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海を越えて叶えた夢

 

山本あい

家族って何だろう。中学3年生の冬、私は教室の片隅で考えていた。私にとっての「家族」の存在は、そこにいるのが当たり前すぎて空気のようなものだった。だから、彼女が涙を目にいっぱい溜めながら発した言葉の一つひとつが、改めてその存在を浮き彫りにし、私の中に深く突き刺さっていった。

その日は、クラス内で発生したいじめの問題について授業内で話し合っていた。彼女は、普段は天真爛漫で穏やかな性格であった。しかし、その日、彼女は今まで見たことがないほど真剣な眼差しで、その身体はかすかに震えながらこう言った。

私が小学校5年生のとき、日本に来たときは友達ができなかった。言葉が通じないから、ひどいいじめもされた。毎日、家族に見つからないようにして泣いていた。でも、私が家族と日本に来たのは、お父さんの夢を叶えるため。お父さんが日本で自分の広東料理店をもつために来た。だから、私は心配させないように一度も弱音を吐いたことはない。ずっと、我慢していた…。今、いじめている人はすぐにやめて。いじめられている人の気持ちは、苦しくてたまらないから…。

それは、彼女自身が経験し、感じたことでもあった。私は、初めて皆の前で自分の過去の苦難をさらけだした彼女の勇気に圧倒されていた。そして、いつも優しくて穏やかな彼女が抱えるものの深さや大きさを知り、それを決して人に見せない彼女の心の強さを感じていた。彼女にとって「家族」という存在は皆で一つの夢に向かって歩んでいくものであり、心と心が強く結び付いているものであった。彼女の勇気は、クラスの闇に光を与えた。

高校2年生の冬、彼女は私に、父親が神戸・元町の中華街の近くに自分の店をもつことになったことを報告してきた。7年越しの家族の夢が叶ったのだ。店は連日大賑わいで、彼女の父は休む間もなく働いた。娘である彼女も、勉強や学校生活と店の手伝いを全力で頑張った。

「お父さん、寝てない。朝も早いし、夜も遅くまで店の仕込みしている。だから、体が心配。でも、毎日大変だけど、すごく楽しそうに大きな鍋を振っている。それが私は嬉しい」

私が家族と彼女の店に行ったとき、彼女が逞しく働く姿を見た。店内は赤を基調としていて、「福」の字を逆さにしたポスターが貼られ、華やかなランタンが天井から吊り下げられていた。料理は全て手の込んだ、優しい味わいであった。つるりとした滑らかな口当たりと、もちっとした弾力のあるワンタンのスープ。パリッとした皮とシャキシャキのタケノコがアクセントの春巻き。ジューシーな旨みが口いっぱいに広がるチャーシュー。どのメニューも、とても味わい深く、幸せな気分になった。帰り際、店の奥から彼女の父が出てきて、大きな紙袋を差し出した。「これ、みんなで食べてね」

それは、ふかふかの肉まんだった。大きな、温かい肉まんを頬張ると、肉汁がじゅわっと溢れ、湯気とともに優しい味わいが広がった。この味が、家族をつないできたものなのだと感じ、一口ひとくち噛みしめた。

父の夢を叶えるために、日本で生きていこうと決めた彼女の決意は固く、揺るぎないものである。私は家族がいて、何一つ不自由ない生活を送り、今までもこれからもそれが不変であり続けるであろう、という安心感に甘えていたことに気付かされた。そして、私は改めて、彼女のように人を思いやる気持ちをもつことは、身近な存在である家族だからこそ、決して忘れてはならないことであると感じた。強い信念とともに、海を渡ってきた一つの家族が、私にかけがえのないことを教えてくれたのだ。

私の「家族」と彼女の「家人(Jiārén)」のように、お互いの国を思いやることができたら、大きな夢が実現する日がくるだろう、と確信している。

 

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