People's China
現在位置: サイト特集中日国交正常化40周年特別企画

サクラを見て先賢しのぶ

 

中日友好21世紀委員会中国側委員 王泰平氏

王泰平氏 1941年、遼寧省生まれ。1965年、北京外国語大学を卒業。現在、中日韓経済発展協会会長、中日関係史学会副会長、中日友好協会理事、中国国際問題研究所特約研究員などを務める。
1972年に中日国交正常化が実現した翌年の4月、中日友好協会の廖承志会長が率いる中日友好協会代表団全員と開設されたばかりの中国駐日本大使館の全外交官が、新宿御苑で開かれた観桜会に招かれた。この観桜会は田中角栄首相(当時)が中国のお客さんを歓迎するために開催したもので、自衛隊音楽隊に『紅色娘子軍』(文革中の革命バレエ劇)の主題曲を演奏させ、歓迎の意を表した。私はその場に身を置き、時代の大きな変遷を身をもって感じることができ、感無量だった。

その日、私たちは田中首相や大平正芳外相と握手し、言葉を交わし、日本の政界、財界、文化界の新旧の友人と語り合い、いっしょに海のように広がるサクラの花を観賞した。私たちがベンチに座って特製のアイスクリームを食べていると、きれいな和服を着たコンパニオンが満面に微笑みをたたえ、日本酒のお酌をしたり、焼き鳥を運んできたりしてくれた。着飾った少女たちが中国のお客さんのために伝統的な歌曲『さくらさくら』を披露してくれた。

あのオオヤマザクラの葉

廖氏一行が東京に到着した翌日、田中首相は首相官邸で盛大な歓迎茶話会を催した。楽しい会話が弾む雰囲気の中で、廖団長がポケットから手帳を取り出し、そっと開き、数枚のサクラの葉をつまみ出し、田中首相に語りかけた。「これは閣下が中日国交正常化を祝して中国人民に贈ってくださったオオヤマザクラの木から取って来たものです。今ではあのオオヤマザクラが北京にしっかりと根を下ろし、順調に成長していますよ。ご好意を感謝するために持ってきましたので、記念にお納め下さい」

熱烈な拍手の中で、田中首相はサクラの葉を受け取り、満面に笑みをたたえて、長い間じっと見つめていた。この素晴らしい一幕は、翌日の新聞各紙で報じられ、異口同音に称賛した。この一瞬は中日友好の忘れられないエピソードとして心に深く刻まれている。代表団の孫平化秘書長は新聞でその写真を見て、思わずこうつぶやいた。「まさに、錦上に葉を添えるは錦上に花を添えるに勝る、だ。周恩来総理と廖会長が中日友好のあらゆる面に配慮されていることを物語っているだけでなく、中国人民が友情を伝えるサクラの木をいかに大切にしているかを表している」

周総理の心こもった演出

実はこのドラマを演出したのは周総理だった。周総理は訪日前のあいさつに訪れた中日友好協会代表団の全員と会見した際に、田中首相が贈ってくれたサクラは順調に育っているかどうかを尋ねた。廖氏は以心伝心、直ちに総理の意向を理解し、直ぐに、中日友好協会の幹部にサクラの葉を数枚摘んで来て、総理に見せるように指示した。そして、周総理に「田中首相が寄贈してくれた一千本のオオヤマザクラは玉淵潭、天壇、紫竹院、陶然亭などの公園に植えられ、丹精込めて育てられており、活着率は非常に高いです」と報告した。周総理はそのサクラの葉を見て大変喜び、この葉を田中首相に届け、宜しく伝えるよう廖氏に依頼した。

花が咲き、花が散り40年、中日国交は「不惑の年」を迎えた。かつて田中首相が中国人民に寄贈したオオヤマザクラは、雨にも負けず風にも負けず、たくましく成長し、中日友好の歴史的な証となっている。

先日、私は北京西部にある玉淵潭公園の桜花園に出かけた。たまたま年に一度のサクラフェスティバルが開かれており、花見客の笑顔と競い合うように咲き乱れるサクラが、互いによく映え、楽しい雰囲気に満ちていた。1973年の春、中日友好のシンボルとして寄贈されたサクラの木―北海道から運ばれた180本のオオヤマザクラ―はここに根を下ろし、その後、仕事熱心な園丁たちがその周辺に遅咲きのサクラや彼らが自ら育てたオオヤマザクラの苗木を次々と植えた。

1990年前後から、公園では大規模な改修が始まり、多くの新しい品種が相次いで移植され、今では3000本余のサクラの木が園内に植えられている。ここはサクラ文化と中日友情の証となっており、園内に入ると「在水一方(水面に映るサクラの影)」「桜棠春暁(春暁に映えるサクラとカイドウ)」など「サクラ八景」を観賞できる。西門近くには有名な女流作家・氷心さんが揮毫したサクラを礼賛した碑が立てられ、また大事に育てられている多数の記念植樹があり、その後ろの築山には小淵恵三元首相が植えた青々と茂る松も見える。

いつまでも友情の象徴で

北京玉淵潭公園の桜花園で、満開の桜を背景に、氷心さんが揮毫した石碑の前で記念写真を撮る花見客(写真・王衆一)

雪のように見える桜を見て、私は感情を抑え切れず、こう考えた。40年にわたる両国関係の発展過程では、少なからぬ困難も存在したが、歴史の流れは阻むことができず、中日間の交流と協力関係は2000年にわたる交流史で最高水準に達し、両国に多くの確実な利益をもたらし、中日関係史上で得難い平和的な繁栄の時代を形成し、「ウィン・ウィン」を実現した。ここで、私は国交正常化を実現するため貢献した先賢を心からしのび、桜花園の設置を決定した人、造園の大家、また心を込めて守り育ててきた園丁のみなさんに対する崇敬の感情が思わず湧き上がってきた。今に触発され昔をしのび、両国関係が今日まで発展してきたことは容易なことではなかったのだと感じ、サクラと同じようにますます大切に育て、誠心誠意、守っていくべきだと感じた。

あれから40年後の今日、国際情勢にも、中日両国の状況にも、いずれも大きな変化が起き、両国関係は歴史的な転換期を迎えているが、中国の対日友好という政策は依然として変わらず、日本との善隣友好協力の誠意も変わらず、中日両国民が末永く友好関係を保つという信念も変わっていない。歴史と現実が教えてくれているように、中日両国は永遠の隣人であり、和すればともに利し、闘えばともに傷つく。友好が唯一の正しい選択なのだ。これを中日双方の最も大きなコンセンサスとすべきだ。中日双方がこうした戦略的な視点から両国関係をとらえ、また国交正常化の原点に立脚点を置き、「四つの政治文書」を基準に両国間の問題を適切に処理すれば、政治的相互信頼は必ず再構築でき、両国関係を健やかで穏やかに発展させることができ、友情を象徴するサクラはさらに美しく咲き続けるだろう。(2012年4月9日記)

 

人民中国インターネット版 2012年7月

 

同コラムの最新記事
サクラを見て先賢しのぶ
中国と日本を舞台に女優への道描く 国交正常化40周年記念映画 『女優』
中日を結ぶ新しい海の定期便「オーシャンローズ」号第一船に乗る