座談会・実り多い次へ

2024-02-01 13:36:00

Panda杯が10周年を迎えようとしている今、大会に深く関わる7人に、Panda杯が始まったきっかけ、関与参加する中で最も印象深かったこと、そして今後の展開を語ってもらった。 

于文 王衆一特別顧問と西園寺教授は、Panda杯の誕生から成長、そして努力が実を結んだ今までを見守ってこられたわけですが、Panda杯誕生のきっかけや2014年当時の中日関係についてお話しください。また、当時の日本の若者の中国に対する認知度や姿勢はどのようなものでしたか。 

王衆一 当時の中日関係は領土問題や歴史問題を巡る摩擦が深刻化し、日本の政治家の中国に対する発言で両国間の相互信頼の基盤が損なわれるなどの困難に直面していましたが、民間レベルでは、日本の多くの若者が急速に発展する中国に興味を持っているということに気付かされました。 

14年は1984年に開催された第2回中日青年友好大交流30周年という記念すべき年でしたが、この存在が、「困難なときこそ青少年に対する働き掛けをより多くすべきだ」と思い起こさせてくれたのです。当時と異なり、人的交流が正常化から日常化に変わりつつある現代においては、大規模な交流活動を繰り返すよりも息の長い取り組みをした方が良いと考え、まずは作文という形で日本の若者に中国に対する認識を聞いてみようと考えました。誰でも知っている中国の何かを名称に使おうと思ったとき、日本の若い人たちも大好きなパンダの姿が目に浮かび、「Panda杯」のイメージが出来上がっていきました。日本科学協会からはすぐに賛同の連絡があり、駐日本中国大使館からも賛同と支持を得ることができました。Panda杯はそうしたささやかな動きから始まりました。 

西園寺一晃 王特別顧問がお話しになった通り、当時の日中関係は決して良くはありませんでした。2012年、民主党の野田政権が「島」の国有化をし、中国は猛烈に反発しました。一方、10年には中国のGDPが日本を抜き、以降日中の経済力の差が拡大しました。「島」の問題と経済力の逆転で、日本には「中国脅威論」が生まれ、反中勢力は盛んに「中国脅威論」を振りかざしました。このようなデリケートな時期にPanda杯はスタートしたのです。こうしたコンクールの経験がなかったから募集も手探りで、応募者がどのくらい集まるか、実は私は不安でした。個人的には少なくとも100人は欲しいと思っていましたが、ふたを開けてみると200人を超えました。第1回としては上々だと胸をなで下ろしたのを覚えています。 

日中関係が良くないからこそ、このような作文コンクールには意義があります。開催が日本人の正しい中国理解の一助となること、そして募集対象を今後の日中関係を担う青年にしたことからも、われわれの目的は正しかったと確信しています。 

 私は14年7月から東京支局で2度目の駐在を始めました。着任早々取り組んだのが、第1回コンクールの準備と立ち上げでした。 

発足当時の20代や30代の日本の若者の対中姿勢は、私が初めて赴任した06年と比べて明らかに変化しており、日本の人々の対中姿勢に親近感が少なくなり、中国に対して無関心になっているのが感じられました。私が接した日本の若者の多くは、中国理解が少ないため話題に乏しく、あるいは何を心配しているのか、意図的に中国を避けていると感じられたため、とても悲しい気持ちになりましたし、今回の駐在は前回のような明るい日々にはならないだろうと予感しました。 

熱意と不安の両方を抱えながら、第1回の作品募集が始まりましたが、締め切り10日前になっても十数点の応募しかありませんでした。これは先にお二方が話された状況に合致します。この状況を共催のスタッフに話したところ、皆さん理解を示してくださるものの、力なくため息をつくばかり。しかしここで諦めるわけにはいかないと、募集締め切りまでの10日間、日本科学協会と共に作文の提出をお願いしたい学校や青少年関連団体を訪問しました。驚いたことに、直に会ってお話したことが奇跡的な効果をもたらし、締め切り2日前から東京支局のメールアドレスに突如大量の作文が届き始め、玄関ポストも応募作でいっぱいになりました。締め切り当日にも大量のメールを受信し、第1回は予想を大きく上回る220点もの応募があったのです。 

