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澳門・歴史市街地 東西の文化が溶けあう国際都市

 

独創性に富む教会の建築

 

聖ドミンゴ広場

 ポルトガル人が澳門に上陸して以来、ここはキリスト教伝播の地となった。最初に澳門にやってきた神父は、木材と筵で教会堂を建てた。17世紀の中ごろからは、石としっくいで建てられた教会堂が多くなった。

 

 澳門の教会堂の建築様式は、欧州大陸のバロック式が主で、東洋及び熱帯地域の建築特色も融合している。ある教会堂の建物には中国風のデザインも見られる。

 

大三巴牌坊--聖ポール天主堂跡
 著名な大三巴牌坊は、聖ポール天主堂の前壁の遺跡である。聖ポール天主堂は極東地域における最初の西洋式大学・聖ポール学院に属した。1580年に創設された聖ポール天主堂は、1595年、1601年の二度にわたって火事に遭い、教会堂が焼け落ちてしまった。1602年より第3回の建て直しが始まったものの、ようやく完成したのは1637~1640年ごろのことであった。1835年、聖ポール学院とその付属教会堂はまたもや火事にみまわれたが、わずかに教会堂の正面の前壁、基礎の大部分及び教会堂前の石段だけは焼け残った。こうして、世界的に有名な大三巴牌坊――聖ポール天主堂跡となったのである。

 

聖ヨセフ修道院聖堂

 澳門にはさらに「小三巴」もある。それは澳門のもっとも美しい教会堂の一つ、聖ヨセフ修道院の聖堂である。その入口のホールには、四本のバロック式の木製のねじれ柱がそびえ立ち、大自然の光線が屋根の中央部の半円形の天井からふり注ぐ。そこに座ると、静かで穏やかな気持ちになれる。聖ヨセフ修道院は、1728年にイエズス会の修道士によって建てられた聖ポール学院同様、中国で伝道する宣教師を育成するカトリックの修道院である。創立以来、数百名のカトリックの聖職者を育成してきた。聖ヨセフ修道院と隣接する聖堂は1746年に建造が始まり、1758年に完成した。その規模は聖ポール天主堂に次ぐものであり、「三巴仔」とも呼ばれる。

 

 聖アンソニー教会の建造は、1558年に始まった。聖アンソニー聖人は「婚姻を保護する」神としてカトリック信者にあがめられているため、多くのポルトガル人がここで結婚式を行った。それを見た華人はここを「花王堂」と名付けた。

 

聖オーガスティン教会

 1591年にスペインのオーガスティン修道士によって建てられた聖オーガスティン教会は、最初は非常に粗末な建物だったため、風雨をしのぐために修道士たちがビロウの葉で屋上を覆った。風が吹くたびに、そのビロウの葉が風に舞い上がった。遠くから見ていた現地の人々にはそれが竜のひげが立っているように見えたため、「竜鬚廟」と呼ばれるようになった。この教会は澳門のもっとも古い教会の一つで、英語で伝道を行った初めての教会でもあった。教会の中には、大理石で作られた祭壇の上に十字架を背負うイエスの彫像がある。

 

仁慈堂大楼

 1569年に澳門の初代の司教・ドン・ベルキオール・カーネイロによって創設された仁慈堂は、慈善と救済活動を担っていたためにこの名がついた。その後、仁慈堂には中国最初の西洋式の病院・白馬行医院を開設した。そして、育嬰堂(旧時、孤児や捨て子を収容して育てた所)、ハンセン病病院、老人ホーム、孤児院などの機構も相次いで開設された。明・清時代の華人は教会を廟と呼んでいた。かつての仁慈堂には祭壇が設けられ、まるで小さな教会にそっくりだった。華人たちの間では「支糧廟」とも呼ばれた。

 

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