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多くの友情に感謝を込めて

 

「中国も日本も共に僕の故郷です。日本での最大の収穫は友情ですね」と、日本で活躍中のバリトン歌手・崔宗宝さん(52)は語る。

1992年、32歳の崔さんは北京の中学校教師をやめて、声楽を勉強するために東京にやって来た。日本語は分からないし、ポケットにはわずか3万円。声楽勉強の旅の第一歩は苦難に満ちていた。「当時、東中野に住んでおり、毎日午後、池袋の日本語学校に通い、夜は新宿のラーメン屋で食器洗いのアルバイトをしました。毎日、この3カ所を結ぶ三角形を自転車で走り回りましたよ」と、当時の苦労話を披露してくれた。

生活は苦しかったが、持ち前の明るく朗らかな性格で、恵まれた歌唱力とたゆみない努力によって、1994年、東京芸術大学大学院音楽研究科に合格しただけでなく、数多くの日本人の友人もできた。1998年、大学院を修了した後、生活にも転機が訪れた。日本人の友人の協力で中華料理店を開店できたのだ。収入が増えるにつれ、彼は声楽の練習に専念できるようになった。

2001年、東京文化会館で初めて開いたリサイタルには、640が来場し、しかも全員日本人だった。「これはすべて日本人の友人らのおかげですよ。彼らがいなければ、リサイタルは成功しなかったでしょう」と、当時の感激を思い出していた。翌年、2回目のリサイタルの聴衆は1900人に増えていた。彼の名前は少しずつ知られてきた。2010年10月、有名なソプラノ歌手・森麻季さん、中国の有名なテノール歌手・戴玉強さんを誘って、北京の中国国家大劇院で開いたコンサートは大成功だった。日本からも彼のファン150人がやって来てくれた。

中日の芸術家たちと北京の国家大劇院で共演している崔宗宝さん(右から2人目)。バックで歌っているのは彼のファン(写真提供・本人)

歌手として成功してからも、長年支援してくれた日本人の友だちを忘れなかった。2011年、「3・11」東日本大震災後、崔さんは東京で10回のチャリティーリサイタルを開催し、宮城県白石市に46万円寄付した。同年11月、彼は岩手、宮城、福島三県から音楽大学に合格した学生全員に、ひとり20万円の奨学金を進呈した。

 

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人民中国インターネット版 2013年3月26日

 

 

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