 さて、王特別顧問と西園寺教授は第1回から審査員を務められていますが、応募作品にはどのような特徴があると見ていますか。 

 私は西園寺さんとのご縁があるようで、「大中物産杯日本語弁論大会」でも共に審査員を務めました。Panda杯の作品の特徴は、いずれも応募者の個人的な経験や考えに基づいた非常にシンプルな内容だということで、これにはとても感動させられました。彼らは特に中国の伝統文化と若者文化に興味があり、現代中国で起こっている変化についてはより敏感です。中国研修旅行に参加した人たちは帰国後の感想文で、現代中国への理解がより広く深くなったと書いています。文面から若者たちが中国人の生活の細部にまで観察の目を配っていることが分かり、非常に現実的な感情表現と、わざとらしさがない文体に、日本の若者の純粋さと親しさが表れています。全体的にレベルが高く、それぞれに良いところがあるので、実を言うと評点にはかなり悩まされました(笑)。 

西園寺 過去10回の応募作品の特徴をいくつか挙げてみましょう。 

 ①作文には自分の考えを自由に書けば良いと思いますが、論旨(読む人に何を訴えたいのか)、論拠(訴えたいことをどう説明するのか)、そして結論という3点を明確にするという最低限のルールは守らなければなりません。Panda杯の応募作品は、おおむねこれが明確です。つまりほとんどの作文がうまく書けているということです。 

 ②日本社会には中国に対する偏見と誤解が満ち満ちています。さらにメディアは中国に対する客観的報道をしていません。しかし多くの応募者は中国に対し、日中関係に対し、比較的冷静で客観的な態度を持っています。「真の等身大の中国」はどのようなものなのか。中国の若者はどのような生活をし、日本に対しどのように思っているのだろう、といった「本当のこと」を知りたいという切実な思いが、作品から感じ取れます。 

 ③ほとんどの作文が、非常に素直で具体的です。自分が体験したこと、身の回りで起きたことを素直に表現し、論旨を説明しています。私はこうした素直さや純朴さに好感を抱いています。 

 ④多くの応募者は、「自分は中国に良い感情を持っていなかった」と書いています。しかし、実際に中国に行ってみたら、中国の若者と友達になったら、そんな対中観や偏見が消えた。周りの人の話やメディアの報道では、「真の中国」は決して分からないと言うのです。そして、自分の頭で考え、自分の目で見、自ら中国に触れる大切さを強調しています。こういった作文を読み、私は行動を起こすこと、触れることの大切さに改めて気付かされました。 

 ⑤「真の中国」を多くの日本人に伝えたいと考えるようになった、自分は日中の「懸け橋」になりたいと書く応募者が少なくないのは素晴らしいことだと思います。こうした日本の若者が生まれるのは、Panda杯の成功を表していると言っていいでしょう。 

于 木村さんは一貫してPanda杯作文の忠実な読者で、次回からは審査員も務められます。以前の作品で印象的だったことはありますか。 

木村知義 若者の作文を読みながら、各所で胸に込み上げるものがあって、涙目になりながら読み進む、そんなかつてない体験をすることになるとは想像もしませんでした。 

作文によって、中国と日本が深い絆で「つながっている」ことを強く実感させてくれる作品世界を読むことができたと思います。そして、この作文コンクールが、日本の若者たちにとって、中国の発見と、それを通して自己を見つめ、それぞれが触発される言論空間を提供していることを知らされました。 

「日本では表面化しない歴史の側面——『侵略者』としての日本像に気付かされた」と率直につづり、かつての日本による中国侵略の歴史を深く知ることになった自身を見つめ、「日本の若者は改めて歴史を省みるべきだろう。無知が知に変わるとき、中日の関係はまた一歩前進するのだ」と語る若者の発見。中国への旅や留学を通して出会った中国の人々の温かさ、人となりの発見。中国の歌や音楽、史跡、文物など文化における発見。あるいは中国の発展する技術などとの出会いによる、時には衝撃ともいえる新たな視界の広がりにつながる発見など、実に多様で豊かな発見があり、読んでいて若者たちの感動を共に分かち合うことになりました。 

