花と華(花和华)

2020-04-16 16:05:06

/福井ゆり子 翻訳/編集=銭海澎

 

日本語と中国語はもともと言語系統を異にし、互いに「外国語」であることは間違いないが、共通した文字(漢字)・語彙が多いため、日本語を知るにためには中国語を知ることが役に立つし、逆に中国語を知るために、日本語を知っておくほうが良いこともある。

日语和汉语原本属于不同的语言体系,互称“外语”理所当然,但因为两种语言中有许多共通的文字(汉字)和词汇,了解汉语有助于理解日语,反之,学习日语也有益于理解汉语。

 

先日、知り合いの日本語教師が、「華」は「花」と同じ意味だと学生に説明したら、中国人留学生の多くが、「華」って中国を意味する言葉じゃないんですか?と驚いたという話をしてくれた。「華」は花のようにきらびやかなもの、美しいもの、すぐれた性質の比喩として「華やか」「華麗」などのように使われる言葉だ。いっぽう、「花」は植物の花を指す言葉で、言ってみれば「花」は具体的な花を指し、「華」は抽象的な花を挿す言葉なのだ。花を使った芸術を「華道」と言うのは、「生け花」よりも求道的で、抽象的概念が加わったものだからと解釈できる。

前些天,我认识的一位日语老师告诉我,他在向学生解释“华”和“花”是同一个意思时,有很多中国留学生吃惊地表示,“华”不是代表中国吗?其实,“华”可以组成“华美”“华丽”等词语,用来比喻像花朵一样灿烂夺目的东西、美好的事物或者优秀的特质。只不过,“花”指植物中的花,也就是具体的花,而“华”指抽象的花。以花为素材的艺术之所以被称作“華(华)道”,可以解释为,相比“插花”而言,“華道”还有修行的意味,表达了一种抽象的概念。

 

「花」も「華」も、もともとは中国から来た言葉なので、この使い分けは中国語でも基本的には同じであろうと思うが、中国語ではこのふたつの言葉は声調が違うし、時代が経つにつれ、他にさまざまな意味が付加されてきたために、「花」と「華」の共通点や差異が日本語に比べ曖昧になってしまったのだろう。別の見方をすれば、日本に入って来たこれらの言葉は、中国語の古い意味をそのまま日本語の中で保っていると言える。

“花”和“华”原本都是来自中国,由此我以为在汉语中,二者的用法区分和日语基本相同。但其实在汉语中,这两个字的音调并不相同,而且随着时代变迁,又被赋予了各种各样的新义,所以,汉语中“花”与“华”的相同点和不同点,可能日语要模糊。换一个角度来看,可以说这些传入日本的词语,原封不动地保留了其在古汉语中的含义。

 

行脚(アンギャ)

漢字の「音」についても同様で、日本では「行」という漢字には、「ギョウ」「コウ」「アン」など複数の読み方がある。「ギョウ」が呉音(最も古く日本に定着した江南地域の音)、「コウ」が漢音(隋・唐から宋以前の長安地域の音)、「アン」が唐音(宋以後の比較的新しい音)と呼ばれる音であり、中国から入って来た時代が異なるために、違う音で日本語の中に定着している。漢字音にいくつもの読みがあることに日本語学習者はずいぶん泣かされていると思うが、それもすべて中国での変化のせいだと思って諦めて覚えてほしい。

汉字的“发音”也是一样。在日本,“行”这个汉字,有「ギョウ」「コウ」「アン」等好几种读音。其中,「ギョウ」是吴音(最早在日本固定使用的中国江南地区的发音),「コウ」是汉音(从隋唐开始到宋代以前中国长安地区的发音)、「アン」是唐音(宋代以后比较新的发音),由于从中国传入日本的年代不同,在日语中固定下来时的发音也不同。学日语的人遇到一个汉字有几个发音,真是想哭的心都有,但希望大家了解,这些语音的变化其实都是在中国发生的。

 

また、明治以降には日本でつくられた新たな漢字語彙が大量に中国に流入し、大きな影響を与えている。日本語と中国語の切っても切れない関係は今に至るまで続いていて、交流の深化とともに、今後さらに関係性は強まっていくだろう。

明治以后,大量日本制造的新汉字词汇传入中国,产生了巨大影响。直到今天,日语和汉语仍然有不可分割的密切关系,随着交流的深入,今后这种关系还会进一步加强。

 

 

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