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希望の種イネに歌う

 

天の恵み

春になると、中国雲南省のハニ(哈尼)族の人々は水源を祀る祭りを行う。歴史あるハニ族の史詩といわれる『虎培朗培』に、「谷にまっすぐに流れ落ちる滝がある」とカッコウが人間に教えた、という一節がある。

田んぼのあぜに並ぶハニ族の女性たち
「祖先たちは苦難の末、ようやく山の水を飲めるようになった」

ハニ族の人々にとって水源は単なる泉ではなく、神様でもあり、生命の繁殖と万物の豊作を庇護してきた。水神を祀るのは、ハニ族の数々の年中行事の中で最初の祭祀である。

誰が水神を祀るかは、村によって異なる。徳と人望のある3人の男性が祀るという村もあるが、熱水塘村では必ず男の子と若い男性一人ずつということになっている。祭祀役は毎年各所帯に順番にめぐってくるもので、欠席してはならない。

祭祀者は朝早く出発する。祖先たちがかつてそうしてきたように、途中で話してはいけないことになっている。背負い籠に載せた供物は昨年収穫したもので、なくてはならないご飯といけにえのオンドリのほか、象徴的な意味のあるもの、例えば、愛情をもたらす花、魔よけの石と草などがある。

元陽のハニ族が「どれだけ高いところでも、水が豊富」というのは、この地の水源がすべて高山の密生した森林の中にあるからである。

水源の前までやって来ると、祭祀者は運んできた供物――ご飯、花、石、草を祭祀台に並べる。続いて、2人揃って跪き、額づく。さらに鍋で泉の水を沸かし、オンドリをつぶして煮込み、食べる。供物と儀式には、神様とともに享受するという意味もあれば、祭祀者が来年再びそれらを手に入れることができるように、という意味もこめられている。

熱水塘村は大メコン川流域の紅河地区の哀牢山間部に位置し、1240人が暮らす。村の人たちの生計は925ムー(1ムーは6.667アール)の棚田が頼りである。

標高2000メートル以上の高山に開墾した棚田での稲作は、ハニ族の人々が生んだ奇跡である。この地の棚田は1段1段と積み重なって天へ向かって広がり、非常に壮観だ。大メコン川流域では、稲作は高山から平原、海辺にまで広がっている。

元陽の棚田
大メコン川流域は世界でもっとも早く稲作を始めた地区で、その歴史は3500年前までさかのぼれることが考古学者によって証明されている。また、世界最初の野生稲は湿度の高い山地に生育したことがわかっている。インド・アッサムの山間部から中国の雲南高原までの一帯が、野生稲の育つエリアであり、雲南のシーサンパンナ(西双版納)や玉渓には、現在でも数カ所の野生稲の生育地が保存されている。ミャンマーの北部においては、山の斜面の畑一面に野生稲から改良された第2代の稲が育ち、山坂稲と呼ばれている。

大メコン川流域は北から南へ温帯、亜熱帯、熱帯にまたがり、233万平方キロの肥沃な土地を多くの川が潤し、稲の生育に絶好の条件を提供している。そのため、この地は世界的な稲の主要生産地となっている。

稲作はまた、この地域に暮らす人々の主食と経済収入の大事な源である。稲の生産は、人々の生活の内容とリズムを左右する。稲の生産史がこの地区の文明史そのものであるといえる。

希望の種を撒く

稲作は、瀾滄江―メコン川流域の各民族の人たちにとって、生きるためにもっとも大切なことである。

畑を耕すヌォプさん
カンボジアでは、毎年「聖畝祭」(王室による耕作儀式)を行うことで、稲作が始まったことを示す。国王自ら犂を引き、儀式を取り仕切る。王妃は仙女に扮し、犂の後ろから種を撒いてついてゆく。この仙女は「南方の母」を意味する「マイホ」と呼ばれる。この儀式を行うのは必ず子どもを生んだ夫婦でなくてはならず、国王夫婦に子供がいない場合には国王の親戚が代わりに行う。

カンボジアの農民たちは、「聖畝祭」よりも前に耕作を始めてはならない。農期が遅れようとも軽率な行動を取るようなことがあれば、秋になっても収穫に恵まれなくなるといわれている。もちろん、国王も絶対に臣民たちを失望させるようなことはない。

