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人々の祈りをのせて水神のドラゴンボート

 文・写真=李暁山

水の神

カンボジアのドラゴンボートレースでは、舳先で娘が踊りながら、漕ぎ手を励ます(新華社)

ラオスの首都であるビエンチャンは、紀元前4世紀に造られた町で、現地の言葉で「紫檀の城」という意味を持つ。言い伝えによると、かつてこの地には貴重な紫檀の木が豊富に繁っていたという。この町にはもう一つ、「月の城」という名前もある。古代のビエンチャンは建物の多くが白や黄色をしていた半円形の町で、緑の熱帯雨林に囲まれ、遠くから見るとメコン川の河畔の月のように見えたからだ。

タートルアン寺院はラオスの象徴といわれ、ラオスの国章にもこの寺院がデザインされている。寺院の前にあるタートルアン広場は、人々が集会や宗教活動を行う場所となっている。

タートルアン寺院の近くに小さなカフェがある。ノーアンさんは暇があれば、地元産のコーヒーを飲みながらここで友人たちとおしゃべりをするのが好きだった。

その日、彼らはタイのグラビア雑誌に掲載されたことのある一枚の写真について話しあっていた。1970年代、米国の軍人がラオスのメコン川で竜を捕らえたことがあり、のちにその軍人たちは、相次いで不思議な死を遂げたという話である。ノーアンさんたちは写真が本物かどうかは判断できないものの、彼らの神様である竜が捕まったことだけはどうしても信じられなかった。最終的に、仲間内で一番学識の豊かな人がこんな言葉で締めくくった。   

タートルアン寺院
米国人がラオスで竜を捕らえようなんて、あってはならないこと。   

もしも見つけたらそんなことは決して許さない、絶対に許さない。   

我々はメコン川で竜を育み、守ってゆかなくてはならない。   

竜は中国にだっていけるかもしれない。   

メコン川に沿って中国まで泳いでいけるほど、大きいのだから。  

彼らのいう竜はナーガであり、つまり体が長く目が大きく、頭に一つ角がある口の大きな牙をむく瑞獣(大蛇)のことで、メコン川流域の人々が広く信奉している神である。

言い伝えによると、釈迦牟尼仏が菩提の木の下で悟りを開いたとき、9つの頭を持つナーガがやって来て風雨を遮ってくれたという。そしてナーガは釈迦の保護神となった。大メコン川流域で小乗仏教を信仰する人々はみなインドからやって来たナーガを崇拝し、恭しく祀っている。ナーガは宇宙を創造することも破壊することもできるうえ、風雨を司り、信じる者に幸福な生活をもたらすものと信じられている。

ラオスの寺にある5頭のナーガの装飾
中国において、風雨を司る神は竜である。やはり体が長く、口が大きく、牙をむくが、頭の角は二本で、四つの足がある点がナーガとは異なる。しかし、竜もナーガも、水の中に生息する水を司る神であることは同じである。

このあたりでは、水の重要性が昔から神話や伝説、歴史物語として語り継がれてきた。人々の生活は水と密接な関わりがある。大メコン川流域のほとんどの地域には、雨季と乾季の二つの季節しかない。降雨量とメコン川の満ち引きは土地の生産物に直接影響する。水があるからこそ、この地の人々はイネを栽培し、2億人あまりを養うことができる。コメの生産のおかげで、社会も文明も発展してきた。人々は、船に乗り、川や湖で魚やエビを捕る。布を洗い、米をつき、粉をひく。豊かな水源のおかげで大メコン川流域の森林は繁殖し、農業も発達した。水のおかげで、この広い土地に、詩歌のような農耕社会が形成されたのである。

水は生命の源ではあるが、破壊力もある。ラオスの人々は水に対してあふれんばかりの感謝と同時に、畏れも抱いている。そのため水域からやって来るものすべてを神とみなし、水を司るすべての神を祀る。美味しいものを奉げ、線香をあげ、水辺で歌ったり、踊ったり、八方手を尽くして神に楽しみ、喜んでもらおうとする。また、神のふるまいや身振りをまねることで、自分と神との神性をおびた緊密関係を示す。

金のライオンの後ろに5頭のナーガの像がある

大メコン川流域の人々の心の中では、中国の竜もナーガも同じ神である。いずれも水を好み、飛び回り、姿を変えることを得意とし、瑞祥などの神性を持ち、風雨や水を司る。このような神性と大切な役割をあわせもつ以上、水を頼りに生きる大メコン川流域の各民族に崇拝され尊重されるのも、ごく自然なことだろう。

