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万人に親しまれ 涼送る麻の夏布

 

魯忠民=文・写真

日本の著名作家川端康成の『雪国』の中には、一種の麻布が登場する。「雪のなかで糸をつくり、雪のなかで織り、雪の水に洗い、雪のうえにさらす」この布は、真夏に着られることが書かれており、こうした麻布のことを中国では「夏布」と呼ぶ。

かつての農家にとって、織布は最も基本的な仕事であり、蚕を飼って絹織物を織り、綿花を育てて綿布を織った。麻を育てて織る布が夏布である。夏布は中国では上は皇室から下は平民まで、万人の生活用品であった。夏布織りは南方の人々の日常の技で、千年余りも受け継がれてきた。今では江西省の万載、湖南省の瀏陽、重慶市の栄昌など数カ所に残るに過ぎず、これらの夏布織りの技は国家クラスの無形文化遺産となっている。

家で布を織っている黄さんの妻、唐開雲さん

農閑期の正月、記者は重慶の夏布のふるさとである栄昌で、昔聞いた機の音を聞こうと訪れた。

◆せっせと糸をよる村人

栄昌は重慶市西部にあり、唐代に県となった歴史のある町で、管轄区の人口は80万、夏布、扇子、陶磁器、茶葉が名産品である。「夏布のふるさと」という誉れがある石田村は栄昌県から32キロの盤龍鎮という古い町にある。そこには現在、200余戸4、500人が住み、住民はほとんどが明代に広東からやってきた客家(はっか)の人々で、夏布織りは彼らが広東から持って来た技術である。石田村ではほとんどの家で夏布をつくっており、苧麻(からむし、ラミーとも呼ばれる)加工工房が至る所に見られるが、織り手に若者は少なく、若者の大部分は出稼ぎに出かけてしまっている。

私たちは黄昌根さんの家を訪ねた。黄さんは今年47歳になる、夏布織りの名人である。彼の73歳の父親も、67歳の母親も、われわれとおしゃべりしている間、ずっと両手をせっせと動かし、麻糸を棒に巻きつけていた。村ではどんなおじいちゃんもおばあちゃんも、みな手提げカゴあるいはビニール袋をぶら下げ、中に麻糸の束を入れて、空いた時間、あるいは手が空いてさえいれば、麻糸を木の棒に巻き付けて梭の形にする、あるいは坐り込んで、足の上で麻糸をよっている。これらは夏布をつくる上で必ず行わなければならないプロセスである。黄さんのお父さんは7歳の時からこのように糸をよっており、14歳の時には夏布を織り始め、今は年もとって、子どもも孫も、もうやらないでゆっくり休んでくださいと言っているが、やっぱりそれを止めない。一つには体を鍛えることができるし、また一日で2、3元を稼ぐこともできる。糸をよる人は多いので、おしゃべりも楽しめ、遊んでいるも同然だ、と言うのである。

黄さんの家の庭には何列もの竹ざおが並んでいて、さらに門の近くに窓がない小屋があって、それは麻糸を整経するための工房である。整経とのり塗り付けの工程は、ふつう男性の仕事である。整経とは布を織るための縦糸を整える作業で、どの糸も同じ締まり具合で、同じ太さと長さになるようにする。

のりの塗り付けは、糸を分け、まっすぐに伸ばし、糸の一方の端を台に固定し、もう一方を巻いて大きな結び目をつくり、一本の木の棒に巻き付けて、大きな石で重しをする。そして米や植物油を煮た液体のりを麻の糸に均一に塗り付ける。

