中国画で描く日本の祭り 東京で傅益瑶の絵画展開催

2019-08-26 16:53:49

続昕宇=文 日本祭礼文化の会=写真提供

東京オリンピック・パラリンピックを来年に控え、日本ではさまざまなイベントが開かれて五輪ムードが漂っている。「東京2020 応援文化オリンピアード」もその一つで、中でも8月8日から東京・豊島区の東京芸術劇場で開かれる「傅益瑶が描く日本の祭り絵展」が話題を呼んでいる。

 日本の伝統文化を代表する祭りは、数ある日本文化の中でも海外に日本をアピールする重要なイベントの一つといえるだろう。本展は、日本に40年近く住み、各地の祭りを描き続けてきた中国人画家・傅益瑶さんの作品を紹介する。和服を着た人々や伝統的な建築物などの日本的モチーフが、中国の水墨画の技法で描かれている。このような作品が文化オリンピアード応援プログラムに認定されたことは、日本を世界にアピールする絶好の機会になった。

 中国近代画壇の巨匠・傅抱石氏の娘として生を受け、幼い頃から芸術と共に生きてきた傅さん。作品のエピソードや父・傅抱石氏の薫陶、そして自身が切り開いた新たな創作手法について語った。

 

少女時代に父・傅抱石氏と共に

 

三社祭のにぎわいが眼前に

 「みこしを担いでいる人は何を叫んでいるんだろう? この子どもは何だかとても楽しそうだ」「早くしないとおみこしが行っちゃう!」

 見学者は本展のメイン作品である『三社祭』の前で足を止め、描かれた人々と気持ちを重ね合わせるはずだ。絵の中の100人にも及ぶ人々は全員違うポーズで描かれている。遠くにかすんで見える寺社から、舞台は浅草だと分かる。ひしめき合う人たちと祭ばやしの喧騒が見る者の眼前に迫ってくる。

 『三社祭』は傅さんが今回の展覧会のために描き下ろした作品の一つ。「三社祭は以前にも描きましたが、一度描いただけでは自分のものにはできません。テストで一番難しい問題を最後まで残すことがよくあるでしょう? 私にとって『三社祭』はまさにそれでした。後回しにするほどプレッシャーは大きくなりますが、今まで培ってきたものがあればこそ、自信も実力もついてきます。ですからこの作品は最後に描き、今年の初めに完成させました」と、大作にかけた意気込みを語る。

 1312年に始まったとされる三社祭は、東京台東区の浅草神社の例大祭。毎年5月の第3金〜日曜日の期間中には150万人が見物に訪れる。名物の大行列を始め、100を超えるみこしやお囃子屋台、舞の奉納、子どもみこしが街を埋める。さらに屋台の呼び声や鳴り物、さまざまな掛け声が見物人の喧騒と混じり合い、祭りの雰囲気をますます盛り上げる。傅さんは、その浮き立つような祭りの情景を水墨画で見事に描き切った。

 また、会場には「鎮展之作」と題した、中国の無形文化遺産である端午節を描いた長さ14㍍に及ぶ作品『端午頌』も展示される。1000人もの人々と祭事の様子、ドラゴンボート、ちまき包み、雄黄酒(漢方薬の雄黄を混ぜた酒)など、端午節にちなんだ事物が緻密に描かれ、端午節の壮大な物語を余すところなく表現している。「中日両国の祭りをテーマにした今回の展示は、20年以上かけて日本の民間に伝わる祭りをテーマに創作を行ってきた私の集大成でもあります」と傅さんは語る。

 

『三社祭』 墨彩 180×180cm

 

中国的技法で描く日本の美

 地元の文化に根差した日本の祭りは芸術の題材として好まれるが、祭りを主なテーマに選び、かつそれを絵に収めることに成功した作品は、日本画や洋画ともに決して多くはない。傅さんは外国人でありながら、その試みに成功した。

 成功の秘訣は「胡蝶の夢」と「庖丁解牛」という二つのことわざに集約されると傅さんは言う。「胡蝶の夢」は、荘子が夢の中で蝶になったように、作者自らを祭りの一部に変化させるという意味だ。「庖丁解牛」は、料理の達人が牛を解体するこつを熟知しているがごとく、描きたい祭りを知り尽くし、歴史的・文化的背景を充分に理解することで、ディテールを忠実に再現できるという意味だ。