表現は月並みですが、「君たち、本当に素晴らしいね!」という言葉が胸の中に湧き起こりました。 

さらに、こうしたさまざまな発見の体験を通して、「中国と日本の絆づくりに貢献していきたい」あるいは「未来に向けて、日中交流の推進に情熱を注ぎ続けたい」といった、中国と日本をつなぐ役割を果たしていきたいという、これからの生き方に関わる決意、思いを語る姿に胸が熱くなりました。 

また、全ての作者が、留学の体験、旅の体験、あるいは中国の生身の人々との出会いの体験など、体験することの大切さを語っていることは、読者に対してとても大事な示唆(しさ)をもたらしていると思います。すなわち、「自国のニュースだけ見ていても、その国のメディア操作に飲み込まれているだけかもしれない。そのため私は、日中間の出来事については、必ず中国の主張も確認するようにしている。また時には、別の国が私たちをどう捉えているかを映画やニュースを通して知る。日本ではこう聞いた、こう習ったでは通じない。日中間に起こった歴史には、日本とは異なる中国の考えもあるはずだという認識を持つべきである。二つの考えを知り、理解しようと思えて初めて、自分の意見が確立される」という述懐には、この筆者の自戒、自覚にとどまらず、中国を伝える日本のメディアや日本における「中国に関わる言説、言論」との向き合い方に関わる、重要な視点が語られていると感じました。 

 中島さんと山本さんは受賞者で 

すが、Panda杯を知ったきっかけは?実際に応募して最も印象的だったことは? 

中島大地 以前日中交流を行う学生団体で活動していて、そこでPanda杯を知って応募しました。最も印象深かったのはやはり訪中ですね。初めて行った四川省など、さまざまな地域を知ることができ、とても貴重な経験となりました。 

山本勝巳 私は大学で国際交流の仕事をしていて、Panda杯のチラシが『人民中国』から送られてきたのがきっかけでした。多分学生向けの案内だったと思うのですが、学生用掲示板に貼るときにはすでに自分も応募しようと考えていたのを覚えています。 

参加して印象深かったことは……やはり受賞できたことですかね。日中関係が必ずしも良好とは言えない時期もあり、中国語を話すと「どうして中国語を勉強したの?」と奇異の目で見られることもありましたが、受賞したことで自分が中国を好きでいいのだと肯定していただいたような気がして、うれしかったのを覚えています。 

 訪中で忘れられない思い出は? 

中島 訪中したことで、中国のさまざまな側面を知ることができて、とても有意義でしたが、一番印象的だったのは人との交流です。中国では現地の学生との交流がありましたが、彼らに北京のいろいろな場所を案内してもらったり、中国ならではのお土産をもらったりしました。また、自分と同じく中国に関心を持つ日本の方とも交流ができ、励みになりました。 

山本 全てが印象的だったのですが、一番は王総編集長(当時)と知り合えたことです。私が中国映画を好きだと言ったら、王総編集長が翻訳した本にサインをしてプレゼントをしてくださいました。仕事柄、中国人の同世代や若い学生たちと交流する機会は多いのですが、日中交流の生き字引のような方々との交流は、学ぶべきことが多かったです。昨年はこのご縁を生かし、大学のイベントで王総編集長をゲスト講師としてお招きし、講演をしていただきました。せんえつですが、王総編集長から私、私からさらに若い世代へと、Panda杯の縁のたすきをリレーできたような気がして感慨深いです。 

 山本さんに本を贈ったことは、今でも覚えています。訪中の際、山本さんが孫悟空の金の如意棒を手に周囲を睥睨(へいげい)した姿は今も忘れられません。あれから10年、山本さんはすでに中日交流の第一線で活躍するキーマンとなりました。習近平国家主席からの返信を受け取った中島さんも、文化交流や感動的な小説で活躍されていて、とてもうれしく思います。 

