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オリジナルアニメを 新世代のふたご作家

王焱=文 柳露霏 柳霜霏=写真提供

2010年2月、「有妖気」という中国オリジナル漫画ウェブサイトに、『マントウ日記』という数ページのカラー漫画が掲載された。これは、マントウという名の男の子がある冬の夜、養父母のもとを出て街頭にさまよう、という物語だ。主人公は汚い顔にきれいで大きな瞳、粘り強い性格を持ち、家族愛と友情を心底から望んでいる。

自宅で制作に集中している柳露霏さん(左)と柳霜霏さん

「マントウ」の境遇はあっという間に読者の心をつかんだ。その後の半年の連載で、数10万人がこの物語を読み、2万以上のメッセージが届いた。読んでいると「笑っているうちに泣いてしまった」と打ち明ける読者が少なくなかった。マントウが辛い目にあうと、しまいには作者に八つ当たりし、作者を「ままはは」だと恨む始末。ハッピーエンドにせよという声が、どんどん高まってきた。

模写がオリジナルに

中国伝媒大学アニメーション学院で、筆者はマントウの「ままはは」――柳露霏(姉)、柳霜霏という双子の姉妹に会った。

「私たち二人とも小さいときから美術が好きで、まる一日中絵を描いていました。小学校のとき、私たちはいつも好きな日本アニメを模写していました。授業中まで描いていたので、先生によく叱られました」とお姉さんが言った。

妹が横で聞いていて付け足した。 「中学校に行った後、私たちは同人漫画を描き始めました。描き終わればクラスメートに見せて、賛美の声を聞くと、本当に達成感があり、それからはずーっと描き続けています」

 制作の道具と専用の原稿用紙

高校生になって、二人は何冊かのギャグ短編を描き、期待を胸に投稿した。ところが受け取ったのは編集者からの作品のプロットに魅力がないという返信だった。構想を練り直した後、彼女たちの短編があるオリジナルアニメコンテストでついに受賞した。これが彼女たちを大いに勇気づけた。「これが私たちが漫画を描いて得た初めての賞でした。賞品は日本の『少年ジャンプ』から贈られた原稿用紙でした」と言った。

「マントウ」はどのように誕生したのか

2008年、二人は違う大学に入っても、引き続き一緒にオリジナルアニメを描き、その中のいくつかの作品は雑誌にも掲載された。しかし、何度か試みた後、単純なギャグ路線はやめることにした。

お姉さんは「いろんな映画やドラマをたくさん見て、逆境にめげずに微笑む人物こそ、読者の心をしっかりつかむことに気付きました。私たちは、すがすがしく、暖かく、会心の笑いの後、また癒されるというパターンを試みることにしました」と言った。

手描きの原稿をスキャンしてパソコンに保存する

妹が言葉を継いで言った。「私たちは、まず、楽観的で強い子という主人公を創りました。暖色のその子と対照的に、舞台は寒色の都市を選びました」

去年、姉妹は『マントウ日記』の何ページかを「有妖気」ウェブサイトに送り、試してみた。親しみやすく暖かい画風はすぐに多くの読者に喜ばれた。編集者は人気が出ると判断し、双方は契約を結んだ。

授業のない時、彼女たちは朝10時から絵を描き始め、夜11時に終える。時には、ストーリーの筋の展開に関して、姉妹二人にも食い違うことがある。妹は「どうしても譲れない時は、それぞれが描き上げて、どちらが効果的かを見ます」と言った。

逆境で微笑むのは主人公ばかりではない

彼女たちは、『マントウ日記』の単行本の出版を準備しており、次の作品も制作中だと言った。「私たちはずっと続けたい。アニメを描いて生計を立てたい」

 パソコンのソフトウェアを使って修正を行い、色をつける

現在、中国には数千人のオリジナルアニメ作家が活躍している。雑誌に20ページ掲載すれば、約3、4000元の原稿料になる。多くの人は生活のためにアルバイトをしている。単行本を出版して相当の収入が得られるのは少数の作家だけだ。しかし、いいことも結構ある。たとえば、ネット上で、豊かになりつつある若い読者たちが直接好きな作者に寄付したり、関連商品の開発も始まっている。

マントウは何度の挫折にもめげず、落ち込むこともなく、いつも彼をかばう人に出会う。このストーリーの最後に、マントウはついに憧れていた温かい家庭を見つける。中国のオリジナルアニメ作者たちにもより輝かしい未来が待っていることだろう。

 

人民中国インターネット版 2011年10月

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