海と宇宙つなぐ観測船で 激務果たし日常送る船員
2020-07-14 14:10:13
甲板で衛星観測・制御任務の成功を祝う技術者たち
「遠望3号」は中国が自主開発・建造した、次世代遠洋宇宙観測船だ。ロケット、衛星、宇宙船、宇宙ステーションなどを対象にした海上観測通信に主に使われ、「移動する科学の城」と呼ばれる。同船は進水から20年余りで、遠洋航海に53回出航し、海上観測・制御任務を84回完遂し、100%の達成率を誇る。中国に4隻ある観測船の中で、同船は最長の稼働時間と航行距離を誇り、これまで赤道30周以上に相当する約70万カイリを安全に航行した。
昨年10月、筆者は同船に乗り込み、航海での船員たちの仕事や生活の細部を記録した。
船内で衛星の観測・制御を指揮する専門家たち
一瞬のために万全の準備
昨年10月17日、四川省にある西昌衛星発射センターで通信技術試験衛星の打ち上げに成功した。遠望3号はその任務唯一の海上観測・制御ポイントとして、10日間の航海を経て南太平洋上の任務海域に到着しており、衛星打ち上げから約20分後に陸上の観測・制御任務からバトンを受け取り、対象を速やかに追跡した。船内に搭載した2台の観測・制御設備はロケットから送られたデータを直ちに受信するとともに、ロケットと衛星を観測し、後ろに控える衛星観測・制御センターと衛星発射センターにデータを送る。約500秒の全過程で、衛星分離など一連の重要な作業を力強く支える。
これは昨年4回目の海上観測・制御任務の内容だ。任務終了後、同船は大海原をさらに進み、他の任務を続けた。遠洋宇宙観測船はロケットや衛星などの追跡観測や制御を行う専門の船で、ロケットや衛星などの軌道や観測条件に従って適切な海域で任務を実行する。船上の観測・制御部上級エンジニアの何剣偉さんはこう話す。「中国の宇宙事業の発展に伴い、衛星が発射される頻度も高くなってきました。遠望3号は数年に1回の出航から、1年に数回の出航となり、1回の出航で複数の任務を行うまでになりました。ここから、中国の宇宙事業の日進月歩の発展をうかがい知ることができます」
海上での観測・制御は陸地と異なる。逆巻く大波、揺れる船体、不安定なアンテナなどの状況で、高速移動する宇宙機を短時間で正確に観測し、制御しなければならず、わずかなミスも命取りになる。対象となる衛星が大海に浮かぶ遠望3号の上空を通過する時間はごくわずかで、データの受信は一瞬のうちに行われる。業務には作業員の熟練した技能と万全の準備を要する。同船の動力システム機関長の陳超さんは、対象追跡時に、船内に搭載している設備が揺れの影響を受けないようにしなければならなかったと話す。このため、揺れを抑えるフィンスタビライザーを船底の前後に装着し、波による船体や設備の揺れを大幅に軽減した。
プラスチックごみを処理する船員。廃棄物は一カ所に集められ、港でまとめて処理される
船内生活を工夫
遠望3号は船長が今まで4回代わっており、現船長の倪留国さんは5代目だ。倪さんは1997年に大学を卒業してからずっと同船で働いており、23年間で77回の海上観測・制御任務に参加した。業務日数は取材時で3062日間で、8年以上も海上生活をしていることになる。「毎年200日以上、海上で任務に就いています。起きてもあるのは海と仕事ばかりで、行動範囲は船内だけです。携帯電話の電波もなければインターネットもないので、船員の心理的にも肉体的にも大きな負担がかかっています」
