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豊かさ求めて絵筆をふるう

 

油絵で発展した村

 

大芬村の様子

 大芬村は客家が集まって暮らす小さな村だ。80年代末までは、他の農村と何も変わらず、家は平屋建てでじめじめとし、道端の池にはアシが茂り、そこらじゅうでニワトリやアヒルが群れをなしていた。日が落ちると、犬の遠吠えがひっきりなしに聞こえる。村人たちは米や果物を栽培して暮らしていた。

 

 89年、香港の画商、黄江さんが十数人の作業員を連れて大芬村にやってきた。黄さんは民家を借りて、油絵の制作や買い付け、輸出を始めた。これが各地のバイヤーから注目を浴びるようになり、大芬村に画家や画工がどんどん集まりだした。油絵制作の作業場や個人のアトリエ、画廊、書画を扱う店が村中にでき始めた。

 

 これにともない、村人たちの生活は変わり、村の様相も変化した。

 

 平屋は二階建て以上の立派な建物に取って代わられた。しかし、村にある客家の祠堂はそのままの姿で残されている。村のお年寄りたちは今も祠堂に集まっておしゃべりを楽しむ。

 

 「田畑を耕して生きていく」という昔からの考え方は、社会環境が変化するなかで、次第に変わった。家の貸し賃が主な収入となり、油絵によって生活が豊かになった。

 

 今では、ほとんどの家にパソコンがある。ピアノを買った家さえもある。

 

 子どもに絵を学ばせている家庭も少なくない。村の幼稚園は油絵のクラスを開設。近くの小学校の児童たちはここ数年、毎年のように全国の書画展で入賞している。「こんなに身近に画家や画工が暮らしているのに、影響を受けずにいられますか?」とは村人たちの言葉だ。

 

額縁などの絵画関連製品を見に、大芬村へやってくる人も多い

 村には700軒以上の画廊があり、規模が大きなものは30余りある。全国各地からやってきた画家や画工は、45000人にのぼる。村では、額縁、カンバス、顔料など油絵に関するものなら何でも手に入る。大芬村は油絵に関する製品の集散地となった。

 

 大芬村で制作している油絵は、ほとんどが複製画だ。画工たちの流れ作業で制作される。一枚の名画を何人かの画工たちで分担し、それぞれがそのなかの一部を描く。こうすることで、技術が熟達し、すばやく本物そっくりに描けるようになるのだ。熟練工は、一日でゴッホの『ひまわり』を十枚ほど描くことができる。

 

 こういった低コストの油絵は、欧米の装飾品市場で強い競争力を持つ。米国市場で出回っている複製画の70%は中国からの輸入で、そのうち80%が大芬村で制作されたものだという。

 

 昔は、「文人は商いができず、役人は金の管理ができない」と言われていた。一般的に、芸術にたずさわる画家は、市場についてよく知らない。彼らの作品は美術館や競売を通して市場に入るからだ。しかしすべての画家の作品が、美術館や競売を通して市場に入るとは限らない。

 

海外のバイヤーと油絵の取引を成功させた呉瑞球さん(大芬油画村管理弁公室提供)

 大芬村はすべての画家、特に学校を卒業したばかりの若い画家に、作品を展示し、それを金銭に変える場を提供。このため、全国各地から美術学校の卒業生や美術愛好家が集まる。大芬村で絵を制作すると、市場の需要が分かり、芸術と市場を上手く組み合わせることができるようになるのだ。

 

 大芬村に多くの利益をもたらした複製画だが、そこには知的財産権の問題が存在する。そこで現地政府は管理事務所を設立。国家の関連の法律や規定に基づいて、この問題を適切に処理し、画廊が合法的に経営するよう指導している。

 

 十数年の発展を経て、大芬村の油絵は二種類に分けられるようになった。流れ作業で制作する複製画と画家がオリジナルで制作する作品だ。村には、自分の作品を創作する画家が200人近くいて、それを扱う画廊も百軒以上ある。

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