砂漠化と格闘40年 3世代継ぐ植栽努力

2020-07-14 12:09:42

 

2代目の「6人のおじさん」。左から、羅興全さん、王志鵬さん、石銀山さん、郭万剛さん、程生学さん、賀中強さん 

甘粛省古浪県の郭朝明さん、賀発林さん、石満さん、羅元奎さん、程海さん、張潤元さん6人は、1981年に共同で土地の開拓を請け負い、「八歩沙」造林地を造成した。当時、全員50歳を超えていた彼らは「6人のおじさん」と呼ばれた。

中国で4番目に大きいトングリ砂漠にある八歩沙は当時、不毛の地だった。砂漠の南縁が風化作用などにより、毎年7のスピードで南方の10の村と2万ムー(1ムーは約0.067)以上の田畑へ押し進み、3万人余りの住民の生活と沿線の道路鉄道に影響を及ぼしていた。「6人のおじさん」とその子孫たちは、3世代の力を合わせて38年の歳月をかけて、その荒れ地に木を植えた。彼らの努力によって、長さ300の防砂林ベルトがつくられた。

 

苗木の剪定をする郭万剛さん(右) 

初代は砂漠をオアシスに

1960、70年代にトングリ砂漠南沿いにある八歩沙に住む人々は、「一夜の砂嵐で砂が屋根と同じ高さに積もり、朝になればロバでも屋上に上ることができる」といわれるような厳しい自然環境の中で暮らしていた。地元の人々にとって、どのようにして砂嵐の被害を防ぎ、生きていくのかが最大の悩みだった。

同県では81年に、砂漠化した土地に対する生産責任制が実験的に実施された。石満さんが先頭を切り、それから残りの5人も砂漠の開拓を請け負う契約書に次々と母印を押した。彼らは八歩沙造林地を造成し、砂漠化防止の道を歩み始めた。

何の経験もなかった彼らは最初、「歩くごとに苗木を植え、水をかける」という昔ながらの方法を取っていた。最も若い張潤元さんはこう語る。「1年目の造林面積は1万ムーに達しましたが、翌年の春に強風が吹いて6、7割の苗木が吹き飛ばされてしまいました」。その後、苗木の周囲をわらで埋め、土台の砂を固める方法を取ったことで、苗木はようやく根を張った。

植えた苗木を保護することこそ大切な課題だ。「砂漠で一番難しいのは木を植えることではなく、植えた木を成長させることです。一夜でも見守るのを忘れると、近くの村で飼っている羊に食べられてしまいます。そのため、私たち6人は日が沈んでから夜12時まで、交代で『警備』に当たりました」と張潤元さん。風が強まる秋になると、砂を固める仕事量が増えるため、6人は自分の家族に呼び掛けて、10歳前後の子どもを含む6世帯合わせて40人余りが植林作業に身を投じた。

たゆまぬ努力の下、高木と低木、青草からなる緑地が八歩沙の中で徐々に広がってきた。十数年後、4万2000ムーもの砂漠には緑があふれ、「6人のおじさん」の頭髪は真っ白になった。1991年に賀発林さんが亡くなり、その翌年には石満さんも亡くなった。創始者は4人になってしまったが、彼らの息子や娘婿たちが植林事業を引き継ぎ、2代目の「6人のおじさん」になった。

 

植林後の黒崗沙 

2代目は植林で利益を

2000年に郭朝明さんの息子の郭万剛さんが八歩沙造林地の最高責任者になり、郭万剛さんがリードする中、八歩沙は1000万元を超える資産を有する民営株式会社にまで発展した。

もともと県の公務員だった郭万剛さんは当初、森林保護員という仕事に乗り気ではなかった。「この果てしない砂漠に人類はどうすることもできない。自分が神様になったと思っているのか」と父親に反対したこともある。しかし、猛烈な砂嵐を経験したことによって、彼の考えに変化が生じた。1993年5月、同県で急に強風が吹き出し、空が真っ黒に包まれると、郭万剛さんは舞い上がった大量の砂にのみ込まれた。九死に一生を得たが、23人が亡くなったことを知った郭万剛さんは、八歩沙に残ることを決意した。

「造林地を発展させるためには、現状を維持するだけでは足りない。砂漠化防止の事業をさらに拡大していくべきだ」と考えた郭万剛さんは、同造林地から25先の黑崗沙大槽沙漠迷沙という、トングリ砂漠の中でも砂嵐による被害が特に激しい場所に挑むと決意した。2003年から現在までに、それらの場所で2000万本以上の苗木を植え、6万4000ムーの森林を造った。郭万剛さんは、「八歩沙で働いているのはちゃんとした教育を受けたことがない農民ばかりでしたが、とても根性があって決して諦めなかった」と語った。

ここ数年間、同造林地は「三北」(東北西北華北) 防護林プロジェクト、「西油東送」(西部地域の石油を東部地域に輸送するパイプライン)や甘武鉄道(甘粛省、内蒙古自治区、寧夏回族自治区をまたぐ路線)などの工事による植生回復プロジェクトを請け負い、経済的利益を得ている。また、周辺に住む農民たちに砂漠化防止事業に加わるよう呼び掛け、多角経営を展開している。それによって、砂漠化防止に携わる人の数が増え、地元の人々の収入も増加した。

「まだこれからです。ドローンで林を巡回するほか、専門技術を持つ人材を引き続き雇用して、砂漠化防止事業で貧困から脱却する計画があります」と郭万剛さんは抱負を語った。

 

1980年代に八歩沙で砂漠化対策に励む「6人のおじさん」 

 

甥の郭璽さんに水のまき方を教える郭万剛さん 

3代目はさらなる革新を

17年春、郭万剛さんのおいの郭璽さんが同造林地の3代目の最高責任者になった。同年にはまた、初の大学卒業生の陳樹君さんを迎えた。若い世代は造林地に近代的な機械設備が足りず、植林技術も時代遅れだと考え、新たな砂漠化対策と造林地の未来の方向性を探り始めた。

地面に枯れ草を碁盤の目状に差し込む草の格子状植栽や、点滴かんがい、農業用ビニールシートによる保護など、若い世代は昔の方法に基づきながら砂漠化対策を革新し続けている。

陳樹君さんは「砂漠にだんだん緑があふれたことを心から誇りに思う。先人の努力に感心するとともに、今後も新しい技術と方法を駆使して彼らが作った緑の環境を守っていかなければならない」と述べた。

同県の山村に住んでいた王虎さんは、02年に一家で八歩沙に引っ越した。昔なら、山間地からの引っ越し先にするのは考えられないほど、砂漠の生活環境は苦しかった。それに対し王虎さんは現状を説明する。「八歩沙の環境はだいぶ良くなってきました。毎年、農作業と出稼ぎによる収入は合わせて3万元を超えていて、山間地の10倍はあります」

「八歩沙周囲に広がる10万ムーもの田畑に砂嵐の被害は全くなくなりました。環境が良くなり、山間地から引っ越してきた人も増えました。ここはようやく、砂嵐に襲われる地から富を築ける地にまで変わりました。数世代を重ねた努力が実を結んだのです」と、郭万剛さんは自信を込めて語った。(高原=文 新華社=写真)

 

山盛りのわらを縄で固定する郭万剛さん(左)

近代的な栽培設備を導入した造林地

 

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