第11回 タイバンコック 建峰茶行と王有記

2020-04-20 09:25:13

文・写真=須賀努

これまでミャンマー、シンガポール、マレーシアの華人茶商を見てきた。東南アジアの有力国、そして華人も多いと思われるタイが残っていたので、ここも調べることにした。ただこちらも比較的華人の現地化が進んだ国であり、チャイナタウンであるヤワラーに行っても、少し前は普通話(標準中国語)が通じない雰囲気があり、お茶を飲んでいる華人を見ることも殆どなかった。若者はタイ人と変わらず、コーラなどの冷たくて甘い飲み物を好み、中国茶には見向きもしない、という印象だった。

オランダの支配下で華人が苦労したインドネシアとは違い、タイは王室と華人の距離が近いと言われている。18世紀にトンブリー朝を開いた王、タクシーンは潮州系華人だったと言われており、現在のバンコック王朝を支えたのも潮州系。歴代王の王妃や側室には華人の娘が上がっていたとの話もあり、またヤワラーの土地は「王家から与えられた土地で売買は出来ない」とも聞いた。バンコックの華人は潮州系と客家系で華人の8割を占めているという、他の東南アジア地域とかなり異なる構成だが、このような歴史的背景があったからだろう。

福建省安渓西坪に行った時、知り合いが「本山発祥の地を見に行こうか」と誘ってくれた。本山とは、今では見られなくなったが、茶樹の品種の一つで、2000年頃までは鉄観音、黄金桂、毛蟹と並んで、安渓の4大品種の1つにも数えられていた。その発祥地は「月塞」と呼ばれる、まるで城壁で囲われた要塞のような小さな集落にあり、民宿を営む地元民が本山の復活を試みていた。

この民宿の壁に古めかしい便箋と写真が張り付けられていた。よく見ると、タイのバンコックに渡った華人が故郷に出した手紙であり、遠く離れた親族に近況を伝えるものだった。その便箋、レターヘッドに「建峰茶行」という名前と漢字の住所、電話番号が目に入った。

 

福建安渓で見付けた手紙

これまで何度もバンコックに行き、チャイナタウンのあるヤワラーにも足を運んだが、大きな茶商と言えば、潮州系の三馬(宝記)ぐらいしか見当たらなかった。だが30年以上前、便箋に自社名を入れているほどだから、この建峰茶行はそれなりの規模であったに違いなく、この住所を頼りに、探してみることにした。この探索は難航を極め、ヤワラーから全く離れたレストランの一角に建峰茶行の看板を見た時には、正直奇跡が起こったと思うほどだった。

手紙の差出人はこの民宿の主人の親戚、王文述。「徴兵を逃れるため、1936年に安渓からバンコックに渡った」と記されており、「有記茶行の焙煎師として雇われた」との記述もあった。これを書いた王さんは、既に安渓で茶業に携わっていた。

この有記茶行とは、現在も台北大稲に店を構える、有記銘茶のことだとすぐに察しが付く。台北の有記は、現在でも店舗内に焙煎設備を持つ数少ない有名茶荘。その歴史を聞くと、初代が安渓西坪から厦門へ出て店舗を構えたのは1890年。2代目がバンコックを拠点に台北に茶工場を持ち、台湾茶をタイで商っていた。

 

台北有記銘茶に残る炭焙煎

手始めにバンコック福建会館に出向いて聞いたが、「まずはタイ語の姓名を持ってきて。今や会員の登録は皆タイ語です」と言われて、やはりタイの華人はそこまで現地化していると分かる。仕方なく、次に有記茶行があるのかどうか探してみた。ヤワラーを歩いていると、台湾茶の文字が見え、そこは王有記という茶荘だった。だが店員は詳しいことは分からないと言う。それでも「実は王有記はもう一つあるよ」と教えられ、トゥクトゥクに乗って向かった。

 

バンコック 福建会館

何とか探し当てたその茶荘、こちらが2代目の店舗を受継いだバンコックの王有記だった。現在も安渓茶などを扱っており、常連さんが茶を買いに来るという。4代目の女性経営者、王若芳さんから話を聞いたところ、先ほどのヤワラーの店は中国大陸より戦後台北に移った3代目の、その息子の一人がバンコックに戻って作った店らしい。それで今でも台北有記のパッケージを使って茶を売っている。

 

バンコック 元祖王有記4代目 王若芳さん

この店は2代目王孝謹が厦門から渡って来て、1930年前後(商標登録は1934年)に創業。バンコックの茶荘でもっとも古いだろうという。ここはヤワラーより王宮に近く、福建系の王有記が特別の地域に開業した理由は何だったのだろう。戦後は3代目王炳霖が台湾茶の他、中国の烏龍茶なども販売していたが、その後の混乱により、タイ北部での茶作りにも取り込んだらしい。

 

バンコック ヤワラーの王有記

残念ながら「手紙にある焙煎師の王さんを店で雇っていたかどうか、そして建峰茶行については分からない」とのことだった。その建峰茶行とは一体どんなお茶屋だったのだろうか。仕方なくその漢字の住所を現在のタイの住所に変換してもらい、そこを訪ねてみた。チャイナタウンのメインストリート、ヤワラーから少し入ったところに建物はあったが、その扉は固く閉ざされて、人の気配はなかった。

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