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浙江省江山市 江郎山の三つ岩 遥か遠く細い空

劉世昭=文・写真

江郎山は現地の人が神と仰ぐ山である。唐代の大詩人白居易は「いずくんぞ此の身に羽翼を生じ、君と来往して煙霞に酔ふを得ん(なんとかこの身に翼を得て、君と行き来し、山水の風景を楽しみたいものだ)」という詩句を詠み、この山の景観を褒め讃えた。明代の有名な地理学者・旅行家の徐霞客(1586~1641年)は、三度にわたり江郎山を訪ね、江郎山の「奇抜さ、険しさ、すばらしさ」を力を込めて賞賛した。

美しい江郎山

江郎山は晩期の丹霞地形(赤い砂岩や礫岩からなる切り立った断崖を特徴とする地形)で、その形成はジュラ紀末~白亜紀までさかのぼることができる。当時、激しい造山運動が起き、その後、白亜紀に3回にわたる造山運動が起こった。これによって、江郎山に盆地が形成され、赤い岩石層が堆積し、さらに盆地が上昇して、断層活動が起き、外力による侵食、地形の晩期化・再上昇など一連の過程を経て、人々の目の前に、神秘的で驚異的な、高く険しく奇妙な丹霞地形が姿を現したのである。

「中国で最も素晴らしい丹霞・一線天」と呼ばれる小弄峡

鐘鼓洞

江郎山は浙江省の江山市に位置し、主峰は標高819.1㍍で、この独立した小面積の高い孤峰と低い丘陵平野の組み合わせは、この丹霞地形が晩期に入り、さらに変化しつつある最後の段階にあることを示している。山の主体は天に向かってそびえている3つの巨大な岩である。昔、「江」という名の兄弟3人が山頂に登り、3つの大きい岩になったという伝説があり、江郎山と呼ばれるようになった。この3つの大きい岩は高さ360㍍余りで、まっすぐ高くそびえ、外見はタケノコに似ており、まるで刀や斧でスパッと切ったかのように、北から南へ「川」の字状に並んでいる。北から順に「郎峰」(819.1㍍)、「亜峰」(737.4㍍)、「霊峰」(765㍍)と名付けられているが、現地の人はこれを「三つ岩」と言う。

1000年近い歴史を持つ開明禅寺

郎峰のそびえ立つ岩肌に鐘鼓洞という大きな岩窟がある。その壁には明の嘉靖年間に礼部、吏部、兵部尚書を歴任した理学者の諶若水が題した「壁立萬仞」の字が刻まれている

江郎山を体験するには、山の切り立った断崖に造られた3500段の石の階段を一段ずつ登ってゆくとよい。長さ500㍍の「十八曲り古道」を登り、宋代・天禧2年(1018年)に建てられた開明禅寺を過ぎると、「会仙岩」と呼ばれる山肌にあるくぼんだ洞穴に到着する。伝説によると、ここは8人の仙人が集い、碁を打つところである。洞穴の壁には、砂と丸い小石の地層が見える。これは丹霞地形の中でも典型的な順層(岩の節理が上を向いて走っているもの)岩洞の景観である。硬い砂礫岩層の中に一層の泥岩が挟まれていたが、泥岩は脆く壊れやすいため、風化し、穴となったものである。さまざまな大きさの川の丸石によってできた「会仙岩」といわれる硬い砂礫岩は、今の山が昔は沖積平野だったという事実を人々に示している。これらの地形は地球の急激な地殻変化を示すものである。

「三つ岩」の谷底にあたる部分の風化殻(地殻表層の岩石が風化を受けたもの)。この平坦面と峰の組み合わせが晩期丹霞地形の典型だ

会仙岩

亜峰と霊峰の間にある細く深く切り立つ峡谷は、「一線天(わずかに天がのぞく谷間の意味)」または「小弄峡」「一字天」と呼ばれる。亜峰側の高さは228.5㍍、霊峰側の高さは256.1㍍に達し、谷底の長さは250㍍、幅は約4㍍で、きわめて雄大で峻厳である。ここから仰ぎ見ると、高くそびえた岩壁と線となった空がまぶしく、感嘆させられる。中国丹霞地形研究会の終身名誉会長であり、世界でも著名な丹霞地形専門家である黄進教授は、中国の数カ所の丹霞による「一線天」の景観を査察したが、いずれも江郎山の「一線天」の雄大さ、奇抜さ、峻厳さには及ばず、ここが中国でも最も素晴らしい丹霞による「一線天」だと考えている。

廿八都古鎮の民家に施された精美な木彫

廿八都古鎮の古民家

現在、江郎山の3つの峰の中で、頂上までの山道が通じているのは、郎峰だけである。郎峰の頂上から見下ろすと、遠くの平原には村と田園が錦を織りなすかのように見え、その傍らには3つの巨大な峰が独特な孤島となり、マツ属、スギ属、コノテガシワ属などの裸子植物の避難所となっている。

江郎山のふもとには、悠久の歴史と文化を持つ古い村がある。

廿八都古鎮の文昌閣

和睦彩陶文化村の村人は今でも原始的な手工技術で陶器を製作する 

北麓にある清漾村は、江南毛氏の発祥地である。偶然の一致だが、中国近代史上の著名人である毛沢東と蒋介石(母親が毛氏)はともに、ここの毛氏の第56代の親族である。

和睦村は最も原始的で、完全に保存された古陶器の製作基地である。その歴史は500余年にも及び、専門家に「陶文化の生きた化石」だと称賛されている。村には全盛期には「饅頭窯」と呼ばれる土窯が158個あったという。現在でも60個の土窯が残されており、最も原始的な製陶技術を見ることができる。

江山市内で出土した白亜紀の恐竜の卵の化石

和睦彩陶文化村の至る所で見られる原始的な饅頭窯

廿八都古鎮には、古建築群が大規模かつ完全に保存されている。民家の建築スタイルは多種多様で、浙江省、安徽省、福建省、客家、西洋など雑多な様式が融合され、あたかも古民家建築博物館のようである。

 

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