初体験~保定講演
ジャスロン代表 笈川幸司
先日、留学生たちに「北京にほど近い保定市という街を知っているか」と聞いてみたところ、「知らない」と答えたものが半数いた。
中国にいるにもかかわらず、「知らない」と答える日本の若者が多かったことに少し戸惑った。そして、中国に来たことのない日本の若者なら、当たり前のように「そんなの知らない」と答えるだろうことが予想できた…。

知らないことを「知らない」と言える勇気は確かに必要だ。「知っている」とうそぶくよりずっと良い。しかし、知らないことを「知らない」と堂々と答える若者が多い事に、今回、違和感を抱いてしまった。少しぐらい羞恥心があってもよさそうなものを…。
これからの若者には、「知らないので教えてください」という謙虚な態度を身につけてもらいたいと切に願う。
話が飛んでしまい申し訳ないので、ここで簡単に説明する。
ネット調査によれば、市内100万、周辺地区を含めると人口は1070万人と書いてあるが、現地に住む日本語教師たちの話によれば、現在、市内には約200万、周辺地区を含めると1100万人が住む大都市・河北省保定市である。そして、保定駅へは、北京西駅から高速鉄道に乗って約1時間で行ける。
最初の訪問地は河北農業大学。そこは、駅から徒歩で行ける距離にある。
今回、この街で受けた衝撃は、15年ほど前に初めて北京の大地を踏みしめたときのそれに似ていた。おそらく、北京の街が激変したように、数年後、この街も変貌を遂げるのだろう。
さて、駅では、胡瑞祥主任をはじめ、河北農業大学の先生方に出迎えていただいた。到着後、すぐにご用意いただいた豪華な食事に舌鼓を打ち、先生方の前で意気込みを語った。その後、前日少しだけ降り積もった雪を踏みしめながら、講演会場へ向かった。会場には、全教師、そして、全学生が待機していた。
「ここでは、教師も学生もチャンスがほとんどありません」
まっさきに言われた言葉だ。
わたしは北京で十年ほど日本語教師をしてきたが、日本へ行ったことのない同僚はいなかった。いや、どの先生も年に数回日本へ行っているところをこの目で見てきた。今回、北京から少し離れたところで必死に日本語教育に取り組んでいる、日本語教師歴20年というベテラン教師陣が、まだ日本へ一度も行ったことがないという現実を知り、正直、自分の力のなさにがっかりもした。
講演が終わり、すぐに河北大学へ向かった。せっかく学生たちが取り囲んでくれたのに、すぐに出発しなければならない。名残惜しそうに見送ってくれる学生たちの姿を見て心に誓った。

「ここで、彼らにチャンスを創ろう!」。
車で20分。河北大学に到着し、大喝采の中、花道を通り抜けた。
河北大学の方針で、二年前にわたしが書いた「笈川日本語教科書」を学生全員が購入していた。そのため、学生全員がわたしのことを知っていたという。
何を話しても拍手が沸き起こる。動くだけで笑いが生まれる。
こんな体験は初めてだ。
通訳をしてくださった李芳先生は、大平学校第一期生だった。30年近く前から、中国における日本語教育の第一線で活躍している。
「笈川幸司先生。やっと本人にお会いできました。今日は人生最高の一日です」
そうおっしゃる先生にどう答えて良いかわからなかったが、持てる力をすべて出し切ろうと思った。
そこで、マイクを使わず、腹の底から声をしぼり出して講演を続けた。講演が終ると、学生たちに取り囲まれ、サインを求められた。これもひとつのいい経験だ。
帰りは、史主任がわざわざ車を出し、駅まで送ってくださった。車内では、主任からお礼の言葉の数々をいただいた。
いえ、お礼を言いたかったのはわたしのほうだ。
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笈川幸司 |
1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。 2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/ |
人民中国インターネット版 2011年12月21日