大メコン川流域の北部と南部とでは、気候と地理的環境において大きな違いがある。瀾滄江上流の高山地域では、稲の収穫は毎年一度だけだが、瀾滄江―メコン川流域のもっとも肥沃な土地である下流のメコン川デルタでは、わざわざ田植えをすることもない。ベトナム南部の農民たちは、種を撒くだけで毎年4期作の収穫がある。毎年、長い距離を流れてきた大河の水や満潮によってもたらされた土砂が、もっとも環境にやさしい肥料となり、この地の稲は化学肥料や農薬を必要としない自然食となる。

ハニ族の女性たちは田植えの前に男性をからかう
熱水塘村では、水源を祀ったあと、ベイマーのヌォプさんが田んぼのそばで『虎培朗培』の歌を歌い始めた。  服を手に冷めたご飯を背負い  男は野良仕事に出かける  彼らが行かないと  棚田に水が入らない  牛が行かないと  棚田の雑草はそのままになってしまう

べイマーとはハニ族の史詩を歌う歌い手のことである。ヌォプさんは熱水塘村のべイマーで、数々の口承史詩を歌うことができる。『虎培朗培』には、月ごとに古くからの稲作技術がまとめられ、べイマーたちによって代々伝えられてきた。3月は田起こしの季節である。ここの田んぼは、すでに長い間水浸しであった。山の上から流れてきた水は冷たく、稲の生長には適さない。そのためハニ族の人たちは早めに田んぼに水を入れ、太陽の光で水が温まるようにする。こうしてやわらかくなれば、土地は起こしやすくなる。太陽の光に照らされて、男たちも腕をふるい始める。

タイの農民が耕作するときにも、田んぼのそばで歌を歌う人がいる。匡金さんは、農耕時代から伝わる古い民謡の歌える数少ない年寄りの1人である。田んぼのそばで最後に歌ったのは、1967年のことだ。その後、タイの稲作は機械化へと転じたため、匡金さんは田んぼを離れた。現在、彼女は舞台の上で、稲への賛美や感激の気持ちを歌い続けている。

だが、熱水塘村の女性たちは今でも田辺で歌っている。田起こしが終わり、苗も育ってくると、ハニ族は「開秧門」(苗開き)の日を迎える。

ミャンマーの稲は水の中で生長し、水の中で収穫される
この日、オンドリが朝一番の声をあげると、家々から炊事の煙が立ち上る。秋には金色に輝く卵のようなふっくらとした米粒が実る稲の収穫ができますようにという祈りをこめて、どの家も黍のご飯を食べる。牛にも黍で作ったおにぎりを少し食べさせるのは、人も牛も苦楽を共にするという意味がこめられている。

瀾滄江―メコン川流域の各民族には昔から互いに助け合うという伝統があるが、ハニ族の田植えも例外ではない。男性が最初の苗を植えると、手伝いに来た女性たちが走りより、からかうように水をかけ、ズボンのマチの部分に触れる。そうすれば、女性たちが田植えをしても腰が痛まないと言われているからである。

田植えが始まると、ベイマーのヌォプさんが歌い始める。女性たちもそれにあわせて声を揃えて歌う。  左手で苗を分け  右手で田植えをして  手を空かせてないように  日暮れまでに終わらせよう  一緒に踊ろう、一緒に歌おう 遠くに霞む山、響き渡る歌声。霧の中からハニ族の女性たちの歌声が、天籟のように聞こえてくる。

主人はこの日、男女を問わず、親しい人であろうと知らない人であろうと、通りかかるあらゆる人をこの盛大なイベントに引っ張り込む。田植えがうまくできなくても、苗がまっすぐに植えられなくても、主人は大喜びである。吉祥、豊作、幸福の始まりを意味するイベントであるためだ。

「開秧門」の日には、田植えは単なる労働ではなく、ハニ族の祭りである。瀾滄江―メコン川流域で暮らす稲作をする多くの民族にこのような祭りがある。

地域によって、栽培方法も異なる。ベトナムの南では、農民たちは種まきだけをし、田植えはしないが、多くの地域では手作業で、普通20センチほどの長さの苗を植える。ミャンマー中部のイラワジ川の流れる平原では、人々は先端がフォーク状の鉄製の道具で、長さ60~70センチほどの苗を植える。

幸福を刈り入れする

稲を刈り入れをするベトナムの農民たち
野生稲は今の稲の祖先であり、現在栽培されている稲を改良する際の貴重な遺伝子バンクでもある。中国雲南省における野生稲の生育地はもともと13カ所あったが、現在は2、3カ所を残すのみである。もしこの遺伝子がなくなったら、万が一稲の栽培に問題が生じたとき、人類は大きな災難に見舞われることになる。

