第16回 タイ北部 元国民党華人が作る茶(1)メーサローンと国民党の歴史

2020-09-27 15:56:58

須賀努=文・写真

  15年前「タイに茶畑はあるのか」という問い掛けにバンコックで答えてくれる人はいなかった。それほどタイとお茶は結び付かない産物だったと言ってよい。ある筋から「タイ北部の山中に茶畑がある」と聞いた時は、驚いてすぐに飛んで行ったものだ。チェンライ郊外からタイの公共交通ソンテウに乗って1時間半行ったところにあるメーサローンと言う街である。

  メーサローンは標高1300mの山間にあり、風光明媚な場所。タイとしては気候が涼しく、避暑地として、また桜の名所として有名な観光地である。行って見てまず驚くことは至る所に漢字とタイ語が併記された看板があることだろう。そしてそこに住んでいる人は中国系が多く、タイなのに中国語が普通に通じる稀有な街なのだ(タイ語が分からない筆者にとってはとても便利)。何故ここには華人が多いのか。それは国共内戦に敗れた国民党とその家族が移り住んだ、タイ北部にはいくつもある村の一つだからだとあとで知る。

  第二次世界大戦での日本の敗戦後、中国大陸では共産党と国民党による国共内戦が行われ、毛沢東の共産党が勝利、敗れた蒋介石ら国民党は台湾へ退去した。しかし中国全土、全ての国民党軍が台湾へ行けたわけではない。雲南や四川など西部の国民党軍とその家族はやむを得ず、ビルマに逃げ込んだが、1960年代にはそのビルマでも革命が起き、タイ北部の山中に逃れることになる。この間の苦難の道のりは想像を絶するものがあったことも住民から直接聞いた。

  台湾で蒋介石が亡くなった1970年代から、この地にいた人々は実質的に方向転換し、土着することを決意した。徐々にタイ化を図り、タイ国籍の取得も進められ、今では人々はタイ語と中国語(普通話と各方言)の両方を話すようになっている。そして土着後の生活の糧として考えられたのが観光業と茶業だった。

 

段希文将軍 

  1974年段希文将軍がタイ国王の謁見を賜り、当時の幹部の一人、雷雨田将軍は、「メーサローンで観光と茶を主産業とする」という方針を打ち出した。タイに土着するシグナルである。そしてメーサローンリゾートと言うホテルを作り営業を開始。当時雷将軍のもとで支配人を任されたのが李泰増氏である。

 

メーサローンリゾート

  彼はその後自らホテル事業に乗り出し、メーサローンビラが誕生する。それでも最初は簡単にお客が来るわけもなく、台湾人観光客が物珍しさから僅かに来ただけであったらしい。現在の繁栄は30年以上に渡る努力の賜物である。李夫人の楊明菊さんは、1984年に生まれ故郷のミャンマー、ラショーから台湾へ働きに行く途中、親せきのいるこの地に寄り、そのまま李氏と結婚、ビラ開業当時から苦楽を共にしてきている。現在傾斜面に60室を有し、茶畑が望める景色を持つメーサローンビラ。バンコックから見ればチェンマイでも十分涼しいように思えるのだが、ここまで上がってくれば本当に避暑が可能となる。

 

メーサローンビラからの風景

  尚このホテルの建物正面には女性軍人の写真が飾られていた。李氏の母親、梅景女史である。彼女は雲南出身、国民党の黄埔士官学校の一つを卒業するなど、幹部の一人であり、ご主人も雷将軍と同じ軍で働いたという。実はここの家族は歴史的には実に貴重な証人なのである。

  この街には当然台湾から様々な支援がある。特に茶業に関しては、90年頃から茶樹、栽培技術、製茶機械などが台湾から持ち込まれ、台湾と同じような製造手法で烏龍茶を作ってきた。当初は悪戦苦闘しながらの茶作りだったというが、気候、土壌などの条件に恵まれ、徐々に品質も向上している。李さんの茶工場では福建安渓から茶師を招き、数年でかなりのレベルアップがあったという印象がある。

 

台湾から運ばれた製茶機械

  作られた茶葉の多くはその繋がりから当初台湾へ輸出されてきた。台湾側の事情としては、ちょうど高山茶ブームが起こり、茶葉が足りなくなって、ベトナムやインドネシア、そしてこの地でも高山で烏龍茶が作られるようになったわけで、双方のニーズが一致したのだ。ただメーサローンの茶葉は台湾高山茶ほどの知名度がなく、当初はレストランなどで出される安いお茶に分類され、その後は台湾高山茶に混ぜて売られていたと聞く。台湾以外への輸出も考え欧米や中東に売り込みに行ったこともあるが、やはり知名度の点で今一つ評価が得られなかった。

 

李泰増夫妻(左)

  ここ10年は中国国内で、台湾茶が一種のブームになっていることに目を付け、台湾産と同じ製法のメーサローン産を広めるべく、大陸への直接売り込みも試みるが、大きな成果には繋がらなかった。そして目をヨーロッパに向けた。EUの有機認定を取得して輸出したところ、思いのほか高値で引き取られ、ようやく日の目を見るようになる。最近はタイ人の所得向上、健康志向の芽生えもあり、タイ国名での認知度が上昇しており、こちらも有望な市場になっている。

 

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