黄さんの家には、広間にも脇の居室にも、何台も昔ながらの織機が置かれている。妻の唐開雲さんが今、布を織っているところである。織布は熟練が必要な技術で、梭を投げたり、押したり結んだりする力は均等でなくてはならず、布の表面やふちも平らになめらかに、伸びがよく、穴やほころびがあってはならず、目がそろっていなければならない。夏布には粗布と細布があって、その違いは目のつまり具合にあって、それは「升」で表示される。布の幅(約50センチ)内に80本の糸があるものを1升といい、1ミリに1.6本の糸という計算となる。周代には7~9升の麻布を奴隷や罪を犯した者に着せ、10~14升を一般の民が着た。15升以上はシルクのように細かく、これは王侯貴族が着た。湖南省長沙の漢代の陵墓である馬王堆遺跡出土の夏布は21~23升で、布幅20センチで縦糸は1センチにつき37.1本、横糸は1センチにつき43.6本あり、重さは1平方メートルあたりわずか43グラムで、驚くべき技である。

村人は一日中、暇さえあれば糸をよっている 棒に巻かれた麻の糸

中華民国初年(1912年)、栄昌の周義和、周伝乾の二人が2匹の素晴らしい夏布を織り、それは織り上がるまでに半年かかったという。細布を織るのは温度に大きな影響を受けるため、彼らは早朝と夕方の1時間ほどしか織れず、乾燥した風が吹くとすぐに織るのを止めたと言われている。最終的に50センチほどの布に3600本の麻糸が並ぶ、すなわち1ミリの幅の中に7.2本の糸があり、それが均等に並んでいる見事な布を仕上げ、人々に「夏布の王様」と呼ばれた。

織布はとても大変な仕事である。この地には、「娘を夏布織りの家にやるな、徹夜続きで長生きできない」という民謡がある。農耕と機織は農村では当たり前の仕事で、今では男も女も同じように農繁期には畑を耕し、農閑期には布を織る。むかし、夏布を織るための麻はほとんどが安徽省産のもので、夜も明けやらぬうちから近くの市に買いに行き、空が白む頃に戻って畑を耕した。夏布が織り上がると、自分で町々をめぐって売り歩く者もいて、十余りの麻の蚊帳を担ぐと、その重さは3、40キロもあった。時にはさらに山を越え、貴州省一帯まで売りに行くこともあって、とても大変であった。現在はみな会社に頼まれてやっているため、販売は問題にならなくなった。

黄さん夫妻には、27歳になる息子と24歳になる娘がいて、どちらも出稼ぎに出ている。彼らは今、1300平方メートル余りの農地をもち、主に稲を栽培している。農閑期には夏布を織るが、すべてが手作業なので、一年で織ることのできる夏布は80匹で、1万元ほど稼げ、3、4日で1匹(44.6メートル)の計算となる。

黄さん(右)が仲間と糸を整えている

◆天然繊維の王様

夏布は、一般に麻布と呼ばれ、苧麻でつくった手織りの平織生地である。苧麻は多年生の宿根草で、中国の生産量は世界全体の約9割を占める。その繊維の長さは綿の6~10倍で、張力も綿の6、7倍ある。苧麻の繊維にはピリミディンなどの元素が含まれるので、腐敗や細菌の繁殖、うどん粉病の発生を防ぐことができ、「天然繊維の王様」と言われている。苧麻からは、必要に応じて粗布(目の粗い生地)、細布(目の細かい生地)、リブ編みなどを生産することができる。とりわけ漂白された細布は、布地がなめらかでつやがあり、洗濯後乾きやすく、アイロンがきっちりとかかり、しなやかで強く丈夫だという長所がある。きちんとさらされた細布は、色が真っ白で、軽くて柔らかい。この生地で作られた服は優雅で上品で、通気性が良く、着ると涼しく快適だ。さらにウールや綿、化学繊維と混紡するのにも適しており、形が崩れず長持ちする。麻の混紡製品は国際市場で売れ行きが良く、欧米では麻は高級品とされ、日本においても麻製品は綿製品の何倍もする。

