莫高窟にささげた56年 デジタル化で永遠の美に

2020-07-14 13:25:56

 

敦煌高窟で壁画などを説明する樊錦詩さん(新華社) 

習近平国家主席は去る9月、国家勲章国家栄誉称号を42人に授与する主席令に署名したが、樊錦詩さんも「文化財保護の傑出した貢献者」として、国家栄誉称号を得た一人だ。

この栄誉称号は、彼女の56年にもわたる敦煌莫高窟の研究と保護への貢献――電子科学技術を利用してデジタル化することにより莫高窟壁画を再現する「デジタル敦煌」計画を推進し、文化財保護のための新たな基準を打ち立て、莫高窟の文化歴史に対する一般認識を大いに高めたこと――を表彰するものである。こうしたことから、81歳になる樊さんは、「敦煌の娘」と呼ばれている。

敦煌に根を下ろす

樊錦詩さんは20歳の時、北京大学史学部考古学科に入学した。大学の授業で学んだ敦煌の石窟に関する内容に魅了され、4年生になって実習へ行く際に、彼女はついに敦煌莫高窟に行くことができた。「私と同級生は皆、美しい洞窟芸術に心を奪われ、壁画や彩色塑像など素晴らしい芸術品でいっぱいの洞窟を一つ一つ見て回りました。関連の博物館に行ったことはありますが、このような石窟芸術を見るのは初めてで、その魅力は私たちに外の世界のことを完全に忘れさせ、まるで童話の中にいるようでした」と彼女は振り返る。

北京に生まれ、上海で育った樊さんにとって、敦煌の自然条件は驚くほど厳しいものだった。研究員たちが住む家は泥れんがで建てられたもので、電灯も水道もなく、シャワーはとてもぜいたくなものだった。付近に商店はなく、ラジオも聞けず、新聞もまた10日遅れで配達された。

これ以外にも、作業環境も劣悪だった。樊さんを最も悩ませたのは、断崖の上に掛けられた縄ばしごを登ることだった。1本のロープが崖の上から地面までつるされており、縄に沿って、左右に足場が挿してあって、これが洞窟に入る唯一の方法で、彼女は毎日先生たちと共にこのはしごを登って洞窟に入り、研究を行っていた。

「常書鴻先生や段文傑先生がこのような環境の中でもう十数年も研究を続けていることを知った時には、信じ難い思いでした」と彼女は語る。

敦煌では、環境の悪さや気候風土への不慣れのため、3カ月も経たないうちに樊さんは病気になり、学校に帰らざるを得なくなった。60時間汽車に揺られ、彼女はむくんだ両足を引きずって北京に戻ってきた。

 

莫高窟の保護に生涯をかけてきた樊さん(新華社) 

樊さんが大学を卒業する1963年、敦煌研究所は北京大学に4人の学生を欲しいと指名してきて、そのリストの中には彼女の名も挙げられていた。樊さんの父は、娘は体が弱いため、砂漠での生活に適応できないのではないかと心配し、娘を行かせないでくれと大学に手紙を書いた。しかし、彼女はこの手紙をこっそりと握りつぶしてしまった。「ためらいや動揺がなかったと言うとうそになります。北京と比べると、同じ世界とは思えず、荒涼とした黄色い砂の世界なのですから」と彼女は率直に語る。

夜更けに部屋の梁の上にいたネズミがチューチューと鳴きながら掛け布団に落ちて来た時や、気候風土に慣れず一日中伏せっていた時、樊さんは悔しさに涙を流した。しかし夜が明け、敦煌の石窟を一つ一つ巡っている時には、彼女はまた、「ああ、なんて素晴らしい、なんて美しいのだろう」と驚嘆せずにはいられなかった。

こうして彼女はとうとう敦煌に踏みとどまり、56年もの時が過ぎた。このため、彼女は武漢で仕事をしている夫と19年にもわたる別居生活を送り、毎年20日間の里帰り休暇の時しか一緒に暮らすことができなかった。86年、樊さんの夫はとうとう武漢大学歴史学部の職を捨て、敦煌にやって来て新たな研究に従事することにした。樊さんは夫のことを語るたびに、目にうれしさをにじませる。「もし夫が、君が武漢に来なければ別れると言ったなら、私はきっと彼に付いて武漢に行っていたでしょう。しかし、彼はそうは言わなかったので、私はどんどん図々しくなっていったのです」

