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気丈に勤勉に優雅にメコン川の女性たち

 

地雷除去に携わるお母さん

大メコン川流域では、女性の地位は非常に高く、この地域で男権主義が幅をきかせたことはないという。古代の歴史において、多くの民族で女王が至上の地位を占め、母系氏族社会の気風も今日まで残っている。

ベトナムの爆発除去スタッフのタオさん

この地域の女性は非常に勤勉で、家事や家族の世話だけでなく、野良仕事をしたり、家で編み物をしたり、川で漁をしたり、さらに運搬や舟を漕ぐような力仕事までする。それでも、彼女たちは依然としてしなやかな立ち居振る舞いも美しい。

この地域の女性は商売も得意である。だから、家庭内の家計を握っているのも多くは女性である。外に出て商売をするため、社会的な仕事にも参与する。昔は訴訟の際に、弁護人を引き受ける女性もいた。社会における女性たちの役割は非常に独特で、その権威は日常生活においてもあらゆる面で発揮される。  毎日、ベトナムの女性たちは、早朝3時から切り花や野菜を売る市場で忙しく働きはじめる。瀾滄江―メコン川流域の各国で、一番の早起きは女性たちなのである。

クアンチ市に住むチャン・ティ・タオさんも、家族の中でもっとも早起きである。まず一歳の息子の朝ごはんを用意してから、夫とともに夜明け前に地雷場に駆けつけ、仲間たちと合流し、夜明けとともに作業にとりかかる。

この年若い母親である タオさんは、MAG(地雷対策NGO)のベトナム拠点の爆発物処理チームのスタッフである。ここのスタッフの半数以上は女性で、数十年にわたる戦争中にベトナムに残された数百万の地雷と不発弾を捜し出し、除去するのが彼女たちの仕事である。

MAGは1989年に英国で成立した国際民間組織であり、戦後遺留された各種爆発物の除去に取り組んでいる。現在、14カ国に支部があり、2300人の職員とボランティアが働いている。タオさんが所属する爆発物処理チームは、残留爆発物のもっとも多いエリアといわれるベトナム中部のクアンチ省で活動している。

1965年3月8日、国際女性デーのその日に、3500名の米国の海兵隊員がダナンに上陸、ベトナム侵略戦争が始まった。以来、数え切れないほど多くのベトナムの女性と子どもの命が奪われた。

戦争が終わり、戦争を引き起こした者たちは姿を消したが、残された爆発物は依然として庶民の安全を脅かし続けている。ベトナムの大地には、まだ約350万の地雷および数十万トンのその他の爆発物が埋まっている。平均して1日6回ほどの爆発が起こり、すでに4万人以上が命を失っている。負傷者も数え切れない。比較的地雷の集中するところでは、ほぼ毎週のように地雷や爆弾を踏んで死傷する人がいるという。

タオさんは、自ら進んで爆発物処理チームに参加した。彼女自身、仕事の危険性は身にしみて知っている。彼女の叔父は、漁の最中に爆発した水雷のせいで障害者となってしまった。さらに祖父も、土地を開墾している最中に地雷を踏み、命を落とした。11歳のときには、仲良しの友人が爆発で右足を失った瞬間を目撃した。タオさんはボランティアスタッフとして、ベトナムの大地で人々を脅かすすべての爆発物を除去しようと心に決めたのである。

地雷除去の準備をするスタッフたち

彼女も同僚も、まず専門家による厳しい訓練を受けなければならなかった。すべての訓練に合格してはじめて、地雷除去の作業現場で働くことができる。

探知機で地雷を探知することと花模様を刺繍することはまったく別の作業だ。しかし、細心の注意を払わなければならず、一ミリの土地も見過ごしてはならないのは地雷探知も刺繍も同じである。

ベトナムの伝統的な考え方では、女性はまず良い妻であり、良い母でなくてはならない。実際、今日の大多数のベトナム女性はこのように暮らしており、タオさんも例外ではない。

彼女は普通のベトナム女性であり、その生活はどこまでもごく平凡である。穏やかな生活に、彼女は非常に満足している。夫と息子を愛し、このむつまじく楽しく家族を大切にして過ごしている。野菜市場へ行き、ビーフン売りや魚売りと駆け引きをして買い物し、食事を作る。また、息子の手を引いて歩き方を教え、歌を歌って聴かせる。そして、同僚たちとともに厳格な操作規定に従って、真剣かつ丁寧に探知機と爆発物除去の道具を点検し、死と向き合って地雷を捜す。

爆発物処理はきわめて危険な仕事であり、うっかりすると、思いもよらぬ残酷な結果が待ち受けている。

この美しく物静かな女性の毎日は、そんな地雷場と野菜市場と家の三カ所を行き来する生活である。

MAGとの長時間に及ぶ協議の末、地雷場に入って彼らの作業を撮影できることになった。決められた範囲内に限り、最小限のスタッフのみで、すべて関係者の指示に従い、一切の事故は自己責任とするとの条件のもとで許可を得た。

これは、人類の勇気の記録である。

隊員たちが、防護服の装着を始める。タオさんの夫も、スタッフの一人である。二人は地雷エリアで知り合った。毎回作業に取りかかる前には、必ず夫がタオさんに防護服を着せ、安全ベルトを締めてくれる。みな厳しい訓練を受けた専門家であり、あらゆるミスが残酷な現実につながるということを、はっきりと認識している。

地雷に注意するよう呼びかける看板 地中から除去された不発弾

防護服の中間層は、数十キロの重さの鋼鉄板になっており、従業員の内臓を保護するようになってはいるが、体のほかの部分は無防備である。

除去作業が始まった。隊員たちは1メートルずつ間隔を開け、横一列に並ぶ。幅1メートルの範囲内を、繰り返し探知機でスキャンし、疑わしい信号がないことを確認してから、10センチだけ前に進む。こうして、10センチ単位で前進してゆく。一日の進度はわずか10メートル程度である。

専門家の推測によれば、1平方キロの範囲内に分布する爆発物を除去するには、およそ2年かかる。このペースで計算すると、ベトナム全土の爆発物が除去されるまでに、百年ほどかかることになる。

1メートルの距離のスキャンが終わると、除去済の目印として、地面に木製の竿を打ちこむ。

疑わしい目標が見つかったら、爆発物であることを再度確認したあと、女性スタッフは退去し、地雷除去の専門家が除去に取りかかる。

専門家はまず手で土を掘り、注意深く地雷のまわりの土をかき出してから、そっと地雷を取り出し、指定のエリアに並べ、番号をつける。責任者がこれらの地雷や爆弾を集め、定期的に決められた場所でまとめて点火する。

統計によると、ベトナムのクアンチ省でこれまで爆発物処理チームが作業を行った220ヘクタール以上の面積のうち、タオさんと同僚たちは7500発を超える地雷と各種爆発物を除去した。

地雷が除去された土地に、人々は木を植えた。彼らはこの木々を「平和の木」と呼んでいる。大地は、再びかつてのような活気を取り戻した。

瀾滄江―メコン川は万物を潤す。メコン川の恩恵を受け、あらゆるものが美しく輝いている。

 

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