漢字と印章

2021-02-18 16:59:17

姚任祥=文

 

姚任祥

1959年生まれ。著名な京劇女優・顧正秋(1928〜2016年)の末娘で、国学の巨匠・南懐瑾(1918〜2012年)の弟子。16歳で芸能界にデビュー、初期の学園アイドル歌手の一人。現在、台湾を代表する建築家・姚仁喜の妻で、3人の子の母親でもある。宝飾デザイナーで、美をこよなく愛し、20年来、さまざまなジュエリー作品のデザインを手掛けている。また作家としても活躍し、海外に留学する子どもたちが中国の伝統文化を忘れないようにと、『伝家』を出版した。

 

漢字の美

私は毎日パソコンに向かい、何千字と漢字を打っている。しかし、私たちが幸運にもこのように繊細で美しい文字を持っていることに、今まで気付かなかった。

ところが何年か前、スウェーデンの著名な中国学者セシリア・リンドクイスト氏(88)の『漢字的故事』(『漢字物語』)を読んで、この事実に気付かされ、恥ずかしささえ覚えた。

彼女は遠くスウェーデンから黄河流域へやって来て、中国古代の文字の起源について現地調査を行い、8年の歳月を費やして同書を書き上げた。1996年にスウェーデンで出版後、六つの言語に翻訳され、台湾地区と中国大陸では2006年と07年に中国語版がそれぞれ出版された。

漢字の形とそのイメージを分析した同書は、十分な考古学資料と広範で深い現地取材によって書かれており、中国人の誰もが読むべき価値があると思う。同書では304の漢字を人や動物、植物、牧畜、農耕、道具、文物、器、建造物、生産活動、飲食、服飾に分類。物語を語る形で字の構成と部首に分解し、その成り立ちを究明している。その物語は古代の風景や人々の暮らしの様子に立ち戻って再現され、読者は一読しただけで漢字文化の継続性と物語性が分かるようになっている。

世界のほとんどの国では、文字は音を表しているが、漢字は視覚的に意味が連想でき、一つ一つに物語がある。殷(商)時代(紀元前1600~同1046年)の「甲骨文」と周代(紀元前1046~同256年)の「金文」もそうしたイメージと物語を持ち、興趣豊かで美術的にも優れている。

中国には古来、「書画同源」という言い方がある。これは、絵画と書道の関係は密接で、その成り立ちと発展は多くの面で似ているという意味だ。例えば、書道を学ぶには多くの方法があるが、いずれもまず模写から入る「入帖」を基礎とする。そして、自己のスタイルによって自由に書く「出帖」へと続く。これで「書画同源」という言い方があるのもうなずけるだろう。

台湾で書道を学ぶ場合、初心者のほとんどが唐代の代表的な三人の書家の作品――欧陽詢の『九成宮醴泉銘』、顔真卿の『多宝塔碑』、『顔勤礼碑』、柳公権の『玄秘塔碑』のいずれかを選び、その模写から始める。清朝末期から民国初期の政治家・書家である康有為は、「書を学ぶならまず模倣すべきであり、古人の書体と精神を知らずして、自分らしい特徴は得られない」と述べている。文字は、書く人の思いと気迫が宿るものであり、長い期間にわたる練習の積み重ねが重要だ。

 

一寸四方の芸術

このほか漢字には、独特の芸術的境地に達したものとして印章がある。このわずか「一寸四方」の芸術は、中国の篆書が盛んだった時代に始まったので、印章のことを「篆刻」ともいう。篆書体は一寸四方の枠内に収められるのに合った字体だ。凹凸の彫刻で表現され、線と面の交わりを使い、細かな技巧により太さの異なる線の組み合わせを変え、見事なデザインの印章に彫り上げる。

印章は一幅の小さな版画のようで、それ自体が一つの完成された芸術品だ。文字の線は躍動的で、象形的なイメージの絵図を彫ったものもある。この小さな空間にダイナミックな美しさと趣がレイアウトされる。そこに彫られた名句や名詩も物語に満ち、さらに風刺やユーモア、個人の大志も表し、心の内を表現すると同時に、ロマンチックで文芸的な息遣いにあふれている。

印章は中国文化においては権力を象徴し、証明のためにも使われ、厳格な規則がある。古来、皇帝の印章は「璽」と呼ばれ、朝廷の官吏が使うものは、その役職の高低により「章」あるいは「印」と呼ばれていた。今日、会社が外部に提出する文書には、必ず社印を押さなければならない。

 

台湾の収集家・宋緒康氏のコレクションから清代の芸術家3人が手掛けた印章 「作個閑人」(左)「大好山水中人」(中)「一庭花木半床書」(右)

印章のセットとして欠かせないのが朱肉だ。私が会社を興した時、社印を大小一組彫ってもらうと、友人が凝った朱肉入れを贈ってくれた。朱肉入れの外側のケースは彫刻が施された銅製の容器で、その内側にある平たく丸い磁器には赤い朱肉が入っていた。また、外側の銅製ケースには獅子が3匹彫られていた。この贈り物に添えられていたカードには、「三獅は三思を表す(獅と思の発音が似ていることから)、印を押す際は熟考のほどを」とあった。

 

筆者が手掛けた「明忠三思」(左上)、「百里蔵」(左下)、「粧胡塗」(中央)と彫った現代風の朱肉ケース

上等の朱肉には、貴重な鉱物や顔料の銀朱、サンゴなどが原料として使われている。以前に、ある有名なレストランのオーナーが、店に伝わる秘伝のレシピと、友人の家に伝わる「八宝朱肉」を交換したという話を聞いた。この道を究める人にとっては、これはいささかも惜しくないことだったろう。

印章それ自体、一度気に入るとなかなか手放せない物で、その素材も玉石、アイボリー、金属、セラミック、木材とさまざまだ。

 

写真右上の吉祥獣の印章は銅製で、大きな雄の獣に小さな雌が組み合わされた形をしており、理想的なペアを表す印だ。左下は昔の人が出掛ける際に持っていた携帯用のミニサイズの筆と墨つぼ(日本の矢立に相当)

 

 

『伝家』とは

 

台湾の女性作家・姚任祥さんが7年の歳月をかけて書き上げた力作。春・夏・秋・冬の全4冊からなり、それぞれ六つのコーナーに分かれ、優雅な文体と美しい写真により、中国人の生活様式と伝統文化を季節ごとに描き出している。著者は、自身の家に代々伝わる「家伝」を通して、この本を読んだ人一人一人が自分の家に「家伝」を持つことを願っている。同書は、中国人なら誰もが持っておきたい伝統文化の百科全書であり、外国人が、古今を通じた中国人のライフスタイルとそこに宿る知恵を知る良き入門書である。 

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