第1回の受賞者が訪中した際、訪中団の団長と若者数人をわが家に招いて家庭料理をふるまい、お互いの趣味などについて和気あいあい語り合ったことを思い出します。これがきっかけで、われわれの距離は一気に縮まりました。地方旅行に連れて行ったときも、皆さんはどこに行っても地元の歴史や著名人の話に熱心に耳を傾け、中国人の若者との交流に前向きでした。さらに重要なのは、市井の人々との触れ合いで中国の「日常」を見、「等身大の中国」を感じたことだったと思います。この経験は、訪中前に抱いていた中国への印象をさらに豊かなものにしたでしょう。私は北京を離れる訪中団の送別会のたびに、「好奇心を持って未知と遭遇しよう」「見る、聞く、歩く。読む、飲む、出会う」という言葉を贈り続けています。真っすぐな心を持つ若い人たちは、中国のとりこになってしまうことが多いようです。 

 郭寧さんは長らく青少年交流事業に従事されていますが、Panda杯が発揮する役割とはどのようなものと思われますか。 

郭寧 まず第一に、語学学習は特に大切だと思っています。 Panda杯は日本語で書かれた作文で競いますが、中国語学習に興味を持って応募した人も少なくありませんし、コンクールがきっかけで中国語学習に興味を持った受賞者や応募者も多いように見受けられます。言語はコミュニケーションの懸け橋であり、その国を理解するための最大の鍵となります。中国語に興味を持ち、中国のことをもっと知りたい、中国とさらにコミュニケーションを図りたいと思うことは、とても意味のあることだと思います。 

次に、Panda杯の開催は参加者にとっても良い後押しと励ましになるので、彼らは両国間の懸け橋になることができるだろう、ということが挙げられます。私は皆さんの作文を読んで、30年前に国際交流基金主催の大学生日本語弁論大会に出場して最優秀賞を受賞し、幸運にも日本を訪れることができたときのことを思い出さずにはいられませんでした。この受賞は私に中日友好交流に取り組む決心をさせるほど、大きな影響を与えました。中島さんや山本さんのように、参加がきっかけで両国友好交流の使者となる若者が増えると信じています。 

 木村さんは『人民中国』のコラムの中でしばしば青年交流に触れていますね。現状の中日青年交流についてどのように見ているか、また、両国の青年交流を発展させる意義は何だと思われますか。今後、どのように青年交流を展開していけばいいのかについても、意見をお聞かせください。 

木村 青年交流の大切さは誰もが感じていると思います。そして今、日中両国で、未来だけでなく現在をも代表するにふさわしい若者が登場する時代になっていることを知る日々となっています。 

日本と中国という、体制、社会の仕組み、暮らし方などの異なる国同士でありながら、若者たちはいともたやすくヒョイと国の境、壁を乗り越えて交歓、交流が成立する風景を何度か目の当たりにしました。そうした新しい交流の中から、新たな日中関係を創造していくことに委ねるべきときに来ているということを知らされます。ゆえに、若者たちを信頼し、若者たちに委ねようという覚悟を、前の世代の私たちが求められているのだという時代認識です。 

だからこそ、一見矛盾するようですが、若者たちが新たな感性、新たな感覚で新たな日中交流の世界を創り出していく際に、過去の歴史を知り、日本と中国にまだ国交すらなかった時代に、日中両国の先人、先達たちがいかに血のにじむような努力を重ねて現在を切り開いたのかを学び取る環境を、今の時代にふさわしい形でつくっておくことが、「前の世代」のわれわれの責務として問われるのだろうと考えます。 

若者を信頼するとは、そうした場で若者たちがしなやかに学ぶことも含めてのことです。この「新」と「旧」の、矛盾するかのような二つのことを新たな発想で、柔軟に、同時に成し遂げていくことがとても大事になっていると考えます。その意味では、旧世代の若者世代への認識の柔軟性と深さが試されているのだと思います。そのことが分からないと、そして若者世代を信頼し、若者たちの感性に委ねていくという「思い切り」ができないと、日中の若者世代同士の交流に発展はないのではないかと思います。 

