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情熱を頼りに夢を追う 大部屋俳優

王焱=文・写真

日曜日の朝早く、李文全さんは衣装に着替え、撮影班が忙しく撮影を続ける街角の現場に駆けつけた。しかし、寒風吹きすさぶ中で長時間待たされ、ようやく呼ばれたと思ったら遠くの街路樹の陰から顔をのぞかせただけでこの日午前の出番は終了となった――そう、彼が演じたのは端役の尾行者だったのだ。

2011年12月、李文全さん(中央)は『石光荣和他的儿女们』(石光栄と彼の子どもたち)という連続ドラマに出演した(写真提供・華誼兄弟公司)

教師の職を捨てて入った道

李さんがこの世界に入ったのはまったくの趣味からだった。北京のある大学でテレビ・映画を専攻した李さんは、2006年の卒業時に地方大学の招きを受けていた。その頃、友だちに誘われてある低予算の映画に出演したのだが、大学時代にサークル活動で演技をしていた彼は、映画に出演してみて「本心からやりたい仕事は演技なのだ」という強い気持ちに気づいた。そして彼は先生になる道を捨て、友だちと一緒に制作グループに入り俳優を志したのだった。

俳優という職業の敷居は高くない。多くの人が心に満ちる情熱だけを頼りに、撮影班に売り込んでくる。そして、背景の人物が必要になると彼らはすぐに「生きた背景」となる。撮影班に一日中張り付いて、数十元の報酬を手にする彼らは「群衆俳優」と呼ばれる。李さんは、ある映画スターも有名になる以前は「群衆俳優」で、つらくても情熱を持って取り組み一気に人気を獲得したことを紹介し、「こうした例はごく少数ですが、それでも多くの人に希望を持たせるのです」と話した。

役は小さくてもプロの準備

スタート時点では、正式に演技を学んだ経験を持つ人はいささか条件がいい。最初からすぐに端役がふられ、台詞さえもらえることもある。しかし、それにも苦労はある。「現場でいきなり演技を要求されるので、ドラマの脈絡がはっきりしない情況でもすぐに芝居に入らなくてはいけません」  

ある時、監督が突然李さんに小さな役を与えた。台詞は多くなかったが、ある地方の方言を使う必要があった。その方言を話せない李さんは、すぐに電話をかけてその地方出身者を探し、方言を教えてもらった。そして、電話を切るとそのまま演技に入ったのだった。

チャンスはいつ訪れるか分からない。「ある時、私は端役の予定だったのですが、監督が頑丈な私の体を見て、やや重要なかじ屋の役をくれようとしたのです。でも、色白過ぎてかじ屋には見えないと反対する人もいました。私は、この役をなんとかものにしたいと三日間物干し台で体を焼きました。次に監督に会うと、彼は即座に『よし、お前だ』と言ってくれたのです」

 役がいくら小さくても、俳優にはその人物の特徴を表現する能力が求められる。それには推察と蓄積が必要だ。李さんは、村人を演じるために農村で半月間生活したこともあれば、「古装戯」と呼ばれる時代劇のため何日も図書館にこもって歴史を調べたこともある。  

「一度、地方でのロケがあった時、悪人を演じました。衣装を着て出番を待つ間に、どう演じるべきか歩きながら考えていると、いつの間にかロケ地を出てしまったのです。すると、ちょうどそこにパトカーが通りかかり、警察官に職務質問されてしまいました。私が撮影に来た俳優だということを説明すると、ようやく理解してくれたのですが、彼らは『歩いている姿があまりにも悪そうだったので』と言ったのです」

「条件は不利でも継続する」

撮影班が長期に地方ロケを行う場合、李さんは月給制で報酬をもらう。地元で撮影の場合は、連絡を受け取ったら前の晩に撮影場所に入り、撮影が終わったその日に百元から数百元の出演料を受け取る。  

撮影がない日は家でビデオを見て過ごす。名優の演技を見て勉強するのだ。「前途に対して悲観的になることもありますが、いい作品を見ると励まされ、努力してみんなに自分を認めさせるのだという自信がわいて来るのです」  

彼はあるスターの言葉を引用してこう言った。「多くの人が私とともに俳優の道に入りましたが、みな転職していきました。私は最も条件が良いわけではなかったのですが、やり通して来たのです」

 

人民中国インターネット版 2012年5月

 

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