永遠の命を与えるデジタル化

1998年、樊さんは以後17年に及ぶ敦煌研究院院長としての人生をスタートさせた。就任するなり、彼女は難題にぶつかった。地方の経済発展のために、関係部門が敦煌の商業開発を計画したのだ。これは樊さんを不安に陥れ、このために彼女は関連部門を飛び回って、人々に敦煌石窟のもろい状況を説明し、保護の重要性を重ねて強調した。「敦煌壁画はこんなに美しいけど、何でできていると思いますか? 泥と草と木です。もろいと思いませんか?」「文化財保護はとても複雑なことであり、誰にでもできることではありません。もし莫高窟が破壊されたら、われわれは歴史に対する罪人です。敦煌全体が一つのものであり、われわれは完全な敦煌を子孫に残さなければなりません」

商業開発の嵐が過ぎ去ると、樊さんは敦煌石窟の観光客受け入れ可能人数に関する研究を始めた。観光客の需要を満足させることと、文化財保護とのバランスを探ろうと思ったのだ。

 

敦煌莫高窟のデジタル展示センターでは360度スクリーン映画『夢幻仏宮』を鑑賞できる(新華社) 

「私たちは1908年に撮影された莫高窟の写真と現況とを比較し、100年余りの変化がとても大きいことに気付きました。現在、壁画はぼやけ、色も次第に退色しています。壁画は人と同じで、永遠に青春を保つことはできないのです」と彼女は語る。こうした劣化現象に対し、彼女は悲しみを感じ、焦燥も感じた。そこで彼女は研究者を率い、国外の文化財保護機関と協力し、壁画の病害防止や崖体強化を研究し、大量の塑像や壁画を保護修復し、全体的な科学的保護規範をつくり上げた。「例えば、総合的な砂嵐防止システムにより、私たちは敦煌の砂嵐を75%程度減らすことができ、文化財に対する浸食を大いに減少させました」

また一方で、彼らはデジタル化を手探りで推し進め、莫高窟をデジタル化によって、永遠のものにしようとした。2014年に建造された観光サービスセンターにおいて、観光客は洞窟に入る前にデジタル化映像により全面的に敦煌莫高窟の文化的な意味や歴史背景、洞窟の構成などを知ることができ、その後、専門のガイドに案内されて洞窟を実際に見る。

「このようにすれば観光客に短時間でより多くのより詳しい文化的な情報を知ってもらうことができるだけでなく、観光客の過度の集中により莫高窟に大きなプレッシャーがかかるのを最大限に緩和することができます」と樊さんは語る。

 

長い歳月の間に劣化した敦煌の壁画は、科学技術で適切に 

 

莫高窟148窟の涅槃仏を撮影するカメラマン(新華社) 

16年4月、「デジタル敦煌」がインターネットにアップされ、30の代表的な洞窟と4万5000平方の壁画の高精細度デジタル化コンテンツが世界に向けて無料で公開された。このサイトではさらに360度パノラマ体験サービスもあり、クリックするだけで、レンズがマウスの動きに合わせて移動し、観光客はコンピューターの前で石窟の中を遊覧しているかのように見渡すことができる。

この巨大なプロジェクトが完成した時、樊さんはすでに79歳になっていた。「文化財は輝かしい文明を秘め、歴史文化を伝承し、民族精神を受け継いでいくもので、先祖が私たちに残してくれた貴重な遺産です。バトンが私たちの手にある時に、手を抜くことはできず、莫高窟が少しでも傷付いてはいけません」と彼女は語る。

若い頃、樊さんは内向的で寡黙な性格だったが、西北地方で暮らしたこの50年余りの間に、強じんで率直な性格となった。彼女は、自分の厳しさと情け容赦のなさは有名だと自ら言う。仕事は早くかつ厳しく、話は単刀直入で、彼女を陰で「鬼婆」とののしる人もいる。「私がこの職を降りる時、みんなが『このばあさんも敦煌のためにちょっとばかりは役に立ったな』と言ってくれれば、私は満足です」と彼女は言った。(高原=文)

 

人民中国インターネット版

 

関連文章