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自転車で素敵な出会い

昨年7月、河南省の平頂山学院図書館の前で、泊めてもらった寮の学生たちと筆者(右から2人目)

河原 啓一郎 (かわはら けいいちろう)

1984年6月、長野県長野市生まれ。小さな頃から長野の豊かな自然の中で木登りや魚釣りなど野外で遊びながら育つ。大学卒業後、看護学校に進み、災害医療、救急医療を勉強。横浜の病院にて手術室勤務、東日本大震災のボランティア活動を経て、大学時代からずっと夢見ていた「助け合い×旅」を自転車と共に実現中。

 

大学生時代、カンボジアで教育支援をしていた時、スラムで7歳の少女に出会い、私の人生は変わりました。明るく可愛い子でしたが、右脚の膝から下がありませんでした。4歳の時、はだしでごみ山を歩いた時、鋭利なもので足を少し切ってしまったそうです。薬もなく病院に行くお金もなかったため、傷は化膿し、歩けなくなりました。父親はやむなく自分の手で娘の足を切りました。その時の痛みはとても想像できません。父親の気持ちを考えると心が痛くてたまらなくなりました。

「何をやっているんだ。教育よりも、まずこの子たちが生きていけなければ意味ないじゃないか」。その時医療の道に進む決意を固めました。大学卒業後さらに看護学校に入り、同時に世界一周の計画も立て始めました。 これまでボランティアも含め二十数カ国を旅してきましたが、列車やバスで見過ごしてしまっていた山間ののどかな小さな村やローカルな生活、そこに暮らす人々との素敵な出会いを逃したくない気持ちから、自転車の旅を出発数カ月前に思い付きました。  中国人との交流は、高校生の時の恋人から始まり、大学時代には中国人留学生と青椒肉絲や回鍋肉、麻婆豆腐などを彼らの寮で一緒に作りました。万里の長城や石窟など有名な観光地がたくさんありますが、私はそこに住む人々や生き方に関心がありました。  中国にやってきた後、大学の男子寮に泊めてもらい、湖で泳いだり、田舎の大家族と春節(旧正月)を過ごしたり、伝統的な結婚式に参加したり、どこでも楽しい思い出ばかりでした。出会った人々、起こった出来事、一つ残らず忘れることはありません。  私はよく旅のことを「5%のお金と、5%の努力、90%の人々の優しさ」と表現します。これは旅をしてみて正直真実だなと感じています。90%の優しさがなければ出来なかったことがたくさんあります。

例えば、中国滞在中はほぼ毎日親切な地元の方の家に泊めていただいています。また、武漢で自転車が盗まれた際には、ネットで大捜索をしてくれた数万人の人々の優しさがなければ自転車は見つけられなかったでしょう。そして、雲南省で発生した地震の支援に向かう途中、暴徒たち数十人に襲われ、とても悲しい思いをしましたが、その時救ってくれたのも中国人、守り、応援してくれたのも中国人でした。だから、私は中国に残りました。

 

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