現在位置: Home>中日交流
新中国初のパイロットを育てた 日本人教官たちの「里帰り」

 

中国の友人たちと再会

 

後ろに空軍司令官となった王海氏(左から4人目)が、「里帰り」した日本の友人たちに記念品を贈った 中国と日本の「老朋友」たちは、何時までも話が尽きなかった


 

1945年に日本が降伏した後、遼寧省南部にいた関東軍第2航空第4練成飛行隊の300余人は、行き場を失った。中国共産党に指導された東北民主連軍は、この日本兵たちを受け入れ、人道的に待遇した。

 

林弥一郎隊長(少佐、当時34歳)に率いられた彼らは、後に東北民主連軍航空学校の創立に参加し、新中国における最初のパイロットを養成した。彼らは中国の同僚たちと深い友情で結ばれた。1950年代、彼らは次々に帰国したが、ずっと中国を「第2の故郷」「実家」と見なしてきた。

 

しかし今、彼らの中でなお健在な人も、みな年をとった。だが、中国を思う気持ちは以前と変わらず、日夜、「里帰り」を望んでいた。

 

彼らは代表団を結成し、今年6月6日、もう一度、中国にやってきた。ほとんどが80歳前後の高齢者で、中には、心臓病を患い、家人や医者から「行くな」と言われたが、「最後に一目、中国を見られたら、倒れても本望だ」という人もいた。

 

宿泊先の北京のホテルには、かつて航空学校で一緒に働いた中国の仲間や友人が駆けつけ、日本の友人たちと旧交を温めた。その中には、当時、この学校から巣立ったパイロットで、後に中国空軍司令官となった王海氏や副司令官の林虎氏もいた。また、当時、航空学校の指導者だった姚俊氏や張開帙氏らの姿もあった。

 

翌日、空軍の指導者たちが代表団と会見し、宴会を催し、日本の友人たちが中国空軍の創設のために貢献してくれたことに感謝の意を表した。そして「里帰り」した日本の友人たちが、「実家」の様子をしっかり見てきてほしいと述べた。

 

6月8日の午後、一行は天安門を参観に行った。しかし時間が遅く、すでに楼上に登ることができない。随行の人が管理の人を説得して、特別な計らいをしてもらい、一行は天安門の楼上に上ることができた。ここで毛沢東主席が新中国の成立を宣言し、航空学校が育てたパイロットが操縦する飛行機が天安門の上空を飛ぶのを検閲したのだと思うと、彼らの感慨はひとしおだった。

 

北京滞在中、代表団は航空博物館を見学し、当時、彼らが修理した飛行機が展示されているのを見て、感慨深げであった。そして一行は、北京から汽車で吉林省長春に向かった。

 

1   2   3   4   <<  


人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850