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「似て非なる」を理解して

 

文=相澤瑠璃子

北京語言大学の卒業式で同級生たちといっしょに記念写真(左端)

 

相澤瑠璃子 (あいざわ るりこ)

一九八六年東京生まれ。二〇一〇年北京語言大学卒業。帰国後、大学職員になるが二〇一二年度退職。同年四月より二松学舎大学文学研究科中国学専攻に在籍。

 

私の心の故郷は日中両国の首都です。東京で生まれ育ち、多感な時期を北京で過ごしました。多くの体験をしておきながら、未消化のまま帰国し、改めて二国間の深い溝を感じています。

二〇〇五年から四年半近く、中国の大学に在学し、他の日本人留学生と同様に中国に行くまでは全く中国語ができませんでした。中国語がわかるようになったらなったで、中国という国と社会を、中国人を知るようにならなければなりません。

福沢諭吉が「脱亜論」を述べてからというわけではありませんが、明治維新そして第二次世界大戦後、日本の社会の眼の多くは欧米に向けられています。アジアとの、特に近代から現代にかけての隣国中国に関しては、米国よりも比重が軽いと感じます。確かに中国では事が思ったように進まないという先進国である日本とは違った見方を前提にして生活をしなければなりません。ひとつの物事を達成するためには方法を何通りも考えなければならず、慣れないうちは多くの留学生と同じように私もホームシックにかかりました。

しかし、それに慣れてくると、今度は面白くなってきます。Aの方法が上手くいかないのなら、工夫をしてBプランにすればいい。それがだめなら次を考えて、それでもだめなら誰かに手伝ってもらおうと、自身で考え、また人の輪も広がってきました。

今の大学のある授業で、教授が言ったことが心に深く残っています。それは「日本と中国は似て非なる文化と国である」ということです。歴史的関わりも深く、また日本人が使用している漢字は中国大陸から伝わったものです。心のどこかで欧米よりも距離も文化も近いから、言わなくてもわかるはずという日中両国の人々の考えは改めなければなりません。近いからこそ話し合い、理解し合う。家庭内でも同じことを私たちは無意識に言っていることでしょう。

中国では日本では考えられないことが多数ありました。時にはそれに驚き・怒り・あ然とし、幅広い経験を体験しました。しかし納得がいかないまま、麻辣烫を食べながら道路を見ていると段々と心が静まって「まぁどうにかなるでしょう」と思っていく自分がいました。夏の北京は四〇度近くまで上がり、道ではスイカやアイスが売られ、人々がそれを食べながら大声で話し、その横を少数ながらロバが荷馬車を引いている姿を見ると、自分一人が怒っているのも何だか馬鹿らしく思えるのは、ゆっくりとした時間と何事にも動じず受け入れる悠久の歴史をもつ中国大陸ならではかもしれません。

今日本では、生活の音が聞こえない静寂に満ちた環境で暮らしています。両国の互いの報道はある限られた部分のみに焦点を絞ることが多く、全体像を未だにつかみ切れていないことを感じます。互いに学ぶべき点は多々あり、そして理解していく道のりはまだまだ遠く根気がいることですが、先人達が残した道程をしっかりと繋げていくことが今を生きる者の務めではないかと模索しています。

 

 

人民中国インターネット版 2013年8月

 

 

 

 

 

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