「人民中国」誌が記録した中国の時代  
 

1953年創刊の「人民中国」誌は、中華人民共和国とほぼ同年齢である。私たちは本誌をめくり、中国の60年における様々な出来事を振り返ることができる。

50年代

 「人民中国」創刊号の表紙。1953年の労働節、天安門城楼上で毛沢東主席に花を捧げる少年先鋒隊員の子供たち
1953年、中国は国家の工業化の実現を目標とした第一次5カ年計画を制定、大規模な国家建設にとりかかった
 1953年1月、中国は、郷、県、省など各級における第一回全国人民代表大会の普通選挙を行った。本社記者は、山東省歴城県沙河村にでかけ、村の選挙の様子を取材した。
 武漢長江大橋は、長江にかかる第一号の橋である。当時の大橋の工事の様子。
 1954年、中国の第一回全国人民代表大会は、正式に「中華人民共和国憲法」を議決した。代表の投票と、憲法誕生を祝う民衆の様子。
 

60年代

 水上訓練に励む婦人民兵
 
 農業を大きく発展させるため、新中国では大規模な農地の水利工事を行い大きな成績をあげた。
 
 60年代には、雷峰に学び、他人を助けることを喜びとする気風が社会に広範囲に広がった
 
 1965年、500名の日本の青年が中国を訪問した。本誌は特集で報道した。

70年代

 9月25日の夜、周総理は田中総理大臣歓迎の宴会を催します。
 北京は中国の古都であり、その発展は市民の普遍的な関心の的である。本誌は都市計画、建設の関係者に北京の緑化、文物保護、住宅問題に関しておおいに語ってもらった
 科学技術の進歩により、中国の食糧生産は迅速に発展し、中国は農業の現代化を歩み始めた。 
 70年代末、文化大革命が終了し、人々は次第に正常な生活をおくり始めた。1979年のある特集では、人々の恋愛、結婚、家庭などの観念について探っている。
 
 

80年代

 昨日、今日、明日(油絵) 第六回全国美術展より 貝家驤画
 農村では、多くの農民が養殖、植林業に取り組んだ。
 80年代初期、中国は改革開放期に入った。当時の青年は知識欲にあふれ、発展を熱望した。1984年のある号では、記者は上海青年の学習熱を写真に記録している。
 80年代初期、エアロビクスは都会の流行になった。
 1980年8月、深圳、珠海、汕頭とアモイは、正式に国家経済特区の第一号となり、中国の経済発展の先進都市となった。
 改革開放の推進により、80年代、個人経営者は新階級となった。本誌記者は、青島で現地の個人経営者の市場を取材した。

 

90年代

 上海外灘の夜
 90年代に入ると、上海の浦東は中国経済発展の輝かしい場となった。
 対外貿易の発展により、北京には、外国産商品を扱う専門の商人が増え、北京人は彼らを「洋倒翁」と呼んだ。
 1993年、中国を南北に走る、全長2370キロの「京九」鉄道の工事が始まった。現在、京九鉄道は、南北の重要な経済上の動脈となっている。
 1997年と1999年、香港およびマカオは正式に中国に返還された。「一国両制」は、ひろく認められている。
 1998年は、中日友好平和条約締結20周年である。現在、中日両国は、互いに最も重要な経済貿易国家となっている。

 

2000年以降

 2008年7月16日、北京オリンピック開会式のリハーサルで、美しい花火が「鳥の巣」の上を彩った。
   2001年、中国は正式にWTOに加盟した。中国はすでに国際的一体化のなかに融合している。
   中日国交正常化30周年記念号
   2003年、中国の神舟5号は、有人飛行に成功した。
 新世紀に入り、中国は「新農村」建設のスローガンを全面的に掲げた。新農村合作医療保険、農村最低生活保障、義務教育雑費の取り消しなどの政策が農民に対しとられている。
 2006年7月、青蔵鉄道が全線開通した。
 2007年11月、中国の「嫦娥1号」衛星が送信した第一号の月の写真
 2008年5月12日、中国では四川大地震が発生した
 2008年8月、北京オリンピックが成功裏に開催された。
 2009年通航、通信、通商の大陸と台湾との三通政策がついに実現した

 

人民中国インターネット版

 

 

 
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