第15回 タイ北部 雲南回族が作る茶(3)

2020-08-26 11:11:53

須賀努=文・写真

  3年ほど前に、チェンライのメーファールン大学で開かれた茶のシンポジウムに参加した。その際、聴衆の目を惹いた発言者はイタリア人であり、タイ伝統の食べるお茶ミエン(Miang)から作られたKombuchaという健康ドリンクの説明を行っていた。我々日本人はその発音からすぐに昆布を連想してしまったが、康普茶と書くらしい。

 

ミエン

  因みにミエンは前号でも紹介したが、タイ北部で生産される発酵茶。元々山岳地帯の少数民族の間で作られ、その起源はミャンマーで食べるお茶として知られるラペソーが持ち込まれたともいう。また200年ほど前、商業生産を目的にタイ人が山地に移住して茶栽培を始めたとも聞くが、その歴史は定かではない。

  ミャンマーのラペソーとほぼ同じ作り方で、日本的に言えば茶葉の漬物であろうか。ラペソーは食後やお茶請けとして、小エビや胡麻などを混ぜて食されることが多いが、ミエンは噛み茶とも呼ばれ、チューインガムのように噛んで吐き出す人も多い。来客時の接待だけでなく、カフェインによる覚醒作用もあるため、労働時の精力剤としても使われたようだが、現代ではその生産はかなり減少している。

 

チェンマイ Tea Gallery

  このミエンから抽出されるエキスを使って康普茶を作っていたのは、チェンマイが拠点のTea Galleryという会社。およそ伝統的な茶荘とは異なり、街中から離れた閑静な住宅街の一角におしゃれなカフェのようなスペースがあり、その研究開発部門はまるで研究所(ラボ)のようだった。ここではミエンそのものを食べることもでき、また酸味抑え目のアイス康普茶を味わうこともできる。

 

ミエンから作られたジャム

  更に紅茶で作ったワッフルに、ミエンを材料に作られた特製ジャムを塗って食べると極めて美味しい。ミエンから作られたノンアルコールビールなども置かれており、その工夫は広範囲に進んでおり、既にドリンクとしての茶から、食べる食品へ変化していた。ここの経営者、馬恵娟さんにその理由を聞いてみると、「タイ人は基本的に茶を飲まない。そのタイ人に関心を持ってもらうためには、それなりの工夫が必要だ」と強調する。

馬さんの父親、馬慈栄さん(19172009年)は、何と前回紹介した天元茶行の納さんと同郷の雲南省出身であった。驚いたことに彼らも実は回族で、納家とは姻戚関係もあるというから、世の中は狭い。ただ今回訪ねた馬恵娟さんは母親がタイ人(実家は漢方薬屋)であり、ヒジャーブは被っておらず、一見して回族とは分からなかった。

 

馬一家

馬家はその名が示す通り雲南回族の王道、物流を担う馬幇だった。だから茶行のロゴマークは馬である。雲南とタイ北部などを行き来していた1940年頃、慈栄さんは雲南からチェンマイに居住地を変えた。恐らくは戦争の空気を読んで早めに動いたのだろう。そして1950年代にはチェンマイ郊外で茶作りを始めたという。その茶はタイ語では「タマダー(普通)」と呼ばれる番茶のような緑茶だった。

なぜ慈栄さんは茶作りが出来たのかと聞くと「実は第二次大戦前、父は国民党の兵士であり、蒋介石の指示のもと、思茅(今の雲南省普洱市)へ行き、茶作りを学んだ」というのだ。当時も普洱茶を含む茶は、ある種の戦略物資・資金源であり、国民党がこれを重視したのも頷ける。因みに雲南やタイ北部の茶は戦時中、日本軍にも売られていたらしい。茶は国境を越えて作られ、国境を越えて流通していたということだろう。

1971年にはチェンマイで茶行を開業して、自ら作った茶を、バンコックのチャイナタウン、ヤワラーの茶荘に卸していた。話の中には、既に紹介した王有記、建峰茶行、集友茶行等の名前も出てきたから驚いたが、ある程度の規模の商売をしていれば交流があるのは当然かもしれない。この時代、中国は文化大革命中で中国産茶の輸出が減り、代わりにタイ産茶が供給されていったのではないだろうか。同時期チェンマイやバンコクでも、普洱茶作りが行われており、思茅ですでに製造法を学んでいた馬家でも、これを作っていたという。

だが改革開放以降は安い中国茶が大量に供給され、タイ産茶は徐々に衰退していく。2000年頃に経営を引き継いだ恵娟さんは、父親の時代とはガラッと発想を変え、当初はハーブティーなど女性向け商品を商い、その後はミエンの健康効果などに目をつけて、康普茶の製造へ入っていくことになった。

 

馬恵娟さんとJacopo博士

消費者に受け入れられる康普茶の研究を進め、2015年に正式に取り扱いを始めると、既にアメリカなどで有名だったこともあり、健康意識の高い欧米人が興味を持って来店するようになる。それに合わせて中間層の所得向上が目覚ましいタイ人にも、健康への意識が芽生え、徐々に関心が高まっているようだ。冒頭に登場したイタリア人、Jacopo博士などの協力も得て、今後も更なる研究開発を行っていくようだ。Tea Galleryの活動は、タイ茶の新しい発展形態を見る思いであり、今後が大変注目される。

 

人民中国インターネット版

 

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