自分を他人に認めさせるのは良くない
文=笈川幸司
実力で他人に認められるのは良いことだとは思いますが、実力で、自分を他人に認めさせるのは良いことではないと思っています。
北京に来て十年、自分なりに頑張ってきたつもりです。その頑張りを、いま認めてくださる人は少なくありません。しかし、最近気づいたことがあります。それは、「私の十年間の努力はあまり効果的ではなかった」ということです。その考えに至るまでには、いくつかの段階を踏んできました。
私が日本語教師になったばかりの頃、自分が所属する大学が主催校としてスピーチコンテストを開催することになりました。私は、大会前の準備だけはどこにも負けたくないと思い、時間と労力を惜しまず、学生とともに頑張りました。確かにコンテストの結果は良かったのですが、想像していなかった嫌な思いもずいぶんしました。特に、「審査が主催校の学生に甘かった。主催校の学生が優勝するのは不公平だ!」という意見を耳にしたときはほんとうに辛かったです。
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授業風景(写真提供:笈川幸司) |
いま考えてみると、不平不満を口にする人は、得てして大した努力をしない人なのですが、そういう人は人一倍プライドが高く、たった一度の失敗をいつまでも引きずる傾向があるようです。
私は、他校の学生に呼びかけ、彼らにも指導しようと思いつきました。そして、他校の学生ひとりひとりにスピーチの指導を施し、彼らを励まし続けていくと、不思議と文句を言う人が急激に減っていきました。いま思うと、そのやり方がいちばん良かった気がします。しかし、私が講演などで北京以外の都市へ行くことが多くなった2009年からは、北京の学生を指導できなくなっていきました。
最近、私が所属する大学で再びコンテストが行われました。大会前、昔の苦い記憶がよみがえりました。「今度は誰にも文句を言われたくない。文句を言われないためには、自分の学校の学生がぶっちぎりの成績で優勝すれば良い。そうなれば、誰も文句を言わないだろう!」と考えました。さて、その結果どうだったでしょうか。
確かに、結果に文句をつける人はいませんでした。しかし、ぶっちぎりの成績、その事実に、他校の学生と他校の教師は不満を持つようになりました。実力だけでは、他人の口を塞ぐことはできないのです。これでは、努力が無駄になってしまいます。
「努力して、結果を残せばそれで良い」。
いま、それは非常に危ない考えだと思っています。確かに、個人の能力を他人に誇示できれば、一瞬だけ快感に浸れるかもしれません。しかし、その後、他人から協力を得られない可能性が大きくなる気がします。重い荷物をひとりで運ぶほうが簡単か、10人で運ぶほうが簡単かを考えれば、他人から協力を得られないことがどんな結果をもたらすか、私がくどくど述べる必要はないでしょう。
他人に認めてもらおう!という謙虚な気持ちで努力することと、他人に自分を認めさせよう!という傲慢な気持ちで努力することには大きな差があることを、どうか忘れないでください。
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笈川幸司 |
1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。 2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/ |
人民中国インターネット版 2011年6月1日