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現在位置: 2010年 上海万博上海万博、縦横無尽

万博から見たメディアの変化

 

陳言=文

最後尾が見えないほど長い待ち行列の最前列あたりに、一人の子どもが手すりを乗り越え、割り込んできた。子どもだからと大人たちは特に注意しなかったが、間もなく子供の親らしい人がやってきて、「子どもを探している」と言うなり、同じく手すりを乗り越えた。多くの人がそれは巧妙な割り込みだったと分かった時には、親子はすでにパビリオンの中に消えていた。上海の地元紙『新民晩報』がこの出来事を報道すると、国営の新華通信社もすぐこの記事を全国に配信した。

万博センター内にある万博プレスセンターの共同作業エリア。内外の記者らが働く(CFP)

国を挙げた一大イベントである以上、市民はもろ手をあげてサポートし、規律はよく守られ、何もかもスムーズに進行していると、これまでのマスコミならほとんどが報道しただろうが、上海万博の場合、右のエピソードのように、メディアの報道方式がかなり変化してきていることが分かる。

ジャーナリズムとしてのメディア

芝生に新聞を敷いて、家族数人が楽しく食事を始めた。彼らの目には行き来する来場者の姿は何も映らず、家族だけで大きな声で話し、笑い声が遠くまで響いた。食事の後、新聞には魚の骨、果物の皮などが散らかっていたが、片付けもせずに笑顔で去って行ってしまう。この光景はすぐに周りに「伝染」し、あっという間に芝生は宴会場に、そしてごみ捨て場へと変わってしまった。

この情景を素描したのは、万博ネットの王暁燕記者だった。誰が見ても、その市民モラルの欠如ぶりには憤慨させられるだろうが、これまでの記事では、おそらくこの光景には目をつぶり、きれいな環境を守るために、ゴミ収集の労働者がいかに汗を流して奮闘しているかだけが書かれただろう。中国の至る所で勤勉な労働者が奮闘してやまないのに、環境は相も変わらず汚されているという矛盾は、かつての中国マスコミの目には矛盾として映らなかったからである。

上海万博会期中の7月28日、衝撃的な火災が南京市で発生した。長年にわたって市民が繰り返し陳情してきたにもかかわらず、住宅密集地にある工場で火災予防が行われず、火災が起きたのだ。3名の死者が出たが、地元の新聞各紙は、トップのページではまったく火災について触れず、後ろのページでも詳細には触れなかった。書いた内容も消防隊員がいかに勇敢に消火活動を行ったかが内容のすべてだった。

ケータイで録画ができ、インターネットですぐにニュースが流れる時代に、消防隊員の救助活動を称賛することが火災報道のすべてだとしたら、とうていマスコミの機能は果たせない。地元南京の新聞は消防隊員の武勇伝でこと足れりとしても、全国で販売される主要紙ではそうはいかない。これまでの住民の陳情内容、企業の無責任、地方自治体の対応などを詳細に書いて全中国の読者に知らせた。武勇伝を書くことで、火災を英雄創出の機会にしてしまい、市民の本当に知りたい情報はあえて知らせないという従来の報道姿勢は、もう通用しなくなった。かりに全国紙が報道しなくても、インターネット、ショートメールで関連情報がどんどん流れていく時代なのだ。そしてインターネットなどでは議論に火がつく。

現在、情報というよりもジャーナリズムが、中国では大きな役割を果たすようになっている。中国ジャーナリズムの万博関連の記事を読むと、指導者の演説、困難を克服した英雄的人物の紹介だけではなく、運営上の不備、市民モラルの欠如など、批判的に書かれた記事も多く見られる。北京五輪と比べて、上海万博のほうがよりジャーナリズムが機能していると言っていい。

7千万来場者の目を通して

上海万博の来場者総数は、7千万人と見込まれている。すべての来場者がインターネットで情報を収集しているとは思わないが、新聞や雑誌などを通じるか、少なくとも口コミである程度の情報は集めて来ているはずである。多くの人がおそらく今度の万博で、批判的な報道、いわゆる辛口報道に初めて接したのではなかろうか。それによって万博のイメージがひどく損なわれたというよりも、市民として律すべきだと思った人のほうがずっと多いはずだ。

陳言

コラムニスト、『中国新聞週刊』主筆。1960年に生まれ、1982年に南京大学卒。中日経済関係についての記事、著書が多数。

欧米や日本のマスコミの万博関連記事を読むと、入場者数、自国パビリオンへの注目度などを報道する以外に、運営上の問題や主催者の主張のなかの矛盾なども指摘している。中国のマスコミもそれに負けないほど、上海万博の問題点を鋭く批判していることが、よく読めば分かるはずだ。初めて上海を訪れた外国人記者は、中国語を読めず、また多くの中国人読者は外国のメディアがどう万博を報道しているのかは知らない。しかし、少なくともマスコミ同士は、国内外の報道内容をチェックしながら、ジャーナリズムの本領を発揮しようと奮闘している。問題点を指摘し、主催者、来場者の不注意を厳しく批判しているのは、どちらかといえば、中国のマスコミのほうであろう。

全人口の5%に当たる7千万人の来場者は、中国至る所から来ている。彼らの目に映ったマスコミの変化は、いずれ上海以外のところにも伝えられていくだろう。

近代都市には、住居、食材などの物的な側面での必要ばかりでなく、同じ都市に住む住民としてともに守るべきモラル、またそれを常にチェックするマスコミが必要となる。上海万博はハードウェアを中国市民に提供しただけでなく、むしろこの見えないところで、ジャーナリズムの目で選択した情報も提供している。あと数カ月後に万博が終わると、多くのパビリオンは解体されてしまうが、ジャーナリズムは市民の心に残されていくだろう。今後、中国ではますますこのジャーナリズムが機能していくと思われる。

 

人民忠告インターネット版 2010年9月3日

 

 

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