吹きすさぶ北風がわが家の紙の窓をパタパタと鳴らした。

待ちに待った雪の後の晴天の日、私と弟はすぐに街に遊びに行った。街には人がたくさん出ていて、数日後には新年を迎えるため、みな顔に喜色を浮かべていた。

歩いていると、前方に人だかりが見えた。人をかき分けて野次馬に行くと、一人の老人が小さな木の腰掛けに座っていて、その背後に二つの雪の入った大きなカゴが置かれていた。

私は小さな女の子が老人の前に行き、雪のウサギを買いたいと言うのを見た。驚いたことに、老人は雪を一握り取り、二、三回いじったかと思うとたちまち小さな白いウサギを作り上げた。その後、彼はポケットから小豆を2粒取り出して、白ウサギの頭にはめ込んだ。二つの赤い目ということらしい。続けて彼は竹串を雪ウサギに挿してから、笑いながら女の子に差し出した。

突然、弟が叫んだ。「あれ、うちのおじいちゃんだ!」

私はびっくりして何度も見たが、確かにおじいちゃんだった。私はあわてて彼の口をふさぎ、弟が声を出さないようにした。

間もなく、男の子の手をひいたおばさんがおじいちゃんの前に行った。男の子は雪のキツネを買いたいとねだった。雪キツネは難しいに違いない! 私はおじいちゃんをひそかに心配した。でも、おじいちゃんは二、三回ひねるとたちまち生き生きとした雪キツネを作り上げた。男の子は雪キツネを受け取ると、うれしそうにニコニコした。

30分ほどの間に、私たちはおじいちゃんが十数匹の「小動物」を作り上げるのを見た。彼の浅黒く凍りついた顔には、かすかなほほ笑みが浮かんでいたが、そこに隠されていたのが喜びであるのか、辛酸であるのか、分からなかった。

その年の冬、おじいちゃんの手にはあかぎれができ、水に触れるとキリキリと痛んだようだが、私と弟はおじいちゃんからたくさんのあめ玉をもらった。これが今でも懐かしい冬の思い出だ。

数年後、わが家は次第に暮らしが楽になってきた。おじいちゃんももう雪を売りに行かなくなった。さらにその後、両親は私と弟を連れ、街の中心部にあるマンションに引っ越し、木造のあばら屋の日々と別れを告げた。しかし、おじいちゃんは何を言っても頑として引っ越そうとしなかった。

おじいちゃんが亡くなったのは、とても寒い冬の日で、どこもかしこも雪に覆われていた。こんなに雪が降るのは最近では珍しいと両親は言った。でも私は、お天道様は情け深いので、尽きることのない雪で、かつて貧しくて雪を売らなければならなかった老人を送っているのだと思った。

 

翻訳にあたって

 撫州は江西省東部にある市で、一番寒い1月の平均気温が4・9~6・3度ということなので、さほど寒さが厳しいところではない。だから余計に雪が降り続いたこの年は珍しく、おじいちゃんの雪の動物も子どもの心を捉えたのだろう。

 原文冒頭に出て来る「蜗居」は「カタツムリの住まい」の意味であり、狭苦しい家やみすぼらしい家のことを指し、自分の家を謙遜して言う言葉(日本語でいうと「陋屋」に当たる)であったが、最近では、住宅価格の高騰から十分な広さのある家に住むことができず、狭い部屋にすし詰めで住んでいる状態を指すことが多い。(福井ゆり子)

12下一页
関連文章