博物館でタイムトラベル
馬場公彦=文・写真
中国の居留者として、知らない場所を旅することは楽しい。広大な大地を縦横に駆け巡ることだけが旅ではない。悠久の歴史をさかのぼる旅もまた楽しい。何せ「中華5000年」だ。空間だけでなく時間もまた広大無辺である。タイムトラベルに出掛けよう。旅の交通手段はというと、博物館である。交通費は安い。
中国各地の博物館巡りを通して分かったこと。それは博物館は単に陳列された文化財を参観する場所ではないということだ。文化財という「モノ」の展示を通して、当時の人々の衣食住をはじめとする日常生活や、信仰や観念や情感などの精神生活に思いをはせる、「コト」体験のための場所なのだ。
北京市東郊の通州は首都機能の一部が移転し、新興住宅地として目覚ましい発展のさなかにある。副都心としてだけではなく、近代以前まで京杭大運河の起点として栄えた。いまや運河周辺では広大な生態公園が広がり、田園風景の中を遊覧船やサイクリング、ジョギングを楽しむことができる。またオペラハウスを備えた芸術センター、都市図書館など、巨大な文化芸術設備が完成し開館し、文化としての面貌が加わった。
その一つ、10万平方㍍の広さを誇る大運河博物館は、2500年に及ぶ開削事業の結果、物流と文化交流の大動脈として機能した全長3200㌔の京杭大運河の歴史が四つのホールでパノラマ風に常設展示されている。展示品の一つとして山東省荷沢で発見された元代の沈没船の2分の1模型が目を引いた。10ある船倉を照射するバーチャルなX線をスライドさせると、内部の貨物を透視できる仕掛けがなされていた。
その特別企画展として5月18日、国際博物館デーに合わせて、「目で見る殷朝(看・見殷商)」特別展が開幕した。勤務校である北京外国語大学国際処の招待を受けて、同日、その内覧会に参加する機会に恵まれた。
二つのホールを使って、全国各地の博物館から集められた青銅器を中心に展示された338件の宝物のほぼ全てが真品。VRゴーグルを装着して3Dで再現された銅鼓を撥でたたいてみたり、1㌧近くもある獣面乳釘紋銅方鼎や獣面銅饒の中をのぞいてみたりすることで、展示品の質感を味わうことができる。日本と違って中国の博物館はどこでも展示品の撮影は原則自由で、今回の展示は特殊なガラスを使っているのか、反射せず鮮明な画像が撮影できるだけでなく、器内部に刻まれた文字までも確認できる。
最近読んで強い衝撃を受けた図書に李碩というフリーライターが書いた『翦商』(広西師範大学出版社、2022年刊)がある。夏―殷―周の王朝交替において、何が起こったのか、それまでの王朝の治世とどう変わったのか、最新の内外の発掘考古学の成果を動員してその謎の解読に挑んだ快著だ。本書では三代王朝の出土物を歴史書と照合し、学術論文を参照しながら、中華文明の起源と歴史が詳細かつ具体的に復元されている。読み進めていくと、黄河流域の中原を中心として広がる民族的出自や版図を異にする諸文化が、時には敵対し戦争を通して領土を角逐し、時には異族の優れた文化を吸収したり奪取したりすることによって、より高度な文明を構築していったそのプロセスが再現されていく。
「目で見る殷朝」展は殷の都城があった安陽を拠点として、東西南北四方に拡散した3500年前の殷文化の影響の広がりと、500年の殷の治世を通して地方の土着文化がどのように殷文化と融合し変容していったのかを出土文化財を通して視覚的に体感できるような工夫がなされている。殷の南西のかなた、長江中流域に栄えたあの巨大で奇妙な風貌の青銅器で知られる三星堆文化もまた、殷朝後期の青銅器技術の影響下にあって、古蜀文明と中原の殷文明との交流の結果創造された独特の文化だという。
殷の西方に位置する周の文王・武王が殷の紂王を滅ぼして西周王朝を建国する際には、殷の優れた青銅器鋳造技術や、殷によって開発され甲骨や青銅器に刻まれた文字を継承した。『翦商』によると、周公旦は鬼神を崇拝し大量の獣や人を犠牲にして陵墓に埋葬し神を祭った殷の習俗を革め、礼楽制度を整え社会統治の手段として社会の安定と国家の統一を図ったという。
『書経』に「殷鑑遠からず、夏後の世にあり、周鑑遠からず、殷後の世にあり」という言葉がある。王朝交替は単に先の王朝の文化が新王朝に継承されるだけでなく、新王朝の主体的な意思によって取捨選択がなされ、新たな文化へと改変されていくことを示唆する。中華文明は多元的な文化を吸収し、融合しながら、変容しつつも連続しているのである。
国際博物館デーに開かれたフォーラムでの発表によると、目下中国には7000館余りの博物館があり、その収蔵品は6700万件に達するという。ここ北京だけでも、歴史系・芸術系・自然科学技術系・革命記念系・考古遺跡系など、200館を超える博物館を擁している。AIを使った再現ショートビデオ、VR体験、展示品の3Dスキャンによる立体画像化、ロボットによる館内ガイドなど、最新のデジタル技術が臨場感を増し、楽しくてためになる展示のために使われている。
それだけではない。フォーラムに併設されていた先端高度技術を活用した文化財の保護と展示を業務とするある民間企業のパネル展示が目を引いた。143万の甲骨文字を解読したデータコレクションが完成したことによって、新出の甲骨文字を判読することが可能になる。漢代画像石をスキャンして光学とアルゴリズム処理によって、細部を立体的にバーチャル復元したり線描化したりすることが可能になる。風化・破損・脱色などで摩耗して人力では判読困難だった碑文が判読できるようになり、古代文化の謎が解き明かされつつある。さまざまな先端技術が文化遺産の保護・復元・バーチャル修復・デジタル展示などに活用されているのだ。
博物館巡りで中華5000年の時間旅行。われわれはどこから来たのか。どこへ向かおうとしているのか。文明のルーツを求めて文明の大河をさかのぼりつつ、興味の赴くままに新たな発見と気付きを楽しもう。