雲南奥地の貧困地帯に医療を 背負い籠の医者、山中を行く

2020-07-14 14:25:51

 

荷物を背負い、村へ向かう山道を歩く管さん(先頭)と同僚 

管延萍さんは珠海市による雲南省怒江リス(傈僳)族自治州の貧困救済活動で丙中洛鎮に派遣された第1陣の医師の1人だ。彼女は約3年間、食料や薬品を詰めた籠を背負って切り立った崖沿いの小道を歩き、山間部に点在する46の村の住人のために診察や身体検査を行い、「背負い籠のお医者さん」と呼ばれている。

2017年から続くこの貧困救済活動は今年3月で一旦終了する。管さんは珠海に残してきた息子と母のことをずっと気にかけているが、今では山村に住む精神疾患の患者やがん患者の方がずっと心配だ。「私たちは今、現地の医療スタッフの育成を急ピッチで行う必要があります。そうすれば、私たちがいなくなっても、村人により良いサービスを提供できるでしょう」と彼女は語る。

 

村人にリハビリ指導を行う管さん 

診察までが一苦労

医療に携わって28年になる管延萍さん(52)は、吉林医学院を卒業後、広東省珠海市金湾区三灶医院で外科医と産婦人科医を経験した。17年3月に金湾衛生計画部門が雲南省怒江リス族自治州の丙中洛鎮に公衆衛生とホームドクター制度を確立するため、管さんたちは医療スタッフとして現地に派遣された。

丙中洛鎮は東に碧羅雪山、西に高黎貢山があり、怒江が北から南へ流れている。雄大な自然に囲まれており、同自治州でも最も辺ぴな場所にある鎮だ。鎮内の村の多くは道路も通じておらず、村に出入りするには険しい断崖に作られた狭い小道を通る必要があった。ここは専門医の不足によって医師の派遣が行われているが、体重や身長測定などの基本的な身体検査をするだけで、実質的な診療はせず、村人たちも進んで受診しようとはしなかった。

管さんは初めて山村に行く時、丙中洛鎮の診療所にある心電図モニターなどを持って行き、村人に細かい検査をしようとした。だが診療所に来てみると、操作できる人間が誰もいなかった心電図モニターや超音波検査機は一度も使われた形跡がなく、倉庫の中でほこりをかぶっていた。そこで彼女は、現地スタッフに操作方法を教えるところから始めなければならなかった。

 

薬の正しい使い方を教えるのも大切な仕事だ 

管さんたちは大きな段ボール箱に医療機器や薬、インスタントラーメンなど数の物資を詰め、男性の同僚が心電図モニターを持ち、出発した。診療所の救急車が行けるのは山の麓までで、残りの道のりは荷物を持って歩くしかなかった。村につながる山道は、雲や霧に囲まれた断崖沿いの道のように険しく、5060度の急勾配によく遭遇した。全員がラバの足跡をたどりながら、はうように登った。このような道を登ったことがない管さんは、10分もたたないうちに息切れを起こし、登るほど足が震えた。抱える段ボール箱もどんどん重く感じ、段ボールをしばったひもに締め付けられた指は紫色になってしまった。

一行がやっとの思いで村に着いても、診察を受けに来る村人はいなかった。村長がラッパを吹き鳴らして何度も呼び掛けると、ようやく数人が物珍しそうに集まって来た。彼らは管さんが経験豊富な医師であり、健康検査を行える機器を持ってきたことを知ると、友人や家族を呼んだ。管さんたちが来たという知らせが村人の間で広まり、受診を希望する人がどんどん増え、管さんは初日から日が暮れるまでずっと働いた。

段ボールを抱えての山登りがとても不便なことに気付いた管さんは、鎮に戻ると背負い籠を買った。それに各種診察機器や食糧水を入れて山を登ることにしたため、「背負い籠のお医者さん」という呼び方が次第に広まった。

 

スマホのライトで夜間診療を行う管さん 

 

医療の面から村を変える

管さんは丙中洛鎮で忘れられない多くの「初体験」を経験したという。「私はここで初めて悔し涙を流しました。数日前にまだ20代の若者が亡くなったという知らせを村人から聞いたのですが、その原因は不治の病などではなく、お酒を飲み過ぎたことによる脳出血でした。私は彼のことを思うととても悲しく、残念に感じました。まだ咲いたばかりの花のような人生が枯れてしまい、年老いた両親が残されるという事実に心が痛み、公衆衛生の仕事の重要性をさらに深く認識しました」。決して楽ではない仕事環境であるため、珠海市は怒江への派遣医療スタッフを半年ごとに交替させていたが、管さんは自らその期間を3年に延長してほしいと申し出た。まだまだやらなければならないことがたくさんあると思ったからだ。

「私はここで初めて救急車の中で出産の手伝いをしました。その日、私たちは妊婦を転院させるために付き添っていましたが、地滑りがあって病院まで1時間の距離が3時間に延びてしまったのです。妊婦の出血が止まらないという一刻を争う状況でしたが、子宮収縮剤も不足していたため、1時間近く彼女の下腹部をさすり、分娩後の出血過多を防ごうとしました。母子共に無事であることを確認した時、自分の行動には意味があったと安心しました」と管さんは語る。

 

医療スタッフはこのような山道を往復する 

さらに管さんは、重症統合失調症患者にも会った。彼は真っ暗な小屋の中に20年以上住んでおり、ぼさぼさの髪と真っ黒な顔をし、体からは異臭を漂わせていて、常に暖炉のそばに無表情でうずくまり、人との交流を拒絶していた。管さんは彼との思い出を次のように語る。「彼を見た時、とても胸が苦しくなり、どうしたらいいのかと考えました。私たちは行動と真心で彼の心の氷を溶かすしかないと思い、彼との距離をゆっくり縮めました。そのうち、彼の頭を洗って髪を切り、爪を切り、新しい服と新しい布団を贈り、清潔な状態を保てるようにしました。ある日、彼は真っ暗な小屋から出て来て、日に日に回復していきました。今では私たちを見ると笑い掛けてくれます。彼との日々は、私の30年近い医師人生の中でも最も忘れ難いものです」

管さんは3年間で山道やつり橋にも慣れ、スマートフォン(スマホ)のライトを頼りに夜間診療も行えるようになった。彼女はたびたび疲れを感じ、家を懐かしみ、母親の体の具合や子どもの生活を心配したが、丙中洛鎮の村人のことを思うとより心が痛んだ。

管さんたちは丙中洛鎮の全住民5755人を貧困救済システムに登録し、貧困人口全員とホームドクター契約サービスを実施した。現在、彼女はここ5年間の現地の新生児と妊婦の死亡例の調査に力を入れていて、病気の原因の分析からなんらかの規則性を見つけられないかと考えている。「私がここを去る前に価値のある研究レポートを出せれば、現地の公衆衛生と基本医療に下せる政策決定に根拠とヒントを提供できるのではないかと思っています」(高原=文 新華社=写真)

 

丙中洛鎮に46ある村はみなこのような山と谷に囲まれている。自然が豊かだが、交通は非常に不便だ

人民中国インターネット版

 

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