People's China
現在位置: 中日交流中国と私 日本と私私と中国

法律サポートで友好の懸け橋

 

留学時代を含めると私の中国生活もかれこれ4年がたとうとしています。今でこそ中国生活にどっぷり浸っている私ですが、以前は中国で働くことになるとは夢にも思っていませんでした。私の勤務先は、日本やアジア各国のオフィスに合計600人以上のメンバーを抱える法律事務所で、M&Aから訴訟、ファイナンス、知的財産権、独占禁止法、税法に至るまで、さまざまな法律分野の専門家が集まる総合百貨店のような形態を取っています。入社後の数年間、私は知的財産権法の部門に所属し、主にIT・通信事業者や出版・映画会社の著作権に関する紛争や権利処理などの案件を担当しました。私は幼いころからかなりのテレビっ子だったので、当時はもっぱら映像や音楽などのコンテンツ産業に関する法律問題に興味があり、仕事上中国との接点はほとんどありませんでした。  

そんなある日、職場の飲み会で中国部門のリーダーである中国人弁護士からお誘いを受けて、中国企業の日本での訴訟を担当することになりました。これをきっかけに中国業務に興味を持った私は、中国語の教科書を購入して、仕事の合間に中国人の同僚から中国語を教えてもらうようになりました。また中国留学を目指してHSK(漢語水平考試)の勉強を始めました。その後、私は2010年から中国に留学し、北京大学法学部で「進修生(研究生)」として1年間、中国の法律を学びました。同大学で多くの同級生と親しくなり、毎日一緒に図書館で勉強したり、学食で食事をしながら法律論にとどまらず、将来の夢や生き方、家族のことから恋愛観まで、いろいろな話をしました。学生たちと夜遅くまで本音で語りあい、彼らの考え方を知ることができたことは、留学生活の大きな収穫の一つとなりました。中国の若者たちの間で、日本の漫画やアニメ、ゲーム、音楽がかなり浸透していて、こういった話題になると、日本人顔負けの知識でいかに日本文化が素晴らしいかを語ってくれる学生が少なくありませんでした。時には、政治や歴史問題に関する議論になることもありましたが、客観的で成熟した考え方を持っている学生が多く、日本と中国で意見が対立するようなテーマについても、じっくりと意見を交換し、互いの立場に対する理解を深めることができたように思います。  

留学後、私は上海・台湾での勤務を経て、2012年末から北京に赴任し、所属する法律事務所の北京代表処の立ち上げに携わりました。現在の主な仕事は、日系企業が中国で投資・会社運営を行う際に、また労働関係や知的財産権、独占禁止法などに関するトラブルに遭遇した場合に、現地の法律事務所と協力して、法律上のサポートをすることです。また中国企業が日本で投資を行う場合や訴訟などの紛争に巻き込まれた際に、日本にいる専門家の弁護士を紹介し、必要な業務のアレンジを行うという窓口業務も行っています。  

中国語を学び、中国に関係する仕事を始めてから、私はたくさんの貴重な中国人の友人を得ることができました。日本と中国は大切な隣国同士であり、政治的に緊張する場面があったとしても、経済的な結びつきは切っても切り離せないほど密接になっています。民間レベルで多くの人々が交流し、理解を深めることで、両国間のさまざまな問題もいずれ解決することができると私は信じています。今後も日中両国の企業に対する法的サポートを通じて、両国の友好に貢献していきたいと心から願っております。

 

野中信孝 (のなか のぶたか)1975年7月生まれ。弁護士。東京大学法学部を卒業後、民間企業での勤務を経て、2005年からTMI総合法律事務所で勤務。北京大学法学部での留学や上海・台湾での勤務を経て、2013年より同法律事務所北京代表処の首席代表を務める。

 

人民中国インターネット版 2014年5月

同コラムの最新記事
法律サポートで友好の懸け橋
積極的な交流は中国語上達のチカラ!
歴史散歩のすすめ
運は一瞬、縁は一生
初めての異文化体験