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一大ブームの水郷――朱家角

高原=文・イラスト 馮進=写真

朱家角は上海市の南西部、青浦区内に位置し、上海一帯の数ある水郷のなかでも最も名声を博している古鎮である。七宝、練塘、南翔、嘉定などの著名な古鎮に比べても、朱家角は一段格が上と言っていいだろう。規模も大きい。名勝古跡が点在する街中には、画廊、博物館、アトリエ、茶館、居酒屋、バーなど観光客相手の建物がそこかしこにあって、そこではさまざまな催し物も行われており、それがまた朱家角にほかの古鎮とは違う一種独特のしゃれた雰囲気を醸し出しているのである。

■ 夜の章

まずは、暮れ方の朱家角をそぞろ歩いてみよう。人の姿がだんだん少なくなり、昼間に比べてずっと静かになる。狭い通りの両側に並ぶ店の軒先につるされた赤い提灯が夜露に濡れた石畳を照らし出し、昼間とはまた違った朱家角を演出する。明かりのともされた店内にはさまざまな商品が所狭しと並べられているが、中国人にはどれも見慣れたものばかりだ。それでも、その種類の多さは目を見張るばかりで、ついついあちこち見て回りたくなってしまう。もしかしたら取って置きのお宝が見つかるかもしれないという期待感がそうさせるのかもしれない。

通りに出て先を急ぐと、小さな石造りの橋にさしかかる。橋を渡っても道の両側には同じように赤い提灯をつるした店が続き、何歩も歩かないうちにまた石造りの橋に出くわす。橋を渡るとまた店が軒を並べていて、ずっとこのまま永遠に同じような町並みが続くのではないかと思ってしまうほどなのだ。

朱家角古鎮の面積は、ことほどさように広く、加えて何本もの水路がうねうねと街中を走り、架けられた多くの橋が複雑に入り組んで、さながら水上の迷宮といった観がある。昼間、ここを丸一日歩き回ったとしても、すべての街角を歩き尽くしたとは思えないほどに複雑なのだから、夜ならなおのこと。それほど歩いてはいないのに、同じような景色が眼前に現れ、あれっ、この店はさっき通り過ぎたはずなのにと、一瞬とまどってしまうのである。

わたしの脳裏には、日本のホラー小説作家、恒川光太郎の作品『夜市』に描かれた光景が思い浮かんだ。暮れ方、主人公は学校に棲む{こうもり}蝙蝠がもたらした「今宵は夜市が開かれる」との知らせに導かれて出かけるのだが、静まりかえった森を抜けると、そこには本当ににぎやかな夜市が開かれていたのである。それは人と妖怪がいっしょに繰り出す不思議な光景で、露店にはどんな堅いものでも断ち切ることのできる剣や黄泉路の路傍にころがっていた石など思いもよらない品々が並んでいるのである。「欲しい物が何だって手に入る、代わりに何かを買うまでは絶対に元の世界には帰れない」のだ。

朱家角の夜は、そんな「夜市」を思い起こさせるほどに幻想的で、訪れたものを魅了してやまない。

小船に乗って夜の朱家角を遊覧してみよう。居酒屋には灯火が明るくともり、客たちが川べりに寄って声高に談笑する様子がくっきりと見える。その奥の民家群はもう一面の暗がりで、軒の端っこにいる何匹かの野良猫の姿が黒いシルエットになって浮かび上がっている。そのもっと奥には、中国の著名な作曲家、譚盾が日本の建築家、磯崎新との合作で建てた「水楽堂」があり、そのあたりから管弦楽の音色が流れてくる。バッハの曲だ。そうか、演奏会がもう始まっているのだ。

耳を澄ますと、「円津禅寺」からは禅楽の音色も伝わってくる。鉦の音と僧侶たちが吟唱する声とが対岸から川風に乗って流れてくるのだ。

「課植園」では週末に昆曲『牡丹亭』の公演が江南の庭園という実景を舞台に行われており、日が落ちるころに幕が上がる。第三幕の「幽媾」に移るころには、夜の帳が下り、ヒロインの杜麗娘が柳夢梅と再びめぐり合うクライマックスの一幕が演じられる。

洋楽と禅楽と、そして江南を代表する昆曲と……。船べりを打つさざなみの音と相まって、美しい旋律の中で朱家角の夜はふけていくのである。

■ 昼の章

日が昇るとともに朱家角に明るく晴れやかな一日が訪れる。

古鎮まではまだしばらくあるというのに、濃厚な(食欲をそそる)肉料理のにおいが鼻をつくのである。朱家角の入り口には、何軒かの肉粽(肉入りちまき)を売る店がかたまっていて、その店々が肉粽や肘子(豚のもも肉のしょうゆ煮込み)などの名物を売り始めるのだ。おもしろいのは、どの店も「阿婆」(おばあさん)の屋号を掲げていること。「王阿婆粽」「李阿婆粽」「小林阿婆粽」といったぐあいである。そして「阿婆」たちが店頭で肉粽づくりを実演してみせる。

店の軒先には阿婆がマスコミの取材に応じている写真が掛けられ、ビデオで阿婆たちが出演したテレビ番組が紹介されている。こちらの店では「一日に一万個の肉粽が売れます」とのキャッチフレーズ、その向かいの店では「一日に一万二千個の肉粽が売れています」とのキャッチフレーズ……。ともに商売繁盛、の熱意があふれている。

正午近く、朱家角は一日で一番のにぎわいを見せる。商店街は人でごったがえし、「放生橋」前では川に放つために魚を買う観光客であふれかえる。川を行き来する遊覧船も放生橋にさしかかると、もうお手上げで、大渋滞だ。

こんな時には、川に臨む格好のコーヒーショップを見つけて、川べりの席から街のにぎわいをゆっくり観覧するのがいい。

朱家角にはしゃれたコーヒーショップやバー、気のきいた小物を売る小さな店が、それこそきら星のように点在しており、この古鎮に若々しさと流行の雰囲気を添えているのである。百年の歴史があるしょうゆ屋の隣には開業したばかりのバーが店を構え、清末の同治年間に建てられた郵便局の近くにはユニークな「遅配郵便局」まで軒を連ねている。郵便物は一日も早く届けてもらいたいのが普通だが、この郵便局では、差出人が望むなら最長十年先でも指定のあて先に配達するというのだ。「ゆっくり便」の極めつけと言ってもいいだろう。

清代の学者、王昶を記念して建てられた「王昶記念館」も改装されて「水郷音楽会館」に様変わりした。この古めかしい徽州の伝統建築風格を残す建物の外壁には「朱家角水郷音楽祭」に参加した民謡歌手やロック歌手のポスターが所狭しと張られている。

わたしのもともとのイメージでは、朱家角に流れている音は、あの耳にやわらかく響く呉方言であり、上海の伝統劇「滬劇」や昆曲の唱だった。そこにロックや電子音楽がなだれこむのは、たいそう不調和のようにも感じられるのだが、それがまた朱家角に一種独特の魅力をもたらすのかもしれない。

水郷古鎮に響くロックのリズム。それが今日の朱家角の流行なのである。

 

人民中国インターネット版 2010年11月

 

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