毎朝7時20分、朝食を知らせるラッパ音が船内に鳴り響き、船員がグループごとに食堂に集まって食事を取る。いつもと変わらぬ忙しい一日の始まりだ。朝食後にそれぞれ部屋の掃除や雑用を済ませる。8時20分、作業員たちは時間通りに持ち場に就き、その日の業務を始める。その後、昼食と昼休みを終えたらまた仕事だ。午後6時に夕食を済ませたら、仕事がある者は機関室で仕事を続け、それ以外の者は勉強会や報告会に参加する。消灯は午後10時半だ。船内はプログラミングされた「コピー&ペースト」のように、全てが規則的だ。
長期的な航海は船員に陸地での生活とのギャップを生じさせる。李俊超さんは遠望3号で仕事して6年になるが、家に帰るたびに会話が苦手になっていることを妻から不満に思われていた。そこで李さんは2017年から、船内で会話教室を定期的に開いている。毎日正午と午後6時に仕事がない船員が活動室に集まり、最近読んだ本やいろいろなテーマを話し合う。性格からブロックチェーンに関すること、『周易』の感想まで、しゃべりたいことがあれば何でも話す。参加者は最初ぎこちなかったが、すぐに言葉が次々と出始め、李さんも同僚もやればやるほど会話がますます上達したと感じた。「最近は妻としゃべっても全然しゃべり足りません」と李さん。
湿度が高く、大きく揺れる船内では疲れがたまりやすいので、船員たちはトレーニングを重視している。夕方になると、みんな甲板に出てきて運動をする。前部甲板でジョギングする者もいれば、後部甲板のジムでトレーニングマシンを使う者もいる。夜のジムは船で最もにぎやかな場所になり、午後11時になっても夜間勤務を終わらせた船員がジムに残っている。
50日間の航海を経て中国領海内に戻った遠望3号。甲板では船員たちが、電波を探して家族にメールを送っている
危険と緊張に満ちた任務
遠望3号では、船員のほぼ全員が自らの忘れられない航海の思い出を持っている。
船上で26年間働いている操舵手の馬立国さんにとって忘れられない思い出は、アフリカ大陸の喜望峰を初めて経由した時のことだ。1999年の無人宇宙船「神舟1号」観測・制御任務時、遠望3号は縁起の良い名前とは裏腹の危険に満ちた「死の峰」を経由した。当時は濃い霧が立ち込め、200㍍先も見えない中、1万㌧級の同船は荒れ狂う波に揺られていた。馬さんはロープを操舵室に結んで体を固定し、同峰の初経由を遂げた。
観測・制御システム高級エンジニアの劉輝峰さんは、乗船歴22年のベテランだ。今までの仕事の中で最も肝を冷やした出来事は、2005年10月の有人宇宙船「神舟6号」の観測任務だ。神舟6号は地球を76周し、複数の乗組員による数日にわたる宇宙飛行を実現した。当時、40周ぐらいまでは順調で、設備も安定していた。しかし宇宙船が地球に帰還しようという肝心な時に、海上観測・制御の任務を担っていた遠望3号のレーダーアンテナが突然故障し、上がらなくなってしまった。機関室に緊迫した空気が張り詰めた。宇宙船が地平線に現れる5分前になっても故障が直らず、指揮センターからは、「大丈夫か?だめなら放棄するぞ」という電話が何度も来た。最終的に故障が直り、アンテナが上がった時、宇宙船はすでに地平線から姿を見せていた。遠望3号は宇宙船が計画通りに安全に帰還するサポートをし、任務を完了した。
これら忘れられない思い出の数々を胸に、船員たちは次々と勝利の回航を果たし、また新たな旅路に出る。遠望3号は南太平洋での任務を完了後、港にわずか十数日しか滞留せず、物資の補給や設備のメンテナンスを終えると、再び大海原に乗り出した。海と空の間には、今後も遠望3号の伝説がつづられる。(秦斌=文・写真)
任務実行前に無線標識のバルーンを放して位置の補正を行う観測・制御技術者たち
夕方の甲板はトレーニングする乗組員でにぎわう
観測衛星アンテナ内で設備データを記録する船員
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