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自在に描く光の芸術
砂絵パフォーマー

 

私の手が撒いたものは間違いなく美しい

携帯用のライトボックスのガラスの上一面に、きめの細かい砂を薄く敷き、パフォーマーの両手が軽やかなリズムで、時には軽く跳ね、時にはぎゅっと撫で、時にはゆっくり、また時にはさーっと砂の霧を撒く。砂はパフォーマーの意のままにまるで行雲流水のように、連続した絵が、今山川と思えば、羽ばたく雁に、また美人にと、ぱっぱっと夢のように、瞬きするさえ惜しいように思わせる。  

蘇大宝さんは、中国で一番早く砂絵パフォーマンスを始めた芸術家の一人である。若いころから北京にやってきて生計を立て、絵画、曲芸を学び、役者や魔術師もやったことがある。最後に砂絵と縁を結び頭角を現した。

最初に蟹を食べた人になる  

二〇〇四年のある日、蘇さんは偶然ハンガリーの芸術家が砂で絵を描くビデオを見た。「当時、非常にびっくりしました。すぐにガラスを探して、ビデオを見ながら勉強しました」。都合のよいことに、しばらくして雑談している時に友だちが、ある人が砂絵のパフォーマーを探しているけど、国内には砂絵をやっている人はいないし、かと言って外国の芸術家は簡単には呼べないとふと言った。  

「僕がやってみようか」と蘇さんは心の中で大喜び、すぐに友人に言った。「契約しよう。砂絵のパフォーマンスは僕ができる」  

「あのころは、国内に砂絵が描ける人はいなかった。全部自分で模索するしかなかった」。蘇さんが言うには、当時出演までたったの十何日しかなく、参考にできるのもネット上のビデオしかなかった。彼は工事場から持ってきた砂をよく洗った後、炒めて金色にした。彼はまた精魂込めて砂盆などパフォーマンス用の道具をワンセット作った。  

「家で一つのプランを準備したのに、実際に舞台に上った途端、頭の中が真っ白になった。幸い昔、絵を勉強した素地があったお陰で、本番に臨んで発揮し無事上演できた」。意外だったのは、たったの3分間の砂絵のパフォーマンスだったが、非常な好評を博したことだった。この時から、引きも切らず出演依頼が次々とやってきた。「後になってやっと知ったのだが、当時舞台の下に中央美術学院の教授もいたということである」

演者の上にあるカメラを通して、作画した光景が大きなスクリーンに放映される

一握りの砂 値万金  

ここ数年、中国各地に砂絵芸術の熱中者が大量に出現した。彼らは西洋芸術の影響を受けた者もいれば、蘇大宝など国内の先駆者の先導による者もいる。彼らはネットで自分の作品を広め、砂絵の中国での流行に拍車をかけた。企業の宣伝のため砂絵を創作したりあるいは企業の年次総会でパフォーマンスしたりした。時には結婚披露パーティーなどに呼ばれて砂絵のパフォーマンスで興を添えることもある。  

蘇大宝さんは自分の興行会社を経営している。彼が言うには、やっと売り出したころの出演料は何千元だったけれど、今では十分間で数万元だ。年末は忘年会が立てこんで、毎日上演がぎっしりつまっている。聞くところによると、ちょっと名が売れた砂絵パフォーマーでも年末の月収は十万元になるとか。

 出演の何日か前に、蘇さんはお客さんとテーマを決め、それから構想を練り、現場でまた創作する。「毎回、砂絵パフォーマンスは二つとないものです」。始める前に練習はするが、その場に臨んで気持ちの乗りで新しくなることも少なくない。  

「三百以上の企業で演じたことがありますが、つまり三百以上の作品ということです」

中国砂絵の未来はもっと素晴らしい  

蘇さんが言うには、初期は彼もただ西洋砂絵の真似をした。しかし「ただ真似をするだけでは、大器にはなれない」。研究し試みた後、彼は中国の伝統の水墨画と砂絵を結びつけ、意のままに息吹く独特の風格を作り上げた。彼は中国の砂絵が独自のスタイルを確立するには、中国文化を伝え中国画の境地を表現したものであるべきだと考えている。  

筆者がパフォーマンスにしたがって一幅一幅描かれては消えていく砂絵を惜しむと、蘇さんは笑いながら言った。「砂絵は人生と同じで、多くの素晴らしいひとこまの連続でつくられたプロセスです。現在に満足せず、過去を惜しまず、その後の一幅の砂絵はもっと期待できる。それでこそ未来がさらに素晴らしくなるのです」

 

人民中国インターネット版  2011年5月

 

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