野生稲から始まって、人間が育てた稲の種類はすでに1万種を超えている。それぞれ異なる地域での栽培が可能な稲である。熱水塘村のハニ族が栽培している稲は高い山地や低い水温に適応した品種であるが、ミャンマーのイラワジ川流域の稲は腰までの深さの水の中で育ってきた品種である。カンボジアのトンレ・サップ湖とメコン川デルタでは、毎年増水期に水位が5、6メートル以上高くなっても、稲を栽培することができる。現地の農民が栽培しているのは「漂稲」という稲である。泥の中に根を下ろしたこの稲の茎は水位の上昇とともに高く生長し、稲穂が水面を漂って日光をあびることができる。もっとも長い漂稲で7、8メートルにもなる。春の田植えが終わると、しばらくは農閑期となる。

収穫の季節
全体として見れば、大メコン川流域は農耕文明社会である。ここでは農作物のライフサイクルが人々の生活のリズムや内容を左右する。人々にとって、農閑期は休むときではない。生産、加工した農産品を市場に運んで販売したり、さまざまな植物で器や道具を作ったり、山に入って山の幸を集めたり、川に入って魚などを捕ったり、出稼ぎにいったり、親戚や友達を訪ねたり、住まいを建てたり修繕したりする。もっとも重要なのは、瀾滄江―メコン川の芸術の世界がこの季節に育まれることであろう。人々は歌ったり踊ったり、恋愛したり、縁日で友人と会ったり、刺繍をしたり彫刻をしたり、詩を作ったり絵を描いたりして、精神的に楽しむ。文明はこの季節に、日々充実し豊かなものとなってゆく。

稲もこの季節に少しずつ実ってゆく。ハニ族の人々は「新米節」を迎える。

新米節の間、農家の主人はまず自分の稲田から穂が長く稲の粒の大きな稲穂を木の葉で包み、稲田に吊しておく。大地への感謝を意味し、大地が引き続き豊作を与えてくれるようにという願いがこめられている。その後、一部のもみを持ち帰り、新米をつく。そして新米を炊き、新米酒を醸造し、祀った神様に供える。

新米で作ったご飯はまず犬に食べさせる。古くからの言い伝えに従ってのことである。遙か昔、大洪水で世の中のすべての農作物が流されてしまったことがあった。水が退くと、鳥が一本の稲穂を見つけた。いまにもついばもうとしていたその鳥を犬が追い払い、稲の種子を持ち帰ってきたことで、人々は再び稲を栽培できるようになった。こうしてハニ族は新米を食べる前には必ず、まず犬に食べさせるようになったという。

祭りが終わると、人々は新米を食べ、新米酒を飲み始める。多く食べれば食べるほどめでたいとされる。それでこそ、来る秋にはふっくらと育ったいつまでも食べ尽くせないほどの稲が実ると人々は考えている。

ベトナムの米の加工工場
新米を味わったのち、大規模な秋の刈り入れ作業が始まる。隣人たちは互いに助け合い、盛大な祝日のような日々が始まる。ベイマーのヌォプさんが、再び『虎培朗培』を歌い出した。 8月になった 8月の稲は、まるで水面下に集まった魚の群れのようだ 8月の稲は、空の果てまで黄色に染まる 赤い椿の木の船を漕ぎだして 母が編んでくれた麻袋と 手裏剣のような鎌を手に 両親の棚田の稲を刈り取ってゆく 女は稲をあぜのほとりに積み上げて 男は稲を載せた船を河まん中まで引いて 稲は蜜蜂のように舞い飛ぶ まるで足のある蜂巣のように 荷駄のそばに積み上げられて 米の生産量や貿易量は増え、収穫や加工の手段も進化している。メコン川流域のそれぞれの国の平原地域で、米の収穫は機械で行われるようになっている。南部に水系が密集している地域では、収穫された米は直接船で加工工場に輸送され、そのまま商品となる。大メコン川流域は世界最大の米の生産地区であり、この地域の収穫情況が世界の食糧市場の価格に直接影響する。現在、米の輸出量では世界で1、2を争うのが、タイとベトナムである。

気候や地理が異なるため、各地の稲の生育のサイクルや成熟する時間も異なる。ある土地では稲が風に揺られている時、ほかの土地の稲はまさに収穫の時期を迎えているか、早苗が育ち始めたばかりであるかもしれない。大メコン川流域の各地の稲田では、1年中土を耕し、種子を撒き、収穫し、加工、輸送する人々の営みを目にすることができる。メコン川には、米を輸送する船の往来が絶えることがない。

瀾滄江―メコン川は、まさに米の川なのである。(文・写真=李暁山)0809

 

人民中国インターネット版 2008年10月

 

 

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