PART3 保護と修繕で次世代に残す

2024-01-08 16:13:00

李家祺=文 

イクリング愛好家の黎夏さんにとって、永定門から北へ進み、天安門広場や故宮、鼓楼、鐘楼などを経由し、オリンピック公園到着後に来た道を戻るという24のルートが一番のお気に入りだ。 

近頃、黎さんはサイクリング中に中軸線周辺の見違える変化によく気付く。道路が広く平らに整備されただけでなく、沿線の歴史的建造物の修繕保全によってサイクリングがより快適に楽しめるようになった。黎さんが感じた中軸線の変化は、中軸線と旧市街地の保護の取り組みによるものだ。一連の効果的な措置を通じて、長い歴史を持つ多くの文化遺産は中軸線によって結ばれ、旧市街地の保護と復興もいっそう推し進められるようになった。 

修復と再生 

中軸線上にある天安門広場の最南端の正陽門は、明清時代の紫禁城皇城を中心とした内城の南城門だ。2020年10月、正陽門の南側に位置する防御門「箭楼」の修繕作業が本格的にスタートした。 

北京中軸線遺産保護センターの関戦修主任の説明によれば、修繕作業において、できる限り既存の建物に使用されている材料を使い、当時の技法を再現し、元の構造に戻し、歴史と記憶を最大限残したとのことだ。「例えば瓦は、全て剥がして新しいものにするのではなく、蓋瓦(垂木と垂木の間にふく底瓦の継ぎ目の上を覆う瓦)を一枚ずつ剥がし、底瓦を一枚ずつ調べ、破損していたりなくなっていたりする瓦だけを交換します。交換用の瓦を元の形に焼き、元の位置に戻すんです」 

中軸線の北端にそびえ立つ鼓楼と鐘楼は、元清の時代の時を告げる場所だった。数百年にわたり、「夜に鼓を打ち朝は鐘を鳴らす」音が町に響き、庶民に親しまれてきた。 

「ドーン! ドーン!」。午前11時、太鼓をたたく音が2階から響く。これは鼓楼で毎日定時に行われているパフォーマンスだ。一つの大太鼓と24の小太鼓による音は、リズミカルでメリハリがある。大太鼓は1年、24の小太鼓は24節気にちなんでいる。 

昨年上半期の鐘鼓楼の入場者数は延べ20万人を上回り、19年同期に比べて51%増えた。鐘鼓楼文物保管所業務部の左艶傑主任は、「平日でも朝早くから来場者が鼓楼の前に並び始めます。アンケート調査によると、25~45歳が大多数を占めています」と話す。 

若者を引き付ける秘訣(ひけつ)は「新しさ」にある。 

鼓楼の1階にある展示ホール「北京時間」では、入場者は空中に浮かぶ「時を告げる太鼓」と「永楽大鐘」の前で、太鼓を叩き鐘を鳴らす疑似体験ができる。「四九城(旧北京の通称)で鐘の音を聞く」装置では、インタラクティブスクリーンをタッチすることで内城の門の鐘の音を自由に選べる。音響シミュレーションにより、同装置は鐘楼一帯に響いた低く力強い鐘の音、中軸線南側の万寧橋周囲に漂う川のせせらぎと鳥のさえずりを伴った鐘の音、地安門と永定門を盛んに往来する車馬に溶け込む鐘の音など、異なる場所にかつて響いた鐘の音を再現できる。 

ここ数年、中軸線上にある100カ所以上の文化遺産の修復作業が相次いで始まった。長い年月の風雨にさらされた古都の貴重な歴史文化資源は、時間の中で輝きを取り戻している。 

旧市街に新しい息吹を 

中軸線保護の取り組みによって、文化遺産が修繕されるとともに、旧市街地の住環境も改善されている。 

午前10時を過ぎた頃、朝のトレーニングを終えた北京市民の范来友さん(68)は、友達数人を誘って一緒に自宅に向かった。鼓楼を左に曲がり、鐘楼湾胡同に入って最初の曲がり角に建つ家が范さんが住んでいる90号院だ。自宅の中庭から見上げると、青空の下に鐘楼と鼓楼が向かい合ってそびえ立つ風景が目に入る。ここで生まれ育った范さんにとって、これは日々の暮らしに溶け込んだ大切な風景だ。 