もう一つ、旧世代の責務は、いま存在する日中関係を阻害する問題を一つでも二つでも取り除いて、次の世代の人々がより自在に動けるように環境を整えておく、その努力を重ねていくということにあると考えます。それは政治や外交安保における諸問題といった大状況にとどまらず、私たちの身近な問題にまで及ぶ努力が大切になるということです。例えば、学校の先生方が中国との教育交流に取り組もうとすると父母、保護者などから賛同を得られない、あるいは批判にさらされて腰が引けてしまうといった「空気感」が何とも言えない重苦しい重圧となっていると、教育関係者や地方自治体関係者から聞いたことがあります。こうした現在の日本を覆う中国に対する何とも形容しがたい「反感」「嫌中」という世の空気感を少しでも拭い去り、真摯に日中間の交流に取り組もうとする人たちを励まし、支えていくことなど、なすべきことは本当にたくさんあると感じます。 

そして、若者世代の交流についていえば、アニメやゲームなどネット世界にかぎらず、日本のものづくりの現場で働く若者や技術者、起業を志す若者など、実業に携わる若者世代、文化、工芸など広く多様、多層の若者世代の交流を企画して活発にしていくことも大事になると考えます。これも若者の創意を募れば、従来の既成観念では思いつかない新たなアイデアが生まれてくると思います。 

 最後に皆さんにお聞きします。今後10年のPanda杯はどのように運営していけば良いとお考えですか。 

山本 若い世代の交流のプラットフォームが多様化し、個人のSNSを中心に新たな日中関係が胎動していると感じます。個人の嗜好(しこう)が細分化されてきて、今まで中華料理という大きな枠組みであったのが、「四川火鍋」「蘭州牛肉麺」といったジャンルに細分化され、コアな愛好者が日本人にもいます。中国には行ったことがない、良く知らないけど「激辛麻婆豆腐」は好き。そういった意味での信頼関係や理解は確実に進んでいると思います。細分化され、多様化する流れにあっても、Panda杯はその全てを受け入れて、個々の日中関係の思いを拾い上げて、中国に興味関心がある人たちがつながりを持てる唯一無二の作文コンクールとしてあり続けてほしいです。 

中島 いま、日中関係は決して良好とは言えません。しかし、隣国である以上、切っても切れない関係だと思います。Panda杯に参加したことが縁で、習近平国家主席にお手紙を出すこととなり、お返事をいただきました。その中に、日中友好の未来は若者にかかっている、という言葉がありましたが、それは、日中青年交流全体に対する励ましだと思います。これから、さらに日中青年交流が盛んになり、両国が、よりポジティブな方向に進んでいってほしいと願っています。 

 ここのところ、Panda杯の応募者数は過去最高を更新し続けており、作品のレベルもどんどん高くなっています。今後はさらに受賞者を増やし、より多くの日本の若者に栄誉と達成感を得てもらいたいです。また、入賞すれば周りのお友達にとっても刺激となり、コンクールの影響力や広がりもより大きくなるでしょう。 

木村 現在の両国青年の相互理解と信頼の状況は、楽観しているわけにはいかないというのが率直な感慨です。とりわけ日本の若者たちについていえば、日本全体の中国を巡る空気感と全く別世界に暮らしているわけではないのですから、それほど楽観できるものではないと思います。 

しかし、繰り返しですが、若者世代の突破力を信頼して、若者たちに委ねることで、さまざまな試行錯誤や紆余(う よ)曲折はあるでしょうが、障害や問題は彼らなりの発想と方策で解決していくと信じます。そこでは新たな日中の青年同士の相互理解と信頼関係も生み出されていくだろうと考えます。新鮮な感覚としなやかでひたむきな精神が新たな経験とともに成長、成熟していく、今の若い世代の力を信じたいと思います。きっと、新しい世界が開けていくだろうと、ここでは、楽観に立ちたいと考えます。 

「Panda杯のこれからの10年」について、現在の時点での発想で言えば、学校に通う生徒や学生、大学院生などはもちろんとして、産業、経済などの実業に携わる若者世代、科学技術、工芸文化など、多様な世界の若者たちがさらに活発に参加していくような呼び掛け、仕組みづくりにさらに努力する余地はあるのではないかと思います。 

