元技師が世界的作家へ SF小説『三体』が大人気
2020-07-14 12:57:22
『三体』英語版のサイン会での劉慈欣氏(東方IC)
中国のSF小説『三体』が今年7月、通販サイト「アマゾン」日本版の文芸書売れ筋ランキングで1位になった。発売1カ月で版を重ね、販売部数も10万部を超える大ヒット。その数カ月前、中国では『流浪地球(邦題・流転の地球)』という、やはりSF小説が原作の映画が、今年の春節(旧正月)公開映画として興行収入1位(46億元)に輝いた。この大ヒットで2019年は「中国SF映画元年」と言われる。
二つの作品の共通点は、その著作(原作)者が劉慈欣氏であることだ。『三体』シリーズ(3部作)の小説は、SF界の世界的な文学賞「ヒューゴー賞」(2015年)と「ローカス賞」(2017年)を受賞。劉氏は、たった一人の力で中国のSF文学を世界一流レベルに押し上げたとたたえられている。
第1回アジア太平洋SF大会でファンにサインをする劉慈欣氏(2018年・北京で、東方IC)
日本の書店で平積みされ、ポスターも飾られる日本語版『三体』(写真・中嶋優奈/人民中国)
田舎の発電所のSF作家
劉慈欣氏は1963年、北京の生まれ。母親は小学校の教師で、父親は軍隊勤務を経て、中国中部の山西省にある山西陽泉炭鉱集団で働いていた。劉氏は、この炭鉱の町で育った。
「中学に入るまでは、父親のベッドの下にあった箱いっぱいの本以外、ほとんど本を読むことはありませんでした」と振り返る。その箱の中には、SF小説や科学読本が何冊かあり、中でもジュール・ヴェルヌの『地底旅行』に劉氏は夢中になった。その後、劉氏は旧ソ連のSF作家アレクサンドル・カザンツェフのSF小説『太空神曲(英訳タイトルはストロンガー・ザン・タイム)』や、英国の小説家H・G・ウェルズの『タイム・マシン』『透明人間』などを読み、SF小説のとりことなった。
SF小説を大量に読破するうち、いっそのこと自分でも書いてみようと思った――その時、劉氏は高校1年生だった。もちろん、当時彼が書いたいわゆるSF小説はとても稚拙で、SF風の色合いを帯びた作文にしかすぎなかった。
劉慈欣氏は85年に華北水利水電学院の水力発電エンジニアリング学部を卒業。コンピューター技師として山西省陽泉市にある娘子関発電所に配属された。娘子関は、険しい山々を背に閉ざされた場所にあった。劉氏によると、発電所は辺境の地にあり、発電所の技師という仕事も割と単調で退屈だった。毎日朝9時から夕方5時まで働き、仕事が終わると学校に娘を迎えに行き、家に帰れば晩御飯を作るという生活だった。
こうした生活の中で、SF小説を読み書くことは、単調な生活に潤いを与えてくれた。娘子関発電所で、劉氏が余暇にSF小説を書いていることを知る者はほとんどいなかった。彼が書いた小説は同僚に注目されることもなく、「最初の頃は誰も知らないし、知っても興味を持つ人もいなくて、大したこととは誰も思っていないようでした」
劉氏は99年春、書きためた作品から5編を選び、SF雑誌の『科幻世界』に投稿した。『科幻世界』には全国各地から数多くの投稿が寄せられる。しかし編集者の唐風氏は劉氏の作品に特別な価値を見いだし、すぐに彼に電話した。
電話での朗報に、劉氏は大喜びした。そこで、5編の小説のうちどれを採用してくれるのかと尋ねた。唐氏は、「一つじゃなくて、送ってもらった5作品全てを使いますよ。できるだけ早く載せましょう! あなたはわれわれの大切なライターですよ」と答えたのだった。
この時から、劉氏は『科幻世界』の力を得て、自身の創作のピークへと向かっていった。99年から2006年まで、彼は中国SF小説の最高の賞――銀河賞に7年連続で輝いた。
舞台劇『三体』で使われた宇宙船「ブルースペース」号の模型(東方IC)
未来感はSFの大切な土壌
中国のSFファンにとって、劉氏は早くから名が知られたSF界の実力者だった。しかし一般の人々は、『流浪地球』の大ヒットで初めて劉慈欣という名を知っただろう。
この映画は、太陽が間もなく消滅しようという時、地球上に無数のエンジンを造り、人類が地球ごと太陽系から飛び出し、宇宙に新たなわが家を探しに行く――という物語だ。欧米の映画には、人類破滅の災害が来る前に、人々がそれぞれ能力を発揮し生きる道を探るとか、「箱舟」を作って人類の代表を残すとかという話はあるが、劉氏は人類全体を地球丸ごと避難させる。この設定には東洋的な深い情感が反映されていると評価され、中国の観衆の共感を呼んだ。
『三体』も、『流浪地球』と同じように人類生存の危機に直面し、大災害の中で何とか生き抜こうとする作品だ。SF大作映画『流浪地球』が大きな成功を収めたので、『三体』シリーズ早期の映画化を期待する人も多い。しかし劉氏は、『三体』はスケールの大きな物語で、完全にこれを表現できるかどうかは大きな問題だと語る。また、『三体』はハリウッド風の商業映画の製作傾向にも合致せず、「ハリウッド映画のテーマは勧善懲悪ですが、『三体』は複雑すぎて、一言でその内容を表現するのは難しい」と語る。
しかし、中国が今まさにSF映画の最も良い成長期を迎えていることは、劉氏も認める。中国は急速に進む近代化の過程にあり、中国人の生活の最大の特徴は、変化に満ちていること、未来感に満ちていることだ。劉氏は「未来感というのはとても重要で、これはSF小説の市場が成長する肥沃な土壌です。中国が今、人々に与える最も強い印象とは何か? それは未来感です。世界でこれほど強い未来感があるところは他にない」と語る。
SF小説賞の授賞式でスターウォーズのジェダイに扮した劉慈欣氏(新華社)
さらに劉氏は続ける。「SF文学は国力のバロメーターです。貧しい国や弱い国から世界が注目するSF作家が出てくるとは考えにくいでしょう。これは伝統的な文学とは大きく異なります。現在、先進国の発展は完全に順序立って進められており、おおかた将来の姿を見通すことができます。しかし中国では、未来がどうなるかを語るのは難しく、だからわれわれは期待しているのです」
『三体』3部作の後、劉氏は長い間、新作を発表していない。昨年発表した短編集『黄金原野』では、人類の宇宙探索活動が進まないことへの憂慮を表現している。冒険心の強い空想家として、劉氏は早くからはるか彼方の銀河系や宇宙の果てへ想像の羽を広げている。そうした劉氏の作品から現実に引き戻され、人類の宇宙探査機がまだ太陽系を出たばかりであることを知ると、私たちも作者と同じように大きな失望を感じざるを得ない。
こうした大きな失望感を抱えながらも、劉氏は執筆に励んでいる。新作は『三体』とはまったく異なる物語であり、最近注目を浴びているバイオテクノロジーや情報技術に関したものだそうだ。劉氏は最後にこう付け加えた。「もし私の小説を読んだ人が、会社から帰宅する途中、道端で顔を上げ星空を数秒でも眺めたならば、私の目的は達せられたと言えるでしょう」 (高原=文)
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