言葉の使い方
文=ジャスロン代表 笈川幸司 写真=大連理工大学出版社
「皆さんもご存知の通り、中国には13億人もの人が住んでいます」
教え子たちが発表中、よくそういう言い方をするので、私は授業の最後によく日本の評論家の発言の例を紹介しています。
「皆さんもご存じの通り、フィギュアスケートの浅田真央選手は、子供の時、新体操を習っていました」
日本の知識人たちがディスカッションするところをテレビで見るたびに感じることは、私自身の知識があまりにも乏しいということです。私の場合、評論家がよく使う「周知の通り」のことを、事前に知っていたためしがありません。
しかし、もしかしたら、この世は、実はそういうことなのかもしれません…。
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大連日本語教師会シンポジウムにて |
日本経済界のカリスマが演説中に、「微力ではありますが」なんてことを言ったりしますが、そんなとき、私は違和感をもちます。そういうときに違和感を抱く私を見て、「甘い人間だ」と考える人もいることでしょう。
そういえば、先日、日本語をまともに勉強しない学生からメールがきました。文面を見ると「期末試験では体調が悪く、結果は理想的ではありませんでした(実際20点)。しかし、来学期は頑張りますから赤点をつけないでください。私は微力ではありますが、これから先生を助けます」と書かれてありました。
私はそれまでその学生に助けてもらったことがないので、どんなことで助けてもらえばよいのか考えても考えてもアイディアが出てきませんでした。そのとき思ったのは、「微力」という言葉は、微力しかない人(微力しかないと周りに思われている人)が使うと、相手が変な気持ちになってしまうということです。
実は、私はこの10年間、自分の教え子たちにそういうことを教えてきました。学校で習ったわけではないのですが、自分で勝手に思いついたもの、誰かと討論して気がついたこと、企業のトップの方に質問して答えてもらったことなどをノートにまとめ、それをときどき授業で使っています。
最近は、雑誌などで自分の意見や考えを書く機会が増えてきました。わざと極端な書き方をするときもあります。なぜなら、そうしないと覚えてもらえないからです。しかし、その文章を見た人は、「偉そうね」などと思ったりすることでしょう。
実際に私に会った人はたいてい「文章の中の先生とご本人は、性格が違うようですね」などと言います。
この章の最後に、皆さんにどうしても伝えなければならないことがあります。私が自分に影響力があると思っているなら、絶対に偉そうな書き方はしません。もし、本当に影響力があるなら、私だって「たいへん微力ではありますが…」などと書くでしょうし、自己アピールをする必要がないので、極端な言い方はしません。
「出る杭は打たれますが、先生のように出過ぎた杭は打たれないんですね」と褒めてくださる方がいますが、私が打たれないのは杭が出ていないからです。
8月29日から1年間かけて、中国全土へ足を運び講演会を行うのは、心をこめてひとりひとりに伝えなければ、誰ひとりとして私の話に耳を傾けてくれないことを、わたし自身が知っているからです。
ですから私は講演中、「微力ではありますが」という言葉は一切使いません。精一杯、死ぬ気で、頑張ってきます。
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笈川幸司 |
1970年埼玉県所沢市生まれ。元衆議院議員公設秘書。元漫才師。 2001年に北京に来て、10年間清華大学、北京大学で教鞭を取る。10年間、中国人学生のため、朝6時に学生とのジョギングから始まり、夜中までスピーチ指導を無償で行い、自ら日本語コンテストを開催、中国全土の日本語学習者に学ぶ機会を提供している。また、社会貢献をすることで、日本大使館、日本国際交流基金、マスコミ各社、企業、日本語界から高い評価を得ている。2011年8月から2012年7月までの一年間、中国540大学で11万人の日本語学習者を相手に「日本語の発音、スピーチの秘訣」についての講演を実施する予定。「ジャスロン日语学习沙龙」のホームページ:http://neo-acg.org/supesite/ |
人民中国インターネット版 2011年7月2日