中庭でお茶を入れた范さんは友達とここの変化について語り合った。「以前、この『三進式』(前院、中院、後院という三つの中庭を持つ)造りの四合院には20世帯以上が住んでいました。地形の問題で雨が降る時期になれば水が溜まり、最も深いところでは魚が飼えるほどでした。雨の日にどんな靴を履いて出掛けても、歩けば必ず胡同のぬかるみにはまりました」 

市街地のリニューアルや裏通りの整備に伴い、胡同と四合院も新しい姿を見せ始めている。四合院の違法建築が取り壊され、古い家屋が軒並み修繕され、上下水道が整備され、窪地にある庭の地面が高くされ、パブリックスペースにセンサーライトが設置された。さらに、庭から胡同まで透水性レンガが敷かれた。「雨の日に水が溜まる心配がなくなりました」と范さんは言う。 

整備された四合院には7世帯が住んでいる。スペースが以前と比べ広くなり、環境も改善された。花や植物が好きな范さんは庭でランやジャスミン、ブドウを植え、より快適な暮らしを送っている。「この四合院に住んで、とても幸せです」 

申請型立ち退きは、中軸線の沿線上にある人口が密集し、住環境が悪い公有平屋住宅を対象に打ち出された革新的政策だ。立ち退くか残るかは、住民が自分で選択する。立ち退きを決めた住民は面積がより大きいマンションを申請、もしくは立ち退き料をもらうことができる。残る住民は、住環境が大きく改善される。例えば、トイレや台所などの生活空間の整備、健康器具エリアやシルバーエリアの増設など。申請型立ち退きによって、胡同の住民たちは次々と新しい生活を迎えた。 

生きた文化を守る 

鼓楼に登ると、中軸線の壮大な景色を俯瞰(ふかん)できる一方、平屋の屋上に作られた違和感のある小さな建物を多く目にする。それらは個性的なハト小屋だ。 

史料によると、明代にはハトに空を旋回させたりハトを観賞することが皇族や官吏、商人の間ではやっていた。清末には、ハトは庶民の暮らしに溶け込み、ハトを飛ばしたりハト笛を聞いたりすることは北京市民の休みの過ごし方となり、今日まで続いてきた。空を飛ぶハトの群れと抑揚のある笛の音は中軸線上の「生きた文化」をつくり出している。 

しかし、平屋の屋上に設けられたハト小屋は大小さまざまで色もばらばら、灰色のれんがや瓦でできた中軸線上の歴史的景観とまったく相いれなかった。昔ながらの北京のハト笛を残すために、ハト小屋は改造を迫られた。 

ハト小屋の「モデルルーム」の設計を担当したのは、清華大学建築設計研究院文化遺産保護センター計画所の(ほう)書経所長だ。ハト小屋を中軸線の景観に溶け込ませるため、龐さんと彼のチームは高さ1のハト小屋の設計図とサンプルを作った。ところが、この精巧なハト小屋はすぐ飼い主に却下され、龐さんは冷や水を浴びせられた気分になった。 

問題の所在を探るため、龐さんとチームメンバーは鼓楼周辺の胡同に住むハトの飼育歴40年の史勇濤さんの家を訪れた。史さんはハト小屋の設計図を一目見て何度も首を横に振った。「このハト小屋は低くすぎます。私のを見てください」 

はしごを登って屋上のハト小屋の中に入ってみると、身長が1以上あっても伸び伸びできるほどの高さだった。「なるほど、高さ1のハト小屋がなぜ駄目なのか分かった。腰を屈めたままではハトの世話はできないんだ」と龐さんは悟った。 

「高さのほかに、旧市街地のハト小屋そのものは購入できないことも知りました。パーツを買って積み木のようにハト小屋を組み立てていかなければなりません。それに、人間が住む家と同じように、機能ごとにいろいろなスペースを分ける必要があります」。史さんの指摘を受けた設計チームは住民の家を一軒ずつ訪問し、ハト小屋の機能を細分化し、ハト用に「ベランダ」と「ジム」を増やしただけでなく、ハト小屋の屋根をフラットから勾配付きにし、ハト小屋の高さで中軸線の景色を壊さないという前提に基づき、人間とハトの出入りをよりスムーズにさせた。また、龐さんはハトの飼い主を設計に参加させた。「ハトを飼っている私たちにとって、中軸線の世界遺産申請に力を貸し、より多くの人が北京の古い文化を知り感じるように手伝えるなんて、これほどうれしいことはありません」と史さんは言う。 

生き生きとした中軸線は、北京独自の文化の記憶を継承しているだけでなく、北京という千年にわたる古都の新しい時代の物語を伝え続けている。

人民中国インターネット版

 

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