People's China
現在位置: サイト特集国際麻薬乱用・不正取引防止デー中国における麻薬取締り

アヘン戦争以来の中国の麻薬取締り

 

150年余り前、帝国主義列強はアヘンと大砲で中国の門をこじあけた。その時から中国が半植民地・半封建社会に転落し、「中原に敵に抵抗できる軍隊がなく、しかも給料として支払える金もなく」、中国人民が「東亜の病人」という恥辱を蒙った。当時、イギリスは世界最大の植民地主義者であり、最大のアヘン商人でもあった。1840年以前、イギリス政府が毎年中国にアヘンをダンピングして徴収した税金はその年の歳入の10分の1に相当する330万ポンドに達した。利欲に目のくらんだ帝国主義の植民地主義者はあらゆる手段をとり、やっきになって中国にアヘンをダンピングし、密輸から公然たる武力販売に発展するとともに、2回もアヘン戦争(つまりイギリスが1840年から1842年にかけて中国に対し起こした第1回アヘン戦争とイギリス、フランスが1856年から1860年にかけて、ロシアとアメリカの支持のもとで共同で中国に対し起こした第2回アヘン戦争)を起こした。1900年、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、日本、イタリア、オーストリアという八つの帝国主義国によって編成された8カ国連合軍は中国に侵入し、依然としてアヘンを中国人民を麻酔させる精神的武器として、盛んにうりまくった。帝国主義列強は、中国人民の膏血を絞り取ったばかりでなく、遼東半島、膠東半島と長江流域など広大な面積の租借地を手に入れた。香港はとりもなおさず、イギリスが2回のアヘン戦争を起こしたあと腐敗無能な清朝政府に割譲させたものである。今世紀の3、40年代、日本帝国主義は地を侵略、占領し、「アヘン専売」を強引に推し進め、栽培奨励、武力運送、アヘン吸飲店開設から各段階における吸飲・販売税および名目雑多な特別費の徴収に至る手段を通じて、戦争経費も調達すれば、これによって中国人民の反抗の意志を消沈させようとした。幾千幾万ものアヘン中毒患者は一家離散し、落ちつくところもなかった。

アヘンの害毒が日ごとにひどくなっていることに直面して、多くの仁人志士は「中国の有用な金で海外の底なしの溝を埋め、人を害するものと取り替えることは、国を病にかからせるのではないのかとだんだん心配になってくる」と大声で疾呼し、アヘンという禍根を断ち切ることを強く要求した。広範な民衆はこれを非常に憎み、反抗に立ち上がり、中国の麻薬取締史上感激と涙を誘う多くの英雄的な壮挙に出た。1839年、清朝政府の欽差大臣であった林則徐は民族の滅亡を救うため、毅然として帝国主義列強が強引に中国に輸入させた約1200トンのアヘンを広東省の虎門で焼却し、中国人民の麻薬と必至に闘う決意を表明した。林則徐の列強を恐れない民族的気概および国と人民を救う愛国主義的精神は、中国の数世代の人を教育し、影響を及ぼした。広範な目覚めた民衆は恥辱を蒙ることに甘んぜず、さまざまな方式でアヘンの侵害に抵抗し、麻薬と不とう不屈の闘争をすすめた。しかし、旧中国では、林則徐および広ヘな民衆の根本的な願いは、実現する可能性がなかった。虎門でアヘンを焼却処分にしたあと、腐りはてた清朝政府はアヘンの禍害を阻止しないばかりでなくA害毒を日ごとに広がらせるとともに、余儀なく銀を賠償し、土地を割譲して、中国を徹底的に半植民地・半封建社会に転落させていった。

1949年、中華人民共和国が成立し、戦乱の苦しみをいやというほどなめた中国人民はついに国の主人公となった。中国政府は人民大衆を指導して戦争の廃墟の上で自力更正で郷土を再建しながら、麻薬を取り締まる鋭利な剣を振りかざして、数百年にわたって自分たちに害を及ぼしたアヘンという悪魔を消滅した。1950年2月24日、中華人民共和国成立してから5カ月もたっていない時に、政務院は「アヘンを厳しく禁止することに関する命令」を出し、速やかに全国的範囲において麻薬取締運動を繰り広げ、害毒と断固闘争し、麻薬を没収し、罌粟栽培を禁止し、アヘン吸飲店を閉鎖し、強制的に麻薬吸飲を止めさせ、麻薬の生産・販売者を厳罰に処した。麻薬犯罪活動を厳しく取り締まると同時に、中国政府は普通の麻薬吸飲者と麻薬栽培、運送、販売を職業とする者を真剣に区別し、多くのすたれた事業が振興を待ち、財政が非常に困難な状況のもとで、それでも100億元(旧幣)の資金を出して特殊な困難のある麻薬吸飲中毒者を救済し、ほかに290億元(旧幣)の特別経費を支出して、麻薬吸飲を止めさせる薬物の研究、開発に用いた。

中国政府の指導する麻薬取締運動は非常に民心にかない、全国人民の熱烈な支持を受けた。建国後3年足らずで、麻薬栽培、運送、販売を職業とする人36万9705人を調査して確認し、そのうちの5万1627人は法によって処理された。アヘン類の麻薬を339万両余り(約169・5トン)、麻薬加工機械を1万5716セット、武力販売に使われる銃器を882挺没収し、これによって全国的範囲において基本的に麻薬吸飲現象をなくした。幾千幾万もの麻薬吸飲中毒患者に禁断症状をなおしてやり、麻薬の悪魔から抜け出させ、健康な人生の道を歩ませた。その後の30年間において、麻薬は中国でほとんど跡を絶ち、中国は公認の「麻薬無き国」として世界で名声を博した。

 

人民中国インターネット版 2012年6月21日

 

 

同コラムの最新記事
アヘン戦争以来の中国の麻薬取締り
麻薬取締の国際協力を強化