 「青森の祭りでは、実際に見て作品を描いてくださいという市長直々の要請がありました。祭りの当日は市長の隣というとても良い席を用意していただいたのですが、祭りの現場からは遠く離れた場所であったため、人の表情もよく見えません。ですから、私は人々と『同化』するために浴衣と花笠を買い、足が痛くなるほど一緒に踊りました。こうして『同化』することで得られたインスピレーションは、何ものにも代え難いです」と実体験を語る。「『遊ぶ』中で観察し、思考する」は傅さんのモットーだ。「見ただけでは祭りを描けません。自ら加わって場の雰囲気を味わい、人々との関係性をくみ取ることで、情景を生き生きと再現できるのです」

 中国画壇の巨匠である父との思い出について、「小さい頃は絵を描くことは好きではありませんでした。でも父の制作風景を見るのは好きでした」と意外なエピソードを語る傅さん。そばで見続けることで父の哲学を受け継ぎ、空間や人物描写で従来の概念を打ち破ったことが、日本の祭りを中国の水墨画で描く成功の鍵だったという。「『どんなものでもモチーフにはなる。問題は画家がそれを描けるか描けないかだ』が父のモットーでした。情緒にこだわる中国の水墨画と、雰囲気を重んじる日本の祭りの融合は、決して不可能ではありません。祭りは時間や空間の中で絶えず変化します。そして中国画の妙味は、時空の交錯を雰囲気で表現するところにあるのです」と両者の特徴を語る。「『三社祭』で描いた視点からは、雷門と浅草寺の五重塔と本堂を一緒に見ることはできませんが、中国画では同じ空間に配置することが可能です。写実と構成に重きを置く西洋画とは、この点が異なります」

 一方で、『佐渡の鬼太鼓』は新潟県佐渡島の祭りを描いた作品だ。色濃く鮮やかな日本独自の色彩が、当時の人々の装束を完全に再現している。本来、日本独自の濃色の着彩は中国の水墨画の技法とはあまり合わないのだが、傅さんは技術と経験で両者を完全に調和させた。金沢で行われた展覧会では1週間に約8000人が訪れ、中には300㌔も離れた遠方から車で駆け付けた人や、何度も足を運んだ人もいたほどの盛況ぶりだった。

 

『佐渡の鬼太鼓』 墨彩 181×187cm

 傅さんは、この作品は中日双方の画法の長短を補い合う典型だと語る。「獅子の白い髪には、日本画で絵の具として使われる重量感のあるパール粉を使いました。通常ならパール粉は主に『塗り』に使いますが、私は筆を『はらう』水墨画独自の技法を用いることで、日本画の絵の具を中国の水墨画に用いた違和感を感じさせず、さらに色と技法が効果的に映えるよう考えました。金や銀などの日本画の絵の具は中国画の線描に効果的で、作品の印象をさらにふくよかに見せてくれます」と、一幅の作品に凝らした多くの工夫を語る。

 

中日融合の美

 日本の祭りを描いた自身の作品が文化オリンピアードに選ばれた理由について、傅さんは「運が良かったから」と謙遜するが、「文化オリンピアードの理念と祭りの精神が一致しているからでしょう」とも言う。「祭りはその土地の歴史や哲学が凝縮された精神の発露で、それを理解した上で描かなければ、ただの『踊りの絵』になってしまいます。祭りの精神を追求した私の作品は、日本文化の精神を求めるオリンピアードの条件に合致したのでしょう」と分析する。

 中国の水墨画の技法は、日本の祭りの伝統美によって新たな境地を見いだし、日本の祭りは、中国の水墨画によって新たな時代の息吹を取り入れた。「私たちはよく『一衣帯水』という言葉を使います。水は大地に入り地を潤し、人を育みます。文化は『水』です。そして日本という大地で根を下ろし、芽吹いたのが祭りです。中国の水墨画で描いた日本の伝統美は、人々の心の内にある感動を呼び起こしました。これは、中国文化が持つ世界観と美学が世界に向かう中で、より多くの人々の共鳴を呼んでいる証しでもあると思います」

 

『京都祇園祭 山鉾巡行辻回し』 墨画 180×95cm

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