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故郷に愛心楼を建てた台湾の翁

 

1996年、66歳になった台湾同胞の曾祥来さんは、生まれ故郷の湖南省辰溪県に「愛心楼」という建物を建てた。その建物は、貧しいために学校を中途退学したり、退学しそうになったりしている子どもたちが住み、生活し、学習するためにもっぱら使われている。曾さんは毎年、台湾に帰って家族と団欒する2カ月以外は、ずっと辰溪に留まり、子どもたちの生活の面倒を見ている。この9年間に、合せて48人の子どもがこの「愛心楼」で長く暮らし、ここから有為な人生へ向け、歩き始めた――

 

条件は「勉強すること」

 

 

小強(強君)は、湖南省辰溪県第2中学校の初級3年生である。家が貧しいため、彼は学校の寄宿舎に入ることができなかった。毎日、夜の自習が終わった後、10キロ近い山道を歩いて家に帰っていた。風が吹く日も雨の日も、小強は、大変な苦労をしながら1年以上、頑張り続けた。

 

2004年の秋のある日、白髪の翁が校門で、強ちゃんを呼びとめた。そして、辰溪第2中学校の前にある建物にただで住んでもよいと言った。ただし条件は、「しっかり勉強すること」だった。

 

小強はこれまで毎日、この建物の前を通っているので、そこに自分と同じような家の貧しい生徒が4、5人、台湾から来た老人と住んでいることを知っていた。その建物を、生徒たちは密かに「愛心楼」と呼んでいた。

 

小強は愛心楼の1員になった。それから彼の成績は一直線に上がっていった。小強は、愛心楼の恩恵に浴した48名の貧困少年の典型である。

 

故郷のために貢献したい

 

「愛心楼」の主人は、台湾同胞の曾祥来さんである。1930年3月28日、曾さんは辰溪県孝坪鎮洞潭村に生まれた。その後、台湾に渡り、1988年3月、故郷のことをずっと想っていた曾さんは、多くの曲折を経て、ついに40年近く離れていた辰溪の故郷に里帰りした。

 

当時の辰溪県は辺鄙なところにあり、交通も不便なため、かなり貧しかった。貧困状況を変えようと、当地の政府は大いに経済発展に力を入れ、科学技術を農業に導入し、組織や個人が教育に寄付するよう働きかけ、貧しい家の児童がまともに教育を受けられるよう努力してきた。しかし、財政には限りがあり、短い期間でこうした状況を大きく変えることはできなかった。

 

これを知った曾さんは、初めて帰郷する際、故郷の人々にたくさんの贈り物を持ってきた。彼は10万元以上を出して、村に新しい道路をつくり、壊れた埠頭を修理したのである。

 

1989年、曾さんは再び洞潭村に帰ってきた。関係部門も彼に協力し、彼が買ってきた電線や変圧器で、洞潭村の村民は初めて電灯が使えるようになった。  それからの曾さんは、毎年、辰溪に帰ってきてしばらく住み、そのたびに、自分の力の及ぶ範囲で、故郷の人々の問題を解決してきた。

 

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