また、これまでの受賞者の皆さんを結び、その周りに日中の交流活動に参加する人の輪を広げ、ゆるやかであっても構いませんので、そうした輪が恒常的に動く活動の場をつくり出し、そこでの体験や考えたことなど、「何か書いてみよう」という空気を広く醸し出していくことに一層力を入れていくことで、作文コンクールの多様性と魅力がより増していくのではないかと考えます。 

もう一つ、問題提起という意味合いなのですが、今の若者たちは活字世界だけでなく、いとも簡単に「動画表現」に取り組むことを考えると、活字と動画のマルチメディアによる表現という、ジャンルの拡大も視野に入れてみるという発想もあるかもしれないと、これはちょっと「乱暴」な発想かもしれないと思いつつ、「付け足し」といたします。 

西園寺 日中関係が良くないことや新型コロナのパンデミックなどがあり、Panda杯は多くの試練に立たされました。しかし、そのような中でも応募者数は確実に増え続け、昨年は800人を超しました。これは多くの若者が、中国との交流を望んでいることを示しています。そして応募者数が増え続けていることは、Panda杯が新たな段階に入ったことを意味すると思います。物事における「量的変化」は必ず「質的変化」を生むものです。主催者や審査員が今後のPanda杯で考えるべきことは、「マンネリ」を避けること、常に新しい要素を入れてゆくことです。募集方法、宣伝方法、応募規定、表彰内容、中国旅行と中国での活動内容など、改善点があるかどうか、大いに議論すべきだと思います。今年は記念すべき10周年です。必ず応募者数1000人の大台をクリアできるよう、関係者一同で知恵を絞り、必要な措置を採る必要があると思います。 

 最近は、日本の若者の中国理解意欲が高まり、中国への新たな憧れの傾向も衰えることなく続いていると感じます。一方中国の若者について言うと、観光や二次元文化への興味や憧れは衰えを知りません。こうした共通項は豊富な話題になり、両国の若者たちがより深くお互いを知ることにつながりました。日本で『羅小黒戦記』などの中国アニメが大ヒットしたことなどからも分かるように、進化を続ける中国のクリエーターによる作品が日本の若者の間で話題となっています。『人民中国』がビリビリ動画と共同制作した、中日関係の歴史を振り返る初のアニメ『血と心』は、日本の十数万人もの若者に視聴されています。これは優れた作品が人々の心に深く入り込んでいることを表しているといえるでしょう。 

世界が不確実性に満ちている今、今後10年Panda杯の開催を成功させることには大きな意義があります。過去10年間の参加者の多くは、社会に出て中日交流の最前線を支えています。例えば1965年の第1回中日青年大交流に参加した日本の若者が立ち上げた「斉了会」が今も活動を続けているように、Panda杯参加者による常設の「Pandaグループ」などを設立し、中国の若者と深い対話をする機会を常態化するなどすれば、Panda杯の成果は今後も影響を与え続けられるでしょう。今後もブレインストーミングを行うことで斬新なアイデアを出していけば、Panda杯のバージョンアップに向けたコンテンツがより充実していくのではないかと思います。 

 今回の座談会ではPanda杯のこれまでの歩みを振り返りましたが、日本の若者の中国理解への意欲は決して衰えることなく、中国との交流に対する熱意がより高まっていることが分かりました。これはPanda杯を継続して開催してきた原動力であり、今後ますます発展していくであろうという信念の源ともなっています。Panda杯を通じ、より多くの日本の若い人たちが中国に近づき、中国に入り、中国を知り、中国を体験し、中国を記録し、中国を伝えてくれることに期待します。隣人同士、交流の機会が増えれば必然的に誤解が減り、信頼が増し、感情が深まり、友好関係が続く――これこそが、中日関係の明るい未来を築く基礎ではないでしょうか。「Panda青年」と呼ばれる皆さんが、私たちと共にその重責を担い、未来を創造してくれることを心から願います。 

 

 

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