ドラゴンボートレースは、竜の姿を模倣することで水神を喜ばせようというイベントで、大メコン川流域の六カ国で広く行われている。

竜をよみがえらせる

神様を祭るイベントを開催するのに最適な時期は、農閑期である。  シアロン(下楞)村は中国広西チワン族自治区のメコン川の左岸にあり、川に沿って広がる村で、民家は左岸に向かって路地をなして並び、路地の端は埠頭につながっている。村のドラゴンボートチームは路地ごとに組織される。

毎年の旧暦5月5日の端午の節句には稲穂も実り、それまでの慌ただしい農作業もいくらか落ち着いてくる。川の水も穏やかなこの時期、村人は短い農閑期を利用して、豊かで穏やかな春の川でドラゴンボートレースを行う。それが終わると、収穫の日がやって来る。

梁秀庭さんは、シアロン村の祥集通りに住む農民で、農耕と養魚で暮らしを立てている。現在、祥集通りのドラゴンボートチームのコーチ兼リーダーである。彼のチームは昨年、村のドラゴンボートレースで優勝した。

ベトナムのメコン川に浮かぶ船にはみな目がついている。船にも命がある

レースの1カ月前から、梁さんは漕ぎ手のトレーニングを始める。漕ぎ手はみな路地の住民で、かけ声にあわせて動作を揃え、力を入れるトレーニングをする。梁さんは耕作の時期よりもずっと忙しくなる。

村の大工さんも大忙しだ。村の決まりで、優勝チームは竜の頭を自分たちのドラゴンボートに取り付けることになっている。そこで、大工さんは小学校の先生が新聞紙に描いた竜の頭を参考に、想像上の竜の頭を木で制作する。

実際に本物の竜を見たことのある者はいない。大メコン川流域において、竜とナーガはさまざまな水の神の代表であり、シュールな存在である。つまり、自然界の生物としては存在しない。しかし、人々は竜とナーガを見れば、必ず水を連想し、生命にとって水がいかに重要であるかを考え、感謝の気持ちを抱くのである。水は生命を育てる一方で洪水をももたらし、人々の生活をおびやかす。水神に対して、人々には感謝と畏怖という矛盾する二つの気持ちが共存している。

シアロン村のドラゴンボートレースが行われる川

ドラゴンボートレースは水の神を祀り、感謝と畏敬を示すために行われる。シアロン村のお年寄りは言う。「ドラゴンボートを漕ぐのは豊作を祈る風俗だ。竜がいれば水がある。ドラゴンボートを漕がない年には水害が起こるが、漕げば翌年には豊作になる」

祥集通りのドラゴンボートチームは連覇を目指して、早々に船の修理を始めた。木製の船は一年間使わずにおいてあったため、手入れが必要なのだ。

ラオスにおいて、ドラゴンボートレースは宗教イベントの一部でもある。普段ドラゴンボートは寺に奉納されており、チームを管理するのも寺の住職の仕事である。ビエンチャンでは、ドラゴンボートレースで手にした栄誉はチームに属するものではなく、ドラゴンボートそのものに属する。

ラオスのドラゴンボートは、必ず一本の木を彫った丸木舟でなくてはならない。ラオス人は、あらゆる木に保護神が宿っていると考え、船にする前の木を、代々祀ってきた。ノーアンさんは言う。

ラオスの寺に保存されているドラゴンボート

「保護神である木でドラゴンボートを造り、それを祀るのはナーガを祀ることに等しい。お寺のような神聖な場所に置かれ、祭りになると祭祀の儀式を執り行い、水の中にいるナーガに祈るのです」ドラゴンボートはナーガの化身なのである。

中国のドラゴンボートは、村の風水師が選んだ吉日に進水させる。毎年、進水前には厳かな儀式を執り行う。そのプロセスは「祭竜、点睛、振頭、翻身、進水」と呼ばれる。

まずは「祭竜」である。豚の頭、鶏を供え物として捧げ、教養ある人が祭文を読み、線香を点し、爆竹を鳴らし、一年間眠っていた竜を起こす。

「点睛」とは、ドラゴンボートの最先端に赤いペンキをつけた筆で点をつけることである。竜の目を覚まし、方向を見分ける。

それから漕ぎ手が掛け声をかけ、ドラゴンボートを担ぎ、村の狭い道を抜けて川辺へ向かう。漕ぎ手はこの過程でドラゴンボートから離れてはならない。万が一離れた場合、参加資格を取り消されてしまう。川辺に着くと再び叫び声を上げ、ドラゴンボートをひっくり返して水に入れる。一連の動作を終えてようやく、ドラゴンボートは本物の竜のように蘇るとされる。

 

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