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となりの姐姐

 

新保清美

私が姐姐と会ったのは、アメリカでの留学中であった。私は学部のプログラムで約一年間の留学に行くことになった。様々な価値観を学びたいと、アメリカを選択した。初めての海外長期滞在であった。行先である大学では、寮生活であった。2人部屋で暮らすことになった。私が先に寮についたらしく、相部屋らしき人は誰もいなかった。どんな子が来るのだろうかとワクワクしていた半面、仲良くできるか不安であった。何日か過ぎても来なかった。いよいよ学期が始まるという頃になって、私が寝ていた時にガチャとドアを開け誰かが入ってくる音がした。私はとっさに起き上がり、その子を見た。その子は、私を起こしてしまったと思ったのかsorryと謝った。私は寝ぼけたまま自己紹介をした。彼女は私より5歳年上で、中国から来た元気な子であった。博士号を取得しようとしている彼女は、学校が始まってから、机に向かい必死に勉強していた。中国人は、声が大きくて、ものを散らかすというイメージを持っている日本人は少なくはないであろう。しかし、彼女は優しい口調で話し、とてもきれい好きであった。イメージとは真逆であった。彼女はとても思いやりがある子であった。ある日、私が授業から帰るとギターをもった姐姐がいた。ギターを趣味にしようと買ったのだという。それからというもの毎日毎日勉強の合間を縫いながら、ギターの練習をしていた。中国の曲を何曲か練習していた。実は彼女のお母さんといとこの誕生日が間近で、彼女たちに完成した曲を聞かせたいのだという。そのとき私は、なんて思いやりのある子なのであろうと思った。親戚だけでなく、私のことも気にかけてくれた。勉強について悩んでいるときに、様々なアドバイスをしてくれたり、教科書や単語帳を貸してくれたりした。私が暇そうにしているときは話しかけてくれた。恋愛の話から自分の家族の話、中国での生活や、日本と中国の関係まで、いろいろなことを話した。私は、日本と中国の関係を話すことが怖かった。なぜなら、歴史的に日本のことをよく思っていない中国人が多いと聞いていたからだ。しかし、姐姐は前向きに話してくれた。日本と中国の問題をどちらも受け入れ、将来友好を強くしていきたいと言っていた。私は、姐姐のことを深く知り、彼女の気持ちを知っていくうちに疑問が浮かんだ。なぜ、一人一人の友情は深いものにできるのに、国と国とではそうはいかなくなるのであろうか。日本と中国でも、深い友好を築くことはできないのであろうか。隣国と友好を築けずに世界平和など実現できるのであろうか。私は、どんどん日中関係への興味が深まっていった。

日本に帰ってきてからは、大学の中国研究会に入部した。中国研究会では、主に中国の文化や歴史を学び知識を深めていった。中国人留学生との交流を通し、日中の友好は実現できると確信した。中国研究会では、知識を蓄えるだけでなく、発信していくイベントの主催も行った。日中関係に興味のない人、無知な人にも興味をもってもらえるよう発信してきた。人間は、一人一人を国単位でとらえてはいけないと思う。例えば、日本人は中国人を中国という国の印象でとらえてしまう。確かに、個人のアイデンティティとして母国を持つことは大切である。しかし、個人個人を全く別な存在として見なければいけない。中国人でも清潔な人はたくさんいる、静かな人もたくさんいる。逆に、日本人は清潔、時間に厳しいという印象をもたれるが、整理整頓ができない人もいれば、時間にルーズな人もいる。中国人、日本人としてひとくくりにするのではなく、個人としてみる必要がある。いつしか個人個人のつながりが、国のつながりに変わること私は信じている。隣の姐姐と深い友情を築けたからこそ、日本の隣の国である中国と深い友好を築けると信じている。

 
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