糸を糸掛け台に広げる 整経作業は、とても原始的な方法で行われる

中国で紡績は、中華民族の先祖と言われる黄帝の妻である嫘祖が養蚕を始め、初めて糸をつくったとされている。5000年前の新石器時代の遺跡から紡錘が発見され、西周時代の遺構から簡単な織機と糸繰り車が出土している。『詩経』に収められた周代の詩に、「東門の池、苧を浸すべし(東門のほとりの池で、苧麻を水に浸し、洗ってさらすことができる)」と詠まれていて、ここから周代にはすでに自然発酵させて麻の材料を加工していたことが分かる。漢代の文献には、栄昌には「蜀布」があって、南西シルクロードを通じて「大夏(トハラともいう)」、つまり今日のアフガニスタン北部を中心とした地域まで販売されたとの記載がある。唐代には細布の高級品は、竹筒に入れられたため筒布とも言われ、色糸を使って織られた斑布などと共に朝廷に捧げる貢ぎ物となり、「セミの羽のように軽く、画仙紙のように薄く、水面のようになめらかで、絹のようにきめ細かい」と描写された。明の太祖朱元璋は、「5ムー(1ムーは約667平方メートル)から10ムーの土地を持っている農民はすべて、桑、麻、木綿それぞれ0.5ムーずつ栽培しなければならず、10ムー以上の持ち主はその倍とする」という勅令を出した。この命令に背いた農民は罰として、毎年麻布1匹を納めなければならなかったという。中華民国時代、栄昌全県に夏布の織機が5000台余り、「栄昌夏布」取扱店は40軒余りあり、1年間の生産・販売量は70万匹に達し、主に北京、天津、上海、広州、香港などへ販売され、また欧米や東南アジア諸国にまで輸出されたという。

◆再び響く機の音

近代になって、質が良く値段も安い海外の綿糸や布が中国市場に進出し、それまで手作業で受け継がれてきた夏布の生産はだんだんと衰退していった。1960年代以降、機械生産による綿織物の衝撃を受け、夏布はほとんど姿を消した。1980年代になって、韓国、東南アジア諸国市場向けの夏布の需要が眠っていた夏布織機をよみがえらせた。多くのベテラン職人が再び招かれ、夏布織りの作業を再開した。栄昌でも時宜を得て夏布織りの工場が多数開設され、1万ムーに及ぶ良質な夏布生産基地が建設された。現在、栄昌では、直接夏布織りに携わる織工が約1万5000人おり、織機は9000台あって、忙しそうに職工が働く光景が至るところで見られる。

夏布でつくられた寝室用品はクラシカルで素朴だ 伝統ある夏布を利用した多くの新製品が開発されている

張昌英さんの双龍夏布工場は、栄昌県盤龍鎮にある。工場の出入り口付近に苧麻の買い取り場があって、大きな倉庫に束になった苧麻が置かれている。作業場では、織工たちは一列に並んだ伝統的な織機を使って、仕事に励んでいる。張さんは韓国や日本を何度も訪問したことがあり、夏布は日本では主にインテリアとして使われるが、韓国では服飾、特に喪服に使われることを知っている。張さんは国際市場をターゲットに置き、質と生産量の向上を目指している。

綦濤さんは織布については素人で、絵画と書道に秀でている。ある日、偶然に古めかしい上品な夏布に出会った彼女は、このビジネスチャンスに気づき、夏布文化伝播公司を創立した。夏布を買って来て自分でのれんをつくったものの、夏布が地味過ぎたため、少し模様を描いてそれに彩りを添えた。2008年11月、綦さんは自らデザインした夏布を第9回中国工芸美術大師博覧会に出展し、栄誉だけでなく、注文書も受け取った。綦さんは、古い伝統ある夏布の技術をよみがえらせ、現代の人々に使われるようにしたいと考えている。同じく無形文化遺産である栄昌の扇子も夏布を材料としており、扇子の文化的な深みを豊かにしようとしている。新たに開発した夏布のインテリアは部屋の内装に新風を吹き込んだ。現在、夏布は新しい分野の開発に挑んでいる。

 

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