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不屈の北川中学

不屈の北川中学

北川中学の遺跡は永久に保存され、ここに地震博物館の建設が予定されている

北川中学は、5月12日の大地震で、中学生の死傷者を多く出し、一夜のうちに中国全土に知られるようになった。学校名をあげると、みなが同情と関心を示し、善意の援助が絶えることなく全国各地から寄せられた。やがて、劉亜春校長には、自分なりの考え方が生まれた。

校舎の損傷がひどく、授業ができないため、私たちは綿陽市長虹集団トレーニングセンター内に臨時に暮らしている北川中学の生徒と教師たちを訪ねた。

劉亜春校長は、40代初めであり、小柄な体に両目が光り、話し方も力強い。彼に会った時はちょうど、台湾の仏教組織が学校の成績優秀な生徒に奨学金を渡しているところだった。会場では、数十名の奨学金を得た生徒たちに対し、劉校長の訓話が行われた。自分を災害の被害者だと思わず、社会の善意の援助に頼らず、気骨と意志を持つ優れた中学生となり、能力をつけ、故郷の再建をよりよいものにするように、と劉校長は学生たちに求めている。常に恩義に感謝する心を抱き、絶えず自分を強く保ち、不撓不屈の精神をもって社会に報いるようにと、劉校長は生徒たちを教育している。

災難はすでに起こり、その痛苦は忘れがたいものとはいえ、嘆きのなかに沈み、学生たちへの関心を、ただ目をかけ可愛がるレベルだけにとどめてはいけない。志をたて、奮闘する情熱を沸き上らせるべきである。それゆえ、新校舎の再建計画にあたり、彼は、新北川中学は豪華な学校でなく、現地の実情に沿った一流の学校にすべきであると主張している。

よい学生を育てるため、劉校長は教師たちの実際の現場において、同じく被災者である教師たちにも自力更生、困難の克服、希望の創造を表すよう求めている。彼は教師たちを上海、江蘇省、成都、香港など教育の経験が豊富な省、都市へ研修のために送り、教師たちの素質を高めるべく尽力している。不合格の教師たちに対しては、北川中学を去るように勧めている。「現在、全校95%の教師たちは、強い危機感と責任感を持ち、私とともに、北川中学の授業環境を震災後の異常な状態から震災前の正常な雰囲気にまた戻すことでしょう」

北川中学は新校舎完成前なので、授業は、綿陽市にある企業のトレーニングセンターで行われている。体操場でスポーツイベントに参加する生徒たち

目下、北川中学には61のクラスがあり、3082名の学生がおり、うち70名の学生には、負傷の障害が残る。高二年のクラスで、私たちは、右足の神経が負傷した2名の学生に会った。それは、16歳の女子生徒、母敏さんと、17歳の男子生徒、劉書豪さんである。母敏さんは、以前の69人の同級生がいて、地震のなかで50人以上もの生命が失われた。劉書豪さんの70人の同級生のうち、生存者は30人あまりである。二人は一つのクラスで一緒に学び、悪夢のような災難のことはあまり話したがらない。

母敏さんは、「仮設住宅にいるほうが安全に思え、アパートには住みたくありません」という。彼らはいま、毎日6時半に起床、7時から授業が始まり、正午には2時間の休憩、また午後には2時10分から夜10時10分まで授業があり、10時25分に消灯である。

劉書豪さんは、毎日の予定はぎっしり、毎週、日曜日のみ休みとはいえ、日々はとても充実し、思い乱れたりする時間もないという。彼らの現在の主な目標は、努力して学習することであり、来年の大学入試にむけて準備することである。将来について語った時、恥ずかしがりの母敏さんは、ただ笑うだけで答えず、アニメーションが好きな劉書豪さんは、コンピュータのデザイナーになりたい、という。また彼は、もし建築技師になれたら、頑丈な住居を作るのも、いい選択だ、という。

取材を終えると、ちょうど学生たちの夕食の時間になった。にぎやかに多くの生徒たちが食堂に向かう。若者に混じり、彼らの話や笑い声を聞き、彼らがふざけあっているのを見ると、私たちは、青春の活力を肌で感じることができた。

 

人民中国インターネット版 2009年5月

 

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