中国バレー界の若きエース スランプ克服し「東京」に挑む

2019-07-30 16:41:48

 

2019年、女子バレーボールリーグ戦で(VCG

 

張常寧さんは中国女子バレーボールチームのエーススパイカーで、2016年、チームメイトと共にリオデジャネイロ五輪で女子バレーの金メダルに輝いた。しかし、花束と拍手に包まれたのは一時で、彼女は周囲からの注目に大きなプレッシャーを感じるようになる。

18年、張さんは初めて江蘇省女子バレーボールチームのキャプテンとなり、チームを率いてリーグ戦に参加した。だが、連覇を達成できず、3位に終わった。その後、けがに悩まされた彼女は女子バレー世界選手権大会で精彩に欠け、世間の非難を浴びた。若い頃からその名をはせていた彼女のバレーボール人生に、大きなスランプが出現したのだ。しかし、この24歳の若き選手はこれに対し悩み苦しむこともなく、しっかり休養し、トレーニングに励み、19年のワールドカップと東京オリンピック予選で自らのベストを発揮できることを願っている。

ビーチバレーから転向

張常寧さんは1995年、江蘇省南京市のバレーボール一家に生まれた。父はかつて男子バレーボール中国代表チームのエースで、スパイカーとしてロサンゼルス五輪に出場した。彼女の兄もまた現役のバレーボール中国代表チームのエーススパイカーで、アジアカップで優勝したこともある。家族の影響で、彼女もまた自然にバレーボール人生を歩み始めることになった。

中学1年の時、張さんの身長はすでに192あり、同級生よりも40余りも背が高く、いつも教室の一番後ろの席に座っていた。体育の授業の時には、学校にある縄跳びが彼女にはあまりにも短かったため、ただ黙って同級生が縄跳びするのを見ているだけだった。同級生にとって印象深かったのは、学校で行われる毎年の運動会で、張さんはいつも100競走で10余りの差をつけトップでゴールインしたことで、彼女のクラスはいつも余裕でこの競技の団体優勝を手にすることができた。

14歳の時、ビーチバレー中国代表チームが張さんの人並外れた体格に目をつけ、スカウトした。この時から彼女はバレーボールの道を歩み始め、江蘇省代表チームを飛び越えて、直接中国代表チーム入りを果たし、史上最年少の中国代表メンバーとなった。しかし、彼女の3年間にわたるビーチバレーでの経歴は順調とはいえないものであった。張さんの身長の高さという強みは、敏しょう性とオールラウンドの技術が求められていたビーチバレーでは、あまり発揮する余地がなかったからである。また、戸外の灼熱の太陽のもとで彼女は真っ黒に日焼けし、美容を気遣う年頃の女の子として、ビーチバレーに嫌気が差してしまったのである。その後、室内のバレーボールの試合でこそもっと自分は役に立つと固く信じた彼女は、室内バレーへの転向を決めたのであった。

 

2016年のリオデジャネイロ五輪の女子バレーボール決勝で、中国チームはセルビアを破り金メダルを獲得。ファンをバックに授賞式で自撮りする張さん(新華社)

 

「天才少女」のプレッシャー

2014年、張さんは女子バレー中国代表チームの集中特訓メンバーに選ばれ、女子バレーの期待の新星となった。

中国では、女子バレーの国際試合はとても人気が高く注目されている。多くの国際大会で優勝を勝ち取ってきた中国女子バレーには、「女子バレー精神」というものがある。それは、苦労をいとわずに練習や訓練に打ち込み、粘り強く戦い抜く力をたたえ、手本とするものだ。こうした背景のもと、マスコミに「天才少女」と呼ばれるようになった張さんは、期待と栄誉を一身に集めただけでなく、重いプレッシャーをも背負うようになった。特に張さんが国の代表チームに入る前年、抜群の技術を持つ女子バレー選手の朱婷選手が登場し、彼女は常に朱婷選手と比較された。朱婷選手は現在、女子バレー世界一のスパイカーであり、朱婷選手のようになれるアスリートは数少ないと言える。これは張さんに無言のプレッシャーを与えた。

昨年、張さんは続けざまにけがに見舞われ、1年間代表チームの集中特訓にほとんど参加できなかった。どうにか世界選手権には間に合ったものの、成績は理想的とはいえなかった。今年になっても、中国女子バレーボールリーグ戦で彼女はいまだ良い成績を出していない。周囲で疑問の声が高まる中、張さんは「私はチームが必要とする時に何の貢献もできていないことに自責の念を持っています。競技スポーツでは誰もが勝利を手にしたいと思いますが、ミスをした時、自分のプレーが良くなかった時、とてもがっかりします。しかし、その気落ちしている姿をみんなに見られたくはありません。一人でシャワーを浴びている時にだけ、自分の気持ちに素直になれます」と言う。しかし彼女は、周りの評価にあまり影響されずに、けがからの回復訓練に専念するだけだとも話す。「私はプロ選手ですから、コートの内と外をしっかり分けることができ、コートに入れば気を引き締め、全力を尽くします。これはプロとしての基本的な心構えです」

コートの外で、張さんは自分と戦い始めている。身長195体重73の彼女は、コーチの助けもあるが、ベンチプレスで120を挙げる。これは全世界の女子バレーボール選手の中でも極めて少ない。彼女は、「父は、真面目に練習しないと試合の時に力を発揮できないとずっと私に言っていました。だから普段から練習に集中し、毎日少しでも前進していくことが、私が定めた目標です」と語る。

選手としての第二の人生 アシスト

今年3月、女子バレーボールリーグ戦が終わると、張さんはすぐに「両会」(全国人民代表大会と中国人民政治協商会議の年次大会)に参加するために北京にやって来た。江蘇省最年少の全人代代表として、張さんは今年が2度目の全国両会の参加だ。彼女が今回行った提案は、「アスリートの教員資格のハードルを下げる」というものだった。これは昨年の張さんの「アスリートというこの特殊な世界の入口と出口の問題について」という提案にも近く、どちらもアスリートの声を反映したものだった。

彼女によると、中国のアスリートの数は多く、その中でオリンピックメダリストや世界選手権の優勝者などのトップアスリートはごくわずかで、目立った成果もなく引退したほとんどのアスリートたちは、往々にして第二の人生を歩むに当たって壁にぶつかる。彼女の住む江蘇省は、小中学校の体育教育の発展をとても重視しているが、体育の教員は不足している。専門訓練を受けて引退したアスリートたちこそ体育教員に最もふさわしいのに、教員資格を得る筆記試験で、準備の時間が足りず、とても不利な状況にあり、合格率がとても低い。こうした状況のもと、張さんの提案は、彼らにまず体育指導に当たってもらい、それと並行して教育理論などの学識を深めてもらう、というものである。こうした方法で引退後のアスリートの将来を確保すれば、学校の体育教員不足も解決され、ウインウインが実現するというものだ。

「両会」終了後、張さんはまた代表チームに参加する。中国女子バレーボールは今年、東京オリンピック出場権をかけた戦いやワールドカップなどの重要な試合があり、張さんも中国女子バレーボールチームに欠くことのできないスパイカーである。彼女は今年下半期、最も良い状態にまでもっていき、試合で良い成績を出したいと